50.少女信仰

「タオルをくれてやった時のあいつらの反応見たかよ? 俺ので汚れてんのにさ、店の貰いもんだと分かると取り合いになって……くくっ、醜い争いだよなぁ?」

「この手の話はもういい」

「ははっ、分かった分かった。シモの話ってのは苦手な奴はとことん苦手だからな、もうお坊ちゃんを無理に誘うのは止めるよ」

「……お前、あんまり調子に乗ってると本当に焼き殺してやるからな」

「おぉ~、怖い怖い! ……さて、食って飲んで発散して……休憩は充分に取ったことだし、そろそろ仕事すっか。こっからは別行動だ。お前はクリーパーを呼んで先に領地に戻ってろ」


 むさ苦しい熱気に包まれた世界から表通りへ戻った二人は、ひんやりとした夜風に当たりながら並んで歩いていた。

 しかし突如として撤退命令を下されたケランダットは、困惑のあまり足を止めて口をもごつかせた。


「どう、して……店で揉め事を起こしたのを気にしてるのか? あれはお前が無理に誘ったせいだ、だから俺は断ったのに、お前が……」


 やや遅れて立ち止まったベルトリウスに向かって、半ば責任を押し付ける形で弁明するケランダット……突き放される原因といえば、これしか浮かばなかった。


 対して、とてつもなく深刻そうな面持ちで尋ねられたベルトリウスは、一体何を勘違いしているのかと首を傾げながら棒立ちになっている相棒の方へ近寄り、こそこそと耳打ちをした。


「別にあれのせいで帰れって言ってんじゃねぇよ。前にガガラの領主は魔術師を囲ってるって話をしてだろ? オーレンじゃお前を生け捕りにしようと、親父と兄貴が手を抜いて戦ってくれたが、ここの領主は身内じゃねぇんだ。敵対者と分かれば初めから殺りにかかってくる。だから今回は上で待機してな」


 街中でするには危なっかしい内容に一応は納得できたケランダットであったが、要は戦力外通告であることに改めて気を落とした。

 思い出したくもない例の血縁者達が頭の中で、”結局お前は何の役にも立たないのだ”と嘲笑っていた。


 ケランダットは腹の底からムカムカと湧き上がる苛立ちをどうにかして収めたかったのだが、今これをベルトリウスに相談したところで”いいから早く帰れ”と鬱陶しがられるのが落ちだし、ここは素直に頷いて地獄うえへ向かうしかなかった。


「……入れ替わりでガキを寄越せばいいのか?」

「イヴリーチのことか? ここでできたと色々下準備をしておきたいからな、連絡を入れるまでは必要ない」


 ベルトリウスは暗い表情のケランダットとは対照的にケロリとした顔で答えると、クリーパーを呼び出すためにコバエを一旦貸し与えた。


 ケランダットは別れの前に、自身の懐に手を突っ込んで内胸辺りをまさぐりだすと、甘い香りが僅かに漏れ出る小袋を取り出して、ベルトリウスに差し出した。


「これ、預かってろ。持ってたらまた……手を出すかもしれない」

「ラトミス? まだ残ってたのかよ……ああでも、自分から出したのは偉いな。うん。吸ったらこれまでの努力が水の泡だからな。ちゃーんと預かっとくよ」

「……偉いって、俺はガキか」


 感心したように言いながら小袋を受け取るベルトリウスに、ケランダットは渋い顔で突っ込みを入れた。

 そして、二人はそれぞれ逆方向へと歩いていった――。




◇◇◇




「もうっ、ビックリしたんだから!! こいつッ、こいつッ!!」


 イヴリーチは地獄へ戻ってきたケランダットの前で、死骸と化した敵の魔物に何度も尾を叩き付けていた。



 地獄に戻ったケランダットがまず目にしたのは、土煙を巻き上げながら荒野を直進する見たことのない大型の魔物と、それに追われているイヴリーチの姿だった。

 クリーパーに根城の屋根へと降ろされたケランダットは、待ち構えていたかのように腕を組んで直立していたエカノダに、眼下の敵を狩るよう着いて早々に指示を受けた。


 捕らえられるまであと数メートルというギリギリの間隔で逃げ回っているイヴリーチにエカノダが合図を送ると、少女は城の入口を目指して駆けた。

 尾の先が城内へ消えた瞬間、ケランダットは入口付近に浄化の光を展開した。

 相手の魔物は強力な光の帯へ自ら飛び込み、悲鳴を上げる間もなく即死した。


 エカノダはちょうど良い頃合いに現れたと、城が破壊される前に魔物を討ち果たしたケランダットを評価した。

 しかし、地上での青い気持ちを引きずっているケランダットには、そんな称賛しょうさんもむなしく耳を通り抜けるだけだった。



 そして現在……いきなりの衝突を食らい、初めに戦闘不能になって倒れてしまった巨人ノッコ以外の身内全員で、仕留めた大型魔物を取り囲んでいた。

 長い体毛に覆われたついの脚が何組も胴から生えている、自然界で言うところの蜘蛛くもに似た魔物を眺めていると、この構造でよくあれだけの速度を出すことができるなとケランダットは素直に感心した。


