101.使えないなりに ― 2

 数秒固まっていたケランダットは、沸々とせり上がってくる焦りに突き動かされるがまま、弾けたように自身も森へ駆け出した。

 活躍しなければならない……活躍して、己の価値を高めなければ……。


 ケランダットは先に捜索に出た仲間達とは違う方面から茂みに入ると、靴を脱ぎ、裸足になった。

 そして目をつぶると、足の裏に意識を集中させて、地中を流れゆく魔力の軌道を探り始めた。



 魔力はそれを有する個体ごとに色があった。言い換えるなら、”雰囲気”というものに近い。

 禍々まがまがしい形の魔力を持つ者もいれば、穏やかで温かみのある魔力を持つ者もいる。これは人間や獣だけに言えることではなく、目に見えない微生物や植物、鉱物なども含めて、世界ヴランを構築する全てのものに当てはまることだった。


 現在ケランダットが探しているのは、”地脈”と呼ばれる、たくさんの魔力が激しく行き交う地中の大道路のようなものだ。

 少年時代に読んだ専門書には、”霊具を単体で永続的に動かし続けるには、霊具自身に周囲から魔力を吸収する術をかければいい”、と記されていた。


 魔力について少しでも学んだことのある者なら分かる話だが、術の展開に使用される個人の”体内”に流れる魔力と、外界にて巡る”体外”の魔力というのは全くの別物である。

 前者はたった一種類しかない上に、己自身に宿るものであるため勝手が利いたが、後者は環境を形成するありとあらゆる生命を相手にするので、感じ取るだけでも困難を極めた。


 数え切れないほどの生命が織り成す世界……数え切れないほどの魔力が絡み合って生まれた精神世界の中で、目当ての魔力だけを探るという行為は到底無茶であった。

 そこで手掛かりになるのが、”地脈”だ。魔力が吸収される先……地脈が流れる方向へと進めば、おのずと最終地点である霊具に到達するということである。


 だが、地脈を探すという行為も困難であることに違いはない。

 特定の魔力を見つけるよりかは多少難易度が下がるといった程度で、己の肉や皮膚ですら障壁と見なされる精緻せいちな分野において、地脈を見つけるという行為もまた、砂漠から一粒の砂を見つけ出すような行為であった。


 しかし、まれにいるのだ。

 技術と才能で、それを成し遂げてしまうような器用な者が……。



「―― 見つけた」



 ケランダットは地中で明らかに他とは毛色の違う、濁りで満ちた魔力の糸を発見した。


 裸足のまま地脈に沿って地表を歩いていたケランダットは、あることを考えた。

 先程の魔力を探知する際の感覚……己の意識を実体のない魔力に交えて体外へと放出し、外界に暮らす様々な生命体の障壁にくたいを通過するあの独特な感覚は、ラトミスを服用した後の脳裏に浮かぶ情景に似ているような気がした。


 ラトミスの甘い煙を吸ってしばらく待つと、まず視界に星の海のような美しい光が広がる。

 このキラキラとした光は、死体が転がる血生臭い戦場すらも楽園に思えるほどの魔の輝きを放っていた。まるで世界の全てが己を祝福してくれているような……そんな魅惑的な輝きだ。


 しかしその幻想も束の間―― またしばらくすると、次は予兆もなしに視界から一切の光が消え、服用者は孤独の闇に投げ込まれる。

 初心者の中にはこの幸福感からの落差に発作を起こす者もいるのだが、ここを乗り越えた先にある第三の体験こそが、ラトミス一番の”お楽しみ”だ。


 闇をやり過ごすと、これまたいきなり頭痛を誘発するくらいにギラギラと己を刺し貫く極彩の光が、己を全方から照らしてくれる。

 もし天に昇る陽を間近で見つめることができたのなら、こんな感じなのだろうかと考えてしまうぐらいに鮮やかな光の槍が、服用者の全身を焼き焦がす勢いで降り注ぎ、激しい脈動は次第に一定の律動を描き、自他の境界が曖昧になってゆく――。



 この狭間の感覚を心地よいものとして脳に処理させるのが、ラトミスの依存性を高めるための特徴だった。


 自身に不安障害を残していった負の思い出、ラトミスであるが……ケランダットは決別して以降、初めてかの薬物に感謝の念を抱いた。

 魔力感知の時の光景は、ラトミスに慣らされていなければ耐えられなかっただろう。専門書に”成功例が少ない”と書いてあったのも頷ける。一度好奇心で挑戦してみたとしても、これを二度も三度も好んで行おうとする者が少ないのだ。当然、報告数も下がる。



