91.それくらい、隣に立つなら当然だろう?

 目が覚めたケランダットは、頭に鈍痛を抱えながら体を起こした。

 ベッドの右手には、地べたに座り込んでオイパーゴスの治癒液が詰まった瓶を三角の山に積んで遊んでいるベルトリウスがいる。


「……何してんだ」

「いやぁ、この部屋なんもなくて暇なんだよねー。様子見とけって言われたから待機してたのに、お前はいびきかいて平和そうに寝てっし……大丈夫そうだと思って部屋を出たら、女王様に見つかって叱られちまうしよぉ……」

「今度ガガラから本でも持ってこればいい。字は読めるんだろう?」

「そうだな……それか詩人みたいに歌を歌ってくれる魔物をエカノダ様につくってもらうか……はぁ〜、何でもいいや。とりあえず飯食いに行こうぜ。スープの残りはまだまだあるからな。食い続けなきゃ効果が表れないってオイパーゴスが言ってたし、鍋が空になるまでは領地で食っちゃ寝生活だ。お前背ぇデカいくせに痩せすぎだしな。もっと肉つけろ、肉」


 気怠そうにぼやくベルトリウスの”痩せている”という指摘をけなし言葉だと捉えたケランダットは、難色を示すかのように顔をしかめて答えた。


「別に痩せてねぇよ……それに、起きたばかりで飯なんか入るか。俺は必要最低限の量でいいんだ」

「何も口にできない貧乏人だっているってのに、なぁーに贅沢なこと言ってやがる! 入らなくても食えっ! そんなんだから骨浮いた体してんだよ! 体重がなきゃ剣戟けんげきに持ち込まれた時に、敵に競り負けちまうぞ!」

「剣で勝負を仕掛けてくる奴なんて、魔術でどうとでもなる」

「うるせぇな〜〜、いいから黙って掻き込んどけよ!? おらっ、立て! キビキビ歩け!」

「チッ……またこれかよ……」


 先に立ち上がったベルトリウスから背中を強く押され、ケランダットは前回同様に部屋から叩き出されてしまった。




 二人は城の外の大鍋があった場所へ向かうと、中身が焦げないように根気よく杓子しゃくしを回していたトロータンと代わり、枯れた大地にどかりと尻をつけて食事を取り始めた。

 とはいえ、スープを口にするのはケランダットだけだ。初回はその場の流れで皆で食すこととなったが、本来魔物は食事など必要としない。そもそもこの食事はケランダットの療養のために作られたのだから、彼以外が食せば単に”無駄”となるのだ。


 ケランダットは何時間も掻き混ぜられながら煮込まれたドロドロのスープを口へ運びながら、ベルトリウスが調理中に熱弁していた内容を思い出して、気遣いの一言を告げた。


「……溶けてもうまいぞ」

「あぁ? なんだよ急に……そりゃ俺が作ってんだから時間が経ってもうめぇのは当然だろ? なんせ俺は何でもできる男だからなぁ〜。料理もできて、狩りもできて、仕事もできる……その上ツラもいいときた! まさに完璧な存在だな! お前もようやく俺の素晴らしさが理解できたか?」

「そこまで褒めてねぇけどな……ツラって言やぁ、料理なんて無縁そうなツラしてるくせに、どうして作れるようになったんだ? 飯屋でも目指してたのか?」


 何の気なしにケランダットが尋ねると、上機嫌だったベルトリウスは昔を懐かしむように目を細め、しみじみと語りだした。


「盗賊団じゃ、下っ端が調理を担当するもんなんだ。俺はそこたら中で恨みを買ってたからなぁ……頭領になった後も他人に一服盛られないか心配で、自分の飯は自分で用意してたんだ。嫌でも腕は上がるさ」

「……お前はどうして盗賊になったんだ? 故郷が嫌になって家を出たのか? それとも元から捨て子だったとか……」


 以前から相棒の境遇を知りたくてたまらなかったケランダットは、なるべく機嫌を損ねない言葉を選びながら恐る恐る口を開いた。

 そして横目でチラリとベルトリウスを盗み見ると……残念なことに作戦は失敗だったらしい。


 黄昏時たそがれどき彷彿ほうふつとさせる鮮やかな紫眼は、束の間息を止めてしまうほど深みのある圧で、ケランダットを刺し貫いていた。今しがた和気あいあいとやっていたのが嘘のように、場の空気は一気に冷えだした。