「こいつはただの暴走した魔物ね。管理者ではないわ。ノッコを回復させるために魂を大量に消費するから……はぁ、まったく大損だわ」

「巨人を復活させなけりゃいいだろう」

「あら、薄情ね。あの子は敵の実力を測るために犠牲になってくれているのよ? 雑用もこなしてくれるし、いないと少し不便だわ」

「どっちが薄情だ」


 問答を交わすと、エカノダはイヴリーチとトロータンを連れて、大型魔物を引きずりながら城内へと消えていった。

 他に指示を下されなかったケランダットは、暇なので荒野を散策することにした。



 地獄はいつ訪れても夕暮れ時のような妙な明るさがある。地上では夜だったのに、こうも明るいと眠気も飛んで意識が覚醒してしまう。

 ここら一帯がエカノダの領地とはいえ、城から離れすぎると敵に襲われる可能性があるので遠出はできないが、ケランダットはベルトリウスと別れてからの憂鬱ゆううつな気持ちを紛らわすため、当てもなく歩き回った。


 離れていても、城から花頭を突き出しているフポリリーはよく目立った。

 大型魔物の襲撃時にあの花に攻撃させればよいではないかとエカノダに提言してみたところ、彼女からの返答は、”獄徒の回復のために無駄に魂を消費したくない”……だった。

 結果的にノッコが犠牲になってしまっているのだが、エカノダが言うには、図体の大きい者ほど復活に消費する魂が増えるらしい。貧乏性が原因でいらぬ損失を出してしまっては、元も子もないのだが……。



 そんなことを考えながら、うねうねと踊っているフポリリーをぼーっと眺めていると、城の方からこちらへ向かって来る影が見えた。

 近付いてきたのはイヴリーチだった。


「今、いい? お話に付き合ってもらいたいんだけど……」

「……俺に?」


 おおよそ話し相手に似つかわしくない自分をわざわざ追ってきたイヴリーチに、ケランダットは眉をひそめて視線を返した。


「例の商会のこと……どうかな? 何か分かった? 誰か殺せた? 気になって仕方ないの」

「……まぁ、そうだな。始まりから見れば……ちょっとは進展してる」


 まさか飲み食いして遊んでましたとは言えず、ケランダットは当たり障りのない返事をした。

 察しの良いイヴリーチはその答えが出発時とほぼ変わらぬ状態だと物語っているのに気付き、申し訳なさそうに笑って言った。


「ごめんなさい、急かしちゃって。おじさん一人で戻って来たってことは、お兄ちゃんだけで進めてるんだよね。じゃあ、分かんないよね」

「……ゆっくりだが、着実に進んでいるのは確かだ。あいつに任せておけば成るように成る。俺の時もそうだった」


 イヴリーチに対して様々な事柄から少々の罪悪感を抱いているケランダットは、精いっぱいの励ましを口にした。

 不器用な男の言葉を素直に受け取ると、少女は柔らかな笑みで”ありがとう”と告げた。


 今はこんな穏やかな態度を取るイヴリーチだが、ケランダットは彼女の苛烈かれつな一面を知っている。商会が保有する村での出来事は、今も頭の中に鮮烈に残っているのだ。

 罪なき子供を感情のままに殺害したあの残忍さ……あの時は薬のせいもあって”何とむごいことを”と不快感を抱いたものだが、今になってみれば、あれは当然の選択だったと理解できる。

 自分が同じ立場であったならば、あの時同じ行動を取っただろう。ケランダットがイヴリーチを遠ざけようとしないのは、そんな同類意識からだった。


 だから、この少女であれば己の悩みに対する答えをくれるかもしれないと、ケランダットは思い切って、あることについて相談してみることにした。


「俺からもいいか」

「ん? なぁに?」

「とても個人的なことなんだが……例えば、仲のいい……奴が、自分の嫌う場所に行こうと誘ってきて、こっちは行きたくない意思を伝えたのに結局無理矢理連れて行かれて、そこで自分がへまをしてしまった場合……お前ならどうする?」