 ケランダットの足取りは軽くなった。

 魔術師の世界で困難とされていたことを、落後者と罵られていた自分が成功させたのだ。苦い経験の全てがベルトリウスに認められるためのだったと考えると、今までの人生が報われる気がした。


 ケランダットの視界にはラトミスを服用していないにもかかわらず、薄透明な純白の光が散らばって見えた。

 それは地脈を通じて、ケランダットの肉体に他の生命体の魔力が衝突してきたことによる事故みたいな作用だったのだが、当の本人は世界からの声援だと受け取っていた。



 そんなケランダットが辿り着いた場所には、先客がいた。



「なんだよオメー、邪魔しに来やがったのかァ〜? やっぱ食っといた方がいいなァ〜?」

「モォ〜、ケランダットサンッ! ルルチちゃんのせっかくの努力をムダにしナイでくだサイッ! メッ、ですよッ! メッ!」


 鬱蒼と茂る森の中で、唯一空を拝める開けた場所……ユー・ボーローが日向ぼっこをするのに気に入っていたという、この陽が差し込む場所こそが、霊具の隠蔽地いんぺちだったのだ。


 ケランダットは”邪魔なのはお前達だ”と口を開きかけたところでハッとして、言葉を選んでから説明した。


「……霊具の気配を追って、ここに辿り着いたんだ。お前らが座ってるその真下の部分に埋まってる」

「えッ、ホントかァーーーーッ!?」

「ずっとオシリの下に敷いてたってコトですカァ〜〜ッ!? ヤダァ〜〜ッ!」


 地べたに座ってベタベタとイチャついていたルルチとユー・ボーローは、仲良く同時に飛び起きて、尻をつけていた場所を驚いたように見下ろした。


 こんな近くに脱出の鍵が隠されていたとも知らず、百年以上も気付かずに上で寝転がって過ごしていたとは……何とも愚かしい話である。

 ユー・ボーローに直接嫌味を言うことは避けたが、ベルトリウスの怒りが落ち着いて、またいつも通りに接してきてくれた時にこの話を披露して盛り上がろうとケランダットは思った。

 彼は他者の不幸話を聞くのが好きなので、きっとユー・ボーローの間抜け面を想像して喜んでくれるはずだ。


 霊具を見つけて土産話も手に入れて、ケランダットの心は今までにないほど踊っていた。

 知らぬ間に新たな失態を演じてはいないだろうかと一抹の不安は残るものの、それでも早くベルトリウスが合流して、自分の功績を評価してくれればなと思った。



 ケランダットは指定した場所をユー・ボーローに掘らせた。

 人間ならばシャベルやクワなどの掬う道具が必要になる硬い土も、力自慢の魔牛にかかれば柔らかい泥のようにスッと指先が差し込まれ、難なく掘られた。


 しかし奇妙なことに、ユー・ボーローが掘った際に後方へと投げ捨てていた土の塊は、意思を持った生き物のように、落ちた先からひとりでに移動を始めた。

 ユー・ボーローが生み出した大きな穴を急いで埋めんまいと、毛むくじゃらの指を離れた瞬間から戻ってくる土達に、巨体は苛立ちに震えた。


「ブル”ガァ”ーーッ!! なんだコレェッ、イライラすんなァーーッ!!!!」

「”固定化”の術がかかってるな……この霊具は当時の森の状態を維持し続けるよう、一帯の環境に働きかけてるんだ。だから土を掘っても穴を塞ごうと戻ってくる。お前がなぎ倒したり引っこ抜いて投げていた木々も、自然再生してたんじゃないか? 百年前、封術が掛けられた瞬間にこの森に存在していたものは、全てこうなる呪いを浴びせられたんだ」

「……コテーカ……? ンー……ナルホドなァ……?」

「ボーローサマに五秒以上続くオハナシをシないであげてくだサイ。考えるチカラが持ちまセンから」

「ブルル……そうだぞッ! 俺サマにムズかしい話をすんなッて言ってんだろうがッ! 何度も言わせんなッ!! 学ばねェー肉めッ!!」

「……」


 何気にルルチの方が失礼なことを口にしているのだが、どうしてか彼女の失言は失言と捉えられずに流されていた。

 固定化の対処法は特にない……ということで、もういっそのこと霊具を巻き込んで破壊するぐらいの、強力な打撃を地面に叩き込めばいいじゃないかという話に落ち着いた。


「やっぱ”力ずく”ってのがイチバンラクだなッ!! オメーら、どいてろよォ〜〜〜〜ッ! …… ―― フン”ッ”!!!!」


 ケランダットとルルチが充分な距離を取った後に地面へと叩き付けられたユー・ボーローの拳は、周辺に衝撃波を放つほどの強烈な一撃となって森を揺らした。

 だが……先人達が残していった遺物は、そう簡単に折れてはくれなかった。


「イ”ッデェーーッ”!!?? なんか指に刺さったぞォーーッ”!!??」

「コレ……、ですカネ?」


 右手を押さえてギャーギャーと騒ぐユー・ボーローをなだめたルルチが彼の手を取り、中指の第二関節辺りを見てみると……そこには確かに、十字の形をした何かが突き刺さっていた。


