第二章 絵本と神隠し⑤

「辻堂さんって、本当にさつきちゃんと同い年なんですね」


 帰りの車の中で、さつきの叔母が運転しながらぽつりと漏らす。


「若すぎるから、ちょっと心配?」


 さり気なく尋ねる珠代に、少し困ったように曖昧に笑った。


「心配というか……話には聞いていましたけど、正直驚きました」

「気持ちは分からなくもないけどね。私もきっと綾さんの立場だったら、同じように思ったでしょうし。でもね綾さん。あの子は父親から《あずかり処》を引き継いで二年間経つけど、その間ずっと自分の家の敷地から出たことはないの。外に出られるのは、年にたったの二回。夏と冬の神事に参加する時だけ」

「えっ」


 叔母は驚き、助手席の珠枝の方を向いた。

 だが運転中だったため、あわてて前に向き直る。


「あのおうちは忌み物……普通の人の手元にあると、怖いことが起きるようなものを預かって供養するわけでしょう? 中にはいつか持ち主に返さなくてはいけない物や、そう簡単に供養できないものもあるからね。そういうものが外に出てしまうことがないよう、辻堂家のご当主はずっと管理していかなきゃいけない」


 珠枝はわずかに開けたままの助手席の窓を閉め、運転席の方に向き直った。


「だからあの子は幼い頃から先代のもとで修業を続けて、同い年の子たちが学校に行ってる間もずっとあの家で、あずかった”忌み物”たちを守り続けてきたんだよ」

「そんな。学校に行かないって、家族の方は反対されなかったんですか?」


 窓から外を眺めていたさつきが、バックミラーに映る祖母の顔をちらりと窺う。


「あの子の家はだからね」


 さつきの叔母の顔に、物言いたげな表情が浮かんだ。

 珠代は苦笑し、助手席のシートに背中を預け、窓の外へと視線を移す。

 ほどなくして車はなだらかな坂をのぼり切り、前方には住宅街が見え始めた。

 珠代の家に戻ると、さつきの叔母は休憩もそこそこに帰り支度を始める。

 さつきも二人を手伝い、珠代が用意したお土産を叔母の車のトランクに積み込んだ。

 後部座席にリュックサックを置き、淳がおずおずと母親を窺う。


「ねえママ。あずけた絵本って、いつ返してもらえるの?」

「さっきおばさんが言ってたでしょ? 淳がちゃんとお勉強して、お利口さんにしてたら返してもらえるよ」


 母親の答えを聞いた淳は、唇を噛んでうつむいた。


「……ウソつき」

「淳?」


 低い声で呟いた淳を、叔母は怪訝そうに見下ろす。


「さっき帰る前に、ママ、あのお兄さんにしょぶんしてくださいって言ったよね」


 図星を突かれて固まる母親を、淳はキッと顔を上げて真正面から睨んだ。


「淳、それは」

「なんでママ、いつもウソつくの?」

「あのね淳、聞い……」

「ぼくがウソつけば怒るくせにっ!」


 反論しようと口を開く母親を遮って、叩き付けるように叫ぶ。

 バタン、と乱暴に助手席のドアを閉めると、淳は母親に背を向けて駆け出した。


「淳!? 待ちなさい!」

「淳くん!?」


 淳が声を荒げたのを聞きつけ、様子を見に来たさつきが、あわてて従弟いとこを追いかける。

 しかし淳はさつきや母親を振り向きもせず、住宅街の角を曲がって大通りの方に走ってゆく。

 そうして小さな少年が紛れ込んでしまったのは、夏祭りの雑踏の中だった。


「淳くん! 待って、そっちは」


 間が悪いことに、少し前に神輿パレードが始まったばかりだった。

神輿を担いだ男衆が道路の真ん中を練り歩き、その後ろから仮装に身を包んだ学生たちが、音楽に合わせてソーラン節を踊りながら行進する。

 通りの両端にも屋台がずらりと並び、屋台を見て回る人たちで混み合っている。七歳の少年は人混みの合間をぬうように、あっという間に奥へ奥へと駆けてゆく。

 まだ大人の半分ほどの背丈しかない淳は、人混みの中にすっぽりと全身が隠れてしまう。大勢の人でごった返す往来で、さつきは従弟の姿をあっけなく見失った。


「うそ、どうしよう……」


 にわかに青ざめたその時、ポケットの中でスマホのバイブが鳴る。

 叔母から電話がかかってきていた。


「さつきちゃん、淳はどこに」

「それが、淳くんちょうどパレードの人混みに紛れ込んで、見失っちゃって」


 叔母と通話し、すれ違う人たちとぶつかりながら、さつきは見晴らしの良い場所を探した。

 しかし太鼓や笛の音、スピーカーから大音量で流れるソーラン節や人々の話し声で、叔母の声がうまく聞き取れない。


「そんな……」

「ごめん叔母さん、見つけたらすぐ連絡————」


 一度そう通話を切ろうとした、次の瞬間。


「待って!」


 子供独特の甲高い叫び声がさつきの耳をかすめる。

 とっさに声がした方を向くと、背後のりんご飴の屋台の裏から見覚えのある小さな後ろ姿がよぎった。

 さつきのみぞおちほどしか背丈のない、小柄な体。水色のポロシャツに、紺色のハーフパンツに身を包んだ少年。


「待ってよ、ぼたん!!」

「淳くん!」


 さつきはとっさに呼び止めるが、淳は交差点を右に曲がり、祭りでにぎわう表通りから、少しひと気のない裏通りへと向かった。

 まるで何かを追いかけるように脇目もふらず、前へ前へとひたすら走ってゆく。

 そうして空き店舗の横の路地裏に駆け込んだ。

 従弟を追って路地裏までたどり着いた瞬間、さつきは目を疑った。


「……えっ?」


 息を切らしながら、おそるおそる周囲を見回す。

 空き店舗に左右を挟まれた、細く薄暗い路地。

 入って三メートル先にはコンクリートの高いへいが立ちはだかり、行き止まりになっている。


「うそ……」


 ――――――――にも関わらず、淳の姿はどこにも見当たらなかった。

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