46.儘、甘受すれば…

 ベルトリウスは第二市場のとある酒場の入口で店内の混み具合を確認すると、きびすを返して別の店へ移り、同じように中のにぎわいを確認してはまた別の店へと移った。


 ベルトリウスはすぐに飯にありつけそうな飲食店を探していた。

 温かい日はどの店も入口の扉を開放しているので、遠目からでも混み具合を把握できるのだが、近頃の冷え込みではどこも厚い扉を閉め切り、こうして店内へ直接覗きに出向かなければ中の様子を確認できないのが不便であった。

 各店の戸を開けては閉め、開けては閉め……似たような動きをしている人間が市場にちらほらいたため、ベルトリウスの行為は特別目立ったものではなかった。


「ちょうど飯時だから、どこも混んでんな。どいつもこいつも飲み始めたら長いこと居座りやがるし、人のいない店は不味いってことだしな……ってかケランダットってさぁ、食いたいもんとかねぇの? お前の腹ごしらえに行くんだから自分で好きな店選べよ」

「別に……好みはないし、何ならこの腹の空き具合なら次の朝まで持つ」

「いや食えよ……何のために換金してきたと思ってんだよ……何でもいいなら俺が勝手に決めちまうからな? あとで文句言うなよ?」


 謎の頑張りを見せようとするケランダットに代わり、ベルトリウスは適当に目についた食堂へ足を進めた。


 ケランダットが最後に食事を取ったのはオーレンの襲撃前だった。それもパン一個と少量の干し肉だけ。

 あれから恐らく丸一日は経っているが、定期的な水分補給以外に彼が何か口にしているところをベルトリウスは見たことがなかった。常人と同じように動き回っているし、普通ならかなり腹が減っている状態のはずだが……。

 そういうわけで、ベルトリウスは彼に何か食わせてやらなければと、ケランダットを連れて多くの飲食店が建ち並ぶ第二市場へと戻ってきたのだ。盗賊団が運営する宿屋の食堂で済ませていくことも考えたが、地下でたっぷりと恨みを買ってきた手前、一服盛られる可能性を考慮して一般人が営む店を選びたかった。


 魔物の身では無縁となった空腹や睡眠などの生理現象を煩わしく思いながらも、ベルトリウスはそこそこ年季の入った店の扉に手を掛け、立ち止まった。


「もうこの店に決めちまうけど……不味くても文句言うなよ?」

「それは分からん」

「”食わねぇ”っつった人間は文句言えねぇんだよ!」


 ケランダットを一喝して中に入ると、楽しげに会食する人々の声が二人を迎えた。

 店内は全体の半分くらいの席が客で埋まっており、各々のテーブルで和気あいあいとした空気が流れている。酒や焼かれた肉のこうばしい香りが充満するお手本のような大衆食堂は、なかなか居心地の良い雰囲気をかもし出していた。


 新たな入店者に気付いていないのか、前掛けを付けた店員らしき中年女性は厨房と繋がったカウンターに肘をつき、奥の料理人と駄弁に夢中になっていた。特に案内が始まる様子もないので、勝手に空いている奥の席に座る。

 ベルトリウスは壁に掛けられている、料理の絵だけが描かれた木製の品書きを眺めながら、対面の椅子に腰掛けるケランダットに話し掛けた。


「好きなの頼めよ、金はあるからな。何日か食わなくても平気なくらい食っとけ」


 今のベルトリウス達の所持金は、宝石を売却したお陰で百五十イズ以上あった。結局手放したのは一粒だけだったが、ぼったくられかけた分をぼったくってやろうと、相場よりもかなり高値で買い取らせた。泣く泣く金を包むムドーの姿は実に不憫ふびんなものであったが……あとは、ケランダットが以前の傭兵業で稼いでいた分の残りの銅貨四枚も手元にある。

 数日は優に豪遊できる資金に、ベルトリウスは”束の間の休息を楽しめ”と軽く笑ったが、欲のないケランダットは無気力そうに椅子の背もたれに寄り掛かるだけだった。


「俺がそんなに食べるように見えるか。どれでもいいから、適当に二人分頼め」

「あ? 二人分? 俺にも食えってこと?」

「……食わないのか」

「だって俺、食わなくても問題ねぇしな。金が勿体ないだろ?」


 魔物には疲れも休息も食事も必要ないということは、ケランダットも知っているはずだ。

 しかし、彼は不満げに目を細めて言った。


「二人いるのに一人しか食ってねぇのはおかしいだろうが。怪しまれたいのか?」

「そんぐらいで怪しまれるもんかぁ? 片割れだけ先に別の店で済ませてて、後から合流したってこともありえるだろう。……まぁいいけど。食えってんなら食うぜ。酒も浴びるほど飲んで帰る。次いつ飲めるか分かんねぇからな」