 ルルチは引っ抜いたそれをケランダットの前に置いた。

 人骨で組み立てられた、高さ一メートルほどの墓標ぼひょう……それが霊具の正体だった。


「恐らく封印を施した魔術師達のものだろう……仲間の遺骨いこつ媒体ばいたいに、お前を森に縛り付けたんだ。俺達が触れられるのに当の本人が弾かれるということは、これは封印の対象者以外でないと破壊できない呪霊具だな」

「じゃあ、ワタシタチがココへ助けに来なけレば、ボーローサマは一生コノ森から出ラれなかったッテコトですネ……危ないトコロでシたネェ〜」

「ブルルッ……よくわかんねェーけど、あの肉ドモがとんでもなくムカつくコトをしやがったってコトだけはわかったぜッ!! 許さねェぞォッ”、このユー・ボーローサマをナメやがってッ!! 探し出してグッチャグチャに踏み潰してから食ってやるッ”!!!!」


 またダンダンッ! と地団駄を踏んで興奮するユー・ボーローに、ケランダットは諦めをつけさせるために分かりやすく説いた。


「この骨こそがそいつらだと言っただろう。遺骨を埋めた協力者がいたとしても、当時から百年以上も経過してるんだ。人間はそんなに長くは生きられない。お前が恨む者達は全員死んでしまっているんだ」

「じゃあせめてその骨を食うッ”!!!! 貸せッ”―― !!!!」

「キャアッ!? ボーローサマッ、いきナリ手を伸ばすなンて危ないじゃナイですカァッ!」

「おいっ、だからお前はその霊具には攻撃できないと――」


 ユー・ボーローはケランダットの忠告を聞かずに乱暴に手を伸ばすと、ルルチの顔の真横を抜けて、掴んだ人骨の霊具を自身の口内へ放り投げて咀嚼―― ……したところ、”ガリッ”と歯が欠けるような嫌な音が周囲に響いたと同時に、ユー・ボーローは動きを止めてじわりと目に涙を浮かべて、大口を開けて叫んだ。


「イ”デェ”ーーーーッ”、口ん中に刺さったァ”ーーーーッ”!!??」

「馬鹿なのか?」

「モォ〜、ボーローサマってばお茶目なンですからァ〜」


 ケランダットとルルチはヒイヒイと喚くユー・ボーローを見ながら、呆れた調子で返した。

 口を押さえて体を丸くしてうずくまるユー・ボーローに対し、しゃがみ込んだルルチが口内を覗いて、上顎に刺さった霊具を取り除いてくれる……。

 赤子の面倒を見ているような光景にケランダットが溜息を吐いていると、背後から”ザリッ”と小さな踏み込み音が聞こえた。


 振り向けば、木の陰に立っていたベルトリウスが無表情でこちらを眺めていた。

 ずっと端の方で一連の流れを見ていたのだろう。静かに歩み寄ったケランダットは、変わらず冷たく見つめてくるベルトリウスに向かって、たどたどしく声を掛けた。


「あれを……俺らの誰かが壊せば、奴は解放される……と思う。絶対とは言い難いが……」

「……そう保険をかけなくてもいい。お前はすごい才能を持ってるな、ケランダット。おいで――」


 そう言ってベルトリウスは両腕をケランダットの首元に絡ませると、大柄な彼を抱き込むようにして自身の方へと引き寄せた。

 左手で後頭部を撫でられ、右手でポンポンと背中を叩かれ……まるで子供をあやすような行動に、ケランダットは衝撃のあまり言葉を詰まらせた。


「ぉっ……わっ……!?」

「お前は本気になれば、こんなにも頼りになるんだな。いつもこうあってほしいもんだが……俺は自分にはない力を持った奴が好きだ。今のお前はすごく輝いて見える。俺が出会ってきた中で最も優れた人間だ……殺すのは惜しいなぁ……」