 俯きがちにボソボソと喋るケランダットに、イヴリーチは目を数回まばたかせてから首を傾げて考え始めた。


「うーん……まず、その場所に行かないかな。私だったら誘われた時点でキッパリ断ってると思う。それでも強制されたら、たぶん怒ってその友達に色々言っちゃうと思う」

「そんなことをして、相手に見放されないか怖くならないのか?」

「だって、イヤなんでしょ? 無理矢理連れて行こうとするなんて、その友達の方がおかしいよ。本当に仲のいい友達って、お互いの嫌がることしないと思うよ」

「……」


 自分の思い描く友人の在り方というのを説明すれば、ケランダットはどんどん浮かない顔になっていった。

 彼を悩ませている者の正体に気付いたところで、イヴリーチは困ったように話を続けた。


「おじさんの言う友達って、ベルトリウスお兄ちゃんのことでしょ? 私もあの人のこと好きだけど……酷い人だとも思うよ。割り切って付き合わないと、こっちが傷だらけになっちゃう人」

「……別にあいつの話をしたわけじゃない」

「ふふっ……でも、おじさんといる時のお兄ちゃんは何ていうか……元気だから。私やエカノダ様としゃべってる時の態度とは全然違う……いい子ぶってない、って言うのかな? たぶんお兄ちゃんもおじさんと一緒にいるの楽しいんだと思うよ」

「あいつの話じゃないと言っているだろう」


 ”じゃあ誰の話?”と聞くと、ケランダットはまた無言になった。

 イヴリーチはエカノダやベルトリウスが彼に意地の悪い言葉を掛け続けるのが分かる気がした。いつもの澄ました顔が、己の一言であからさまに変化するのが面白いのだ。


 しかし、イヴリーチも生粋のワルではない。

 ここからはなるべく傷付けないような言葉を選んで、助言することにした。


「お兄ちゃんの好きなものがおじさんの嫌いなものだったり、その逆もあるかもしれない。そういう好きと嫌いが一緒にならないってことは、家族や友達同士でもあることだと思うよ。お互いに我慢できればいいんだけど……」

「……お互いに我慢できない場合はどうする?」

「さっきも言ったけど、私はそんな合わない人のことを友達だとは思わないから、とにかく距離を取るかな。私、結構怒りっぽいからね。でも、おじさんは別れたくないんでしょう? だったら、これ以上私の意見は参考にならないと思う。結局は自分がどうしたいかだよ。いっそのこと、素直に言いたいこと言ってみれば?」


 子供ならではの自分を曲げない真っ直ぐな意見に、ケランダットは唸るような返事しかできなかった。

 参考にはならなかったものの、話していて少し気が楽にはなった。

 ケランダットは気まずそうに視線をそらして、この会話を終わらせることにした。


「悪かった……こんなの、大人がする話じゃなかったな……」

「そんなことないよ! 私も期待に応えられる返しができなかったみたいでごめんね? でも……ふふっ! なんだか弟の相談に乗ってた頃を思い出しちゃった。今回みたいにきちんとした答えが出せないかもしれないけど、私でよかったらまたいつでも話を聞くよ」

「……弟?」


 一見して比べただけでも倍の年の差が想定できる少女から、さらに年下であろう彼女の”弟”と同列に並べられたケランダットは、眉間にくっきりとシワを作って不満げな調子で言った。


「俺をいくつだと思ってるんだ」

「いくつなの?」

「……三十半ば」

「わぁー、年相応の顔ー。意外性がないねぇー」


 旅の最中はその日その日の確かな日付までは判断が付かないが、訪れた先々で催される祭りや、役所から下りてきた決まり事を市民に伝える公示人と呼ばれる者達の台詞などから、だいたいの月ぐらいは把握することができる。


 クスクスと笑うイヴリーチにつられて固い口角を僅かに上げると、城からまた別の影が二人の元へ向かってきた。

 艶やかな黒髪を揺らして歩いてきたのは、エカノダであった。


「イヴリーチ、ついに地上からお呼び出しよ。行きなさい」

「わっ、本当っ!? 行きますっ、行ってきますっ!! じゃあね、おじさんっ!!」


 エカノダに呼び掛けられたイヴリーチはこれまでにないほど目を輝やかせ、ケランダットに一瞥もくれず挨拶だけすると、地鳴りと共に現れたクリーパーの口内に飛び込んで消えた。



 そうして……何もない荒野に残ったのは、相性の悪い二人だけとなった。


「へぇ~~~~~~~~~~……イヴリーチには心を開いてるのねぇ? 弟ねぇ~~~~~~?」

「……」


 やはりと言うべきか……盗み聞きしていたエカノダは、わざとらしい口調で煽り立てきた。

 ケランダットは心の扉を勢いよく閉ざすと、彼女を置いて足早にその場から去った。

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