「……俺は誰かさんとは違って、ちゃんと家族に愛されて育ったよ。盗賊に堕ちるまでの過程は色々あったが、それは人に教えるほどでもないくらい世にありふれた理由だ。聞いたってつまらねぇよ」

「……前に……教えてくれるって言ってたじゃないか。カイキョウに行く前……俺はずっとお前の口から話されるのを待ってるのに、お前は一向に聞かせてくれないし……そろそろ教えてくれてもいいだろう? 俺達の仲はもうかなり……深いものじゃないか?」


 ケランダットは自分でも、これ以上続けるべきではないと分かっていた。だが戦闘に関すること以外はてんで不出来だった彼は、一度始めた会話を止められなかった。

 これを言ってしまうと相手の気分を害すると理解していても、心に浮かんだ瞬間にその言葉は自動的に口から吐き出され、止める間もなく他者を傷付けた。焦れば焦るほどその傾向は顕著になり、今もこうしてベルトリウスの不興を買った。


「覚えがねぇな。夢の中の会話と間違えてんじゃねぇか? 早く飯を食えよ」

「そうやってすぐにはぐらかして……お前はいつもそうだ、卑怯じゃないか。俺は自分の生い立ちも今の気持ちも何もかもを伝えてるのに、お前は何も教えてくれない……家族構成とか、どういう幼少期を過ごしたとか……一緒に行動するなら知っておかなきゃいけないはずだ」

「気色悪ぃ……連れってだけで何でもかんでも話さなきゃいけねぇと思ってんのか? 俺は別にお前の生い立ちなんて興味なかったよ。そっちが弱って一方的に喋りだしたんだ。俺にまで自分語りを強要すんな、いい迷惑だぜ」


 ケランダットが喋る度、ベルトリウスの表情は険しくなっていった。金の両眉が苦々しく中央へ寄せられて生まれたシワも、形の良い目が引きつったように歪んだ一瞬の表情も、その動作一つ一つがケランダットの心拍数をはね上げた。


 ベルトリウスの隣はとても落ち着くが、彼が機嫌を損ねた際の緊張感は亡き父……ラズィリーの顔色をうかがっていた時のものとよく似ていた。

 ただ父と違ってベルトリウスは最終的に”ゆるし”てくれるので、まだ希望があった。この緊張感を我慢すれば、そのうち向こうから折れてくれる……そんな救いようのない期待を無意識に抱いていたケランダットは、スープが入った器を地面に置いて、ベルトリウスに向き合って訴えかけた。


「俺は……充分よくやってるだろう……? 少しぐらい俺の気持ちに応えてくれてもいいんじゃないか? あの卵の中は一回でも気が狂っちまいそうなのに、何度も何度も繰り返し出たり入ったりして……もうおかしくなりそうなんだっ……! もっと俺を支えてくれ……! 出会った頃みたいに俺に優しくしてくれよ……!」


 大の大人が子供のようにぐずって泣き言を吐く光景は、とても見苦しいものだった。

 結局いつもこうやって、ケランダットが原因で仲がこじれるのだ。たとえ許しを得たとしても、それは一時しのぎで悪循環からは抜け出せていないというのに、愚かなケランダットは目先の安堵を掴むことに一生懸命だった。



 少々の間の後、ベルトリウスは依然冷たい眼差しでケランダットを見据えながら、軽蔑を交えた声で静かに尋ねた。


「……ずっと疑問だったんだけどさぁ、お前って俺に恋愛感情を抱いてんの? ”気持ちに応えてくれ”とか”支えてくれ”とかってのはつまり、”一発ヤらせろ”ってこと?」



 ―― その言葉に、ケランダットは今度こそ全ての動きを止めて固まった。



「はっ、ぁっ―― !? なっ、なっ、なっ……なんでそうなるっ!? おまっ……おっ、おれのことをそういう目で見てたのかっ!?」

「見てるわけねぇだろ。お前の接し方が熱っぽいから聞いてんだっつーの。……え、じゃあ違うわけ? ただの友情でこんだけベタベタしてくるってこと? そっちのが怖ぇわ!」


 返事を聞いたベルトリウスはとげ立った圧を解き、普段の明るい調子を取り戻して驚きの声を上げた。

 片やケランダットは、金槌で頭をかち割られたような衝撃に襲われていた。

 親愛の情から捧げていた人生最大の献身を、恋愛感情と勘違いされていた……これは同性愛を毛嫌いするケランダットにとって、最もと言っていいほど酷い侮辱ぶじょくだった。



 父であるラズィリーはよくケランダットに対して、”落後者らくごしゃが多くを望むな”と難癖をつけていた。真っ直ぐだったケランダットは忠実に言いつけを守り、甘えたい盛りからずっと己を律し続けて、あらゆる欲を抑える努力をしてきた。