 優しい声色に乗ったベルトリウスの心にもない言葉は、ケランダットが求めていた以上のものだった。

 男同士の抱擁など見るもおぞましいものだが、ベルトリウスだけは別だ。

 耳元で囁かれる台詞、魔物となった彼が放つ独特の体臭、互いの軽鎧から覗く肌と肌が触れ合って伝わる体温……その全てが心を満たしてくれた。


 彼は男も抱くと明言していたが、カイキョウやガガラでは女を口説いていたし、他にも旅先で何度か女にいい顔をしているところを見掛けているので……今の”好き”は恋愛感情から来るものではなく、親愛から湧き出た”好き”なのだろう。

 それならいい。自分達は腐敗した関係ではない。むしろベルトリウスの方も自分と同じ考えを持っていると知って嬉しくなった。

 彼も自分を”家族”だと思ってくれている。だって、そうでなければこんなにも優しくしてくれるわけがない……”家族”以上に深い繋がりなんて、この世にありはしないのだから――。



 ケランダットはこみ上がってくる気持ちを抑えられなかった。


「ベルトリウス……――


 行き場に困って宙に浮かばせていた手をベルトリウスの背に回すと、ケランダットは息苦しくなるくらいの強い力で抱き返した。


 ベルトリウスはてっきり、ケランダットがまだ亡き父・ラズィリーに心を囚われているがために、”お父様”という単語を口から漏らしたのだと解釈していた。

 これだけやってまだ躾けが足りないのかと、頭を肩にすり付けてくる男のしぶとさに辟易へきえきとしていた。



 だが実際は、ケランダットの発言の中にラズィリーに対する思いなど微塵も含まれていなかった。

 恐ろしいことに彼は、ラズィリーではなくベルトリウスこそが、なのだと思い込んでしまったのだ。


 ベルトリウスはやはり完璧な男だった。

 ”父”のように寛大であり、”兄”のように歩むべき道を先導してくれて、”弟”のように時々いたずらっぽく無邪気に笑う……そして何より、生き地獄から救い出してくれた唯一無二の友人だ。


 己が望む全ての人間性をその身に宿している。

 きっと天から命を授かった際に、何らかの手違いが起こったのだ。自分はベルトリウスから生まれてくるはずだった。そして彼は父であると同時に兄であり、弟として共に成長するはずだった。

 そう、目を閉じれば見えてくる……彼と過ごしたはずの理想的な日々が――。



 幼い自分を連れて馬の遠乗りを楽しむベルトリウスの姿……剣の握りが弱いと手を取って指導してくれるベルトリウスの姿……浄化の光を披露してやれば、目を輝かせて自分をたたえる小さなベルトリウスの姿……。



 ああ、あんなの元に生まれるなんて、一度しか殺せないのが口惜しい。

 本当はずっとベルトリウスと共に生きるはずだったのに、赤子の時から一緒にいられるはずだったのに、あんな男と女の元に生まれるなんて……ずっと時間を無駄にしていたじゃないか……。



「ずっと一緒にいられるはずだったのに……」

「……死んだ人間に惑わされるな。俺の言うことだけを信じるって約束しただろ?」

「ああ、勿論……当然だとも……」



 親の言うことは絶対だからな――。



 ケランダットは”今”を噛み締めるようにベルトリウスを腕の中に閉じ込めた。

 またも父親を引きずるような発言にムッと顔をしかめてたしなめたベルトリウスだったが、ケランダットの妙に落ち着いた返しに若干の違和感を覚えていた。


 奇跡的に会話が噛み合ったお陰で、両者の関係に悪い変化が訪れることはなかった。

 それどころか意図せずケランダットの盲目的な信頼に磨きがかかったため、ベルトリウスとしてはありがたい展開なはず、なのだが……?






 ……二人が爛れたやり取りをしている一方、奥では処置を終えたユー・ボーローが、ルルチの膝に顔をうずめて泣き付いていた。


「ブルルッ……痛かったァ〜……俺サマ初めて”痛い”ってのを感じたぜ……俺サマ、サイキョーなのに……サイキョーは”痛い”なんて感じねェーのに……」

「モウッ、ボーローサマを悲しませるなンて悪い人間サンですネッ! 悪い人間サンはコウですッ! ―― エイッ!!」


 ルルチは固く握った拳を、落ちていた霊具目掛けてドンッ! と思いっきり振り下ろした。

 いくら言動が可愛らしくても、そこは魔物……霊具は”グシャッ”とわびしい音を立てて粉々に砕け散り、ベルトリウス達が目を離している間に脆くも崩れ去ったのだった……。

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