 しかしあの最悪な弟……コデリーは、そんなケランダットを嘲笑うかのように自由気ままな生活を送り、生きているだけで兄の憎しみを増幅させた。


 人は憎い相手に関連する全ての物事をも憎むようになる……いつしかケランダットは、コデリーのように体が細く声の高い男性全員に拒絶反応を示すようになった。合わせて母親への嫌悪から、女という性に収まる全ての人間を見下した。


 女は男を腐敗させる……腐敗に抗えないような軟弱な男もまた、悪しき女と同等なのだ。



 こうして幼少期から叩き込まれた呪詛じゅその如き差別意識は、大人になったケランダットの心に色あせず残っていた。

 たちが悪いのは、そんな意識をしている本人が、極端な親愛表現しか取れないところである。

 はたから見ればそれは恋慕に見えても仕方ないのだが、ケランダットとしては純粋に、大切な友を失わないように出来得る限り優しく接しているだけなのである。


 それがまさか、献身をかさに肉体関係を迫っているような下劣な変態だと思われていたなんて……ケランダットは怒りを通り越して、悲嘆に押し潰されそうだった。


「べっ……ベタベタなんかしてないだろうっ……!? あっ、あっ、あのガキ共みたいに無闇に体に触れているわけでもないのにっ、おれのどこがカマ臭ぇってんだっ!?」

「カマ臭ぇとかじゃなくてさぁ……なんか、言動の端々がマジっぽいんだよね。見た目は如何にも野郎臭ぇのに、思考が丸っきり女だぜ。それも相当面倒な部類の」


 焦る自分を見て何とも言えない表情で話すベルトリウスにケランダットは思わず脱力してしまい、斜め横の地面に倒れるように片肘をついて、呆然と虚空こくうを眺めた。


「お……俺はお前の力になりたいから努力してきたのにっ……こんな誤解を受けるのはあんまりだっ……! 男が男のことを好きになるなんてあるはずねぇのにっ……クソッ、屈辱的だっ……!」

「んー……勘違いしたのは悪かったけどよ、そこまで嘆くほどのことか? 男色趣味なんてそこたら中にあんだろ。傭兵団を転々としてたくせに、仲間内でデキてる奴らの一組も見たことがないのか?」

「あ”っ―― !? っるわけねぇだろっ!? 傭兵団にいたからって、なんでんなもんを見ることになるんだ!?」

「本当に周りを気にせずに過ごしてきたんだな……同性しかいない閉鎖的な空間じゃ、野郎同士で付き合う奴らは結構いただろ。俺が盗賊やってる時も隠れてイチャついてる団員はいたぜ? 女同士でもそうだ。娼館しょうかんでも娼婦しょうふ同士が繋がって、派閥を巻き込んだ大喧嘩に発展して大変だったって昔の女がよく愚痴ぐちってたからな」


 ……ベルトリウスが語る業界の性事情は、彼が即席で作った嘘だと信じたいくらいに吐き気を催す世界だった。

 ケランダットは口を小さく開閉させながら、声を震わせて言った。


「でも……お前は違うだろう……? 俺だって違う……」

「まぁ、俺が抱くのは大抵女だからな。肉付きのいい女は最高だよ。男娼だんしょうは借金のカタに売られた貧相なガキが多くてなぁ……かと言ってむさ苦しい野郎は好みじゃねぇし、つ奴が見つからなくて難しいんだ。そうなるとやっぱ女が手頃でな」

「……だん……はぁ? つまり、娼婦の……男版ってことか……?」

「そう」


 あっけらかんとして頷くベルトリウスに、ケランダットはもう開いた口が塞がらなかった。先程から衝撃の連続で頭が追いつかない。まさか絶対視していた存在が、己が最も忌避きひしているものに耽溺たんできしていたなんて、受け止めきれなかった。


 今までベルトリウスに押し付けていた”理想”が、自身の中で音を立てて崩壊していくのを感じる……ケランダットは手酷い裏切りを受けた気がした。


ただれてるっ!! なんて奴だっ!! 最初から女を買えばいいだろうっ!?」

「ははっ、なんだそれ? なんで他人にシモの指示を受けなきゃいけねぇんだよ。俺が誰のどの穴に突っ込もうが、てめぇにゃ関係ねぇだろ?」

「関係あるだろうっ!! つるんでる俺までだと勘違いされちまうっ!! だいたい人間は雌雄じゃないと子を成せないのにどうして無駄な行為をするっ!? 快楽のためにまぐわうのは獣と同じだ!! 浅慮な生き物になるな!! 魂を腐敗させるなっ!!」

「くくっ……人殺しのくせに、今更誰の目を気にしてるんだ? お前って傭兵稼業に身を置いてた割に、根っこのところがお坊ちゃんだよな。育ちのいい奴はこういうところがうるさくてかなわねぇ……男もいいもんだぞ。乱暴しても簡単には死なないし、何より征服欲が満たされる。女には愛を、男には恥辱ちじょくを……ってな。倒錯した活こそ盗賊のたしなみさ。おめぇもいっぺん男に突っ込んでみたらどうだ? 暴力振るって勃起ぼっきする変態野郎なんだし、案外女じゃなくてもイケっかもよ?」

「あっ、ありえないっ……!! なんてやつだっ……信じられないっ……!!」


 からかうように嫌らしく笑うベルトリウスを見て、ケランダットは顔を背けて話を切った。

 もう自分を幻滅させないでほしかった……それなのにベルトリウスは追撃を加えるかのように、ケランダットへと疑問を飛ばした。


「”雌雄じゃないと”って言うけど、じゃあお前、女を拒否してるくせに結婚願望があるんだ? 自分一人まともに生きることもできねぇくせに子供が欲しいわけ?」

「違う、俺はっ……家庭なんて持つ気はないが、生物がまぐわうのは繁殖を目的としているからだ……意味のない行為はただの”堕落”だ……」


 幼い頃に読んだ教本にはそう書かれていた。

 地上に生命を降らせたカヤスリエは、必ず雌雄で種を誕生させたという。対を創ったということは、それが神が定めた”結ばれるべき”という意思であり、道外の色欲に溺れし者は異端なのだ。それが教えだ。

 偉大な聖職者達が神の遺物を調べて天下に広めた”常識”を、ベルトリウスはつまらないものだと言わんばかりに鼻で笑った。


「全ての物事に意味を求めてるのか? 生きづらい奴だな……もっと楽に考えろ、人生は太く短くだ。長生きしたってろくなことはねぇ。短い命の中でどれだけの快楽をむさぼるかに意義があるんだ。どうせお前は死んだ後の地獄行きが決まってる。今更節制を守ったところで免罪されるわけでもないんだから、しょうもねぇ価値観で”今”を浪費するな」



 ベルトリウスの言葉はいつだってケランダットの心を揺るがせる……しかし彼の話術をもってしても、長く根付いた意識を変えるまでには至らなかった。


 生気を燃やすベルトリウスの瞳は、夏の陽炎かげろうのように美しく歪んでいた。自分にはない確固たる自信や生き方がまぶしくて……恐ろしくて……クラクラとめまいがした。

 直視していると彼の世界に引き込まれてしまいそうで、ケランダットは慌てて目をそらした。


「……こればかりは、俺の意見は変わらねぇ……お前は異常だ……病気なんだ……」

「酷い言い草だな……ほら、こうやって分かり合えないことってのが絶対にあるから、お互い深く踏み込み合うべきじゃないんだ。ああは言ったけど、俺は別にあんたに考え方を変えてほしいなんて思っちゃいない。今この瞬間から嫌われたっていい。今後距離を置いてくれても構わないんだぜ? 人間好き勝手に生きて、最後は馬鹿みたいに死ねばいいんだからな」


 柔らかく微笑んだベルトリウスは一人立ち上がり、フポリリーの群生地へと歩いて消えていった。


 後を追おうとは思わなかった。

 ベルトリウスには己が理想とする完璧な存在でいてほしかった。親友であり兄として慕っている男が、コデリーのような腐敗した者と同じになってほしくなかった……。



 ケランダットは地面に置いていた器を再度拾い上げた。少しぬるくなったスープを食しながら、自身が口にしたようにベルトリウスの嗜好しこうを病気だと思うことにした。

 病気なら治す余地がある……今度は自分が恩に報いる番だ。病気を治してやればきっとベルトリウスは自分に感謝して、爛れた付き合いをやめてくれるはずだ……。


 ケランダットは小さく鼻をすすり、あとでオイパーゴスに相談してみようかなどと柄にもなく考えたりしながら、器を空にした。

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