「……気変わりの早い奴だ」


 意見を塗り替えたベルトリウスに憎まれ口を返したケランダットであったが、その表情は心なしか嬉しそうだった。



 ベルトリウスはカウンター前にいるお喋りな店員に声を掛けた。注文を聞いた店員は一旦厨房へ引っ込むと、すぐに大きなピッチャーと空のコップ二つを持ってテーブルまで戻ってきた。そして諸々を置き終わると、また奥の厨房へと消えていった。


 ピッチャーの中は独特の発酵臭のする、ドロドロのかゆのようなビールで満たされていた。

 ベルトリウスはそれぞれのコップにビールを注ぐと、片方をケランダットの方へと押して渡した。向こうがコップを手に取ったのを確認すると、なみなみに注がれた自身のコップを当たり前のように顔の前に掲げた。


「んじゃ、久々の休みに乾ぱーい」


 そう乾杯の音頭を取るベルトリウスに、コップを受け取った流れですぐに口を付けようとしていたケランダットは少々面食らった様子でベルトリウスを見てから、たどたどしい仕草で己のコップをコツンと小さくぶつけた。

 お互いゴクゴクと喉を鳴らしながら、飲み物というより食べ物に近い液体を腹に流し込む。ケランダットは何口か飲むと一度コップを顔から離したが、ベルトリウスは全て飲み干さんばかりにビールをあおっていた。


「ブアァ〜〜〜〜ッ!! うめぇ〜〜……!! 何ヶ月ぶりに飲んだからか、めちゃくちゃうまく感じる……」

「失礼だねアンタァ!! ウチは何でもウマイんだからぁ!!」


 本当に注いだ分を飲み干してしまったベルトリウスが口周りのカスを手の甲で拭っていると、出来上がった料理を運んできた店員が茶々を入れながら皿を並べていった。

 鳥の丸焼きに、タハボートでは家庭料理として親しまれているパッキショ・パイ……酒以外に頼んだのはこの大皿料理二品だけだったが、一皿ごとの量が多いし、合わせて飲んでいるビールだけでも腹が膨れそうだったので、大人二人でも充分に満足できる品数だった。


 店員は皿を並べ終えると、最後にナイフを一つ置いて厨房へと帰っていった。

 ベルトリウスは一本しかないナイフを右手に持つと、左手で押さえた鳥肉を削ぐように切り取り始めた。



 ―― タハボートが属する大陸の西方……”ウォラント”と呼ばれる地域では、料理といえばこのように大皿で出される物が一般的だった。

 汁物であれば個々の取り皿に盛り付けるが、炒め物や丸焼きのような固形料理には取り皿が用意されなかった。後者の場合、各人にスプーンなどのすくい取る食器があればそれらでつつき合い、食器がなければ、人々は自身の手を使って大皿から直接料理をつまみ取った。

 何にしても唾液だえきの交じる食べ方だが、ウォラントで暮らす庶民は誰もそんなことを気にしなかった。地続きの周辺国……スティングラやロフィアノ、ジールカナンでも当然のように目にするこの食べ方は、余分な皿を汚す必要はないという生活用水の節約から生まれた意識であったが、逆に貴族は貧しさの象徴としてこの所作を嫌い、自らの裕福さを誇示するためにたくさんの食器を並べて食卓を埋め尽くすことを好んだ。


 大陸の東地方に位置するカイキョウ出身つ貴族育ちのケランダットは、この他者と食べ物を共有するウォラント流の食し方が嫌いだった。

 傭兵として同僚と共に食事を取らねばならぬ際も、ただでさえ気を許せない相手の唾液や手垢てあかが口に入ると思うと吐き気がした。それにつけても、カイキョウでは庶民であろうと個別の皿に料理を取り分けるのが普通だったので、尚更文化の違いを受け入れるのが難しかった。


 そんなケランダットの目の前では現在、毒を排出する魔物が己も食す料理に手を付けている……以前の自分であれば、こんな男の触れた物など絶対に口にはしないのだが、故郷での困難を共にした後となると、不思議と同じ肉をかじることに抵抗はなかった。



 ベルトリウスがナイフを使い終わると、ケランダットは皿に寝かせられたばかりのナイフを手に取り、相棒と同様に鳥肉を削ぎ落とし始めた。

 何片か細かく裂いたうちの一切れをつまみ、そのまま口へと運ぶ。香草こうそうを塗り込んでから焼いてあるのか、舌を刺激するピリピリとした痺れと若干の苦味が風味を引き立てる。

 期待していなかった割に好みの味に当たったケランダットは俄然がぜん食欲を湧かせたが、対照的にベルトリウスは最初の一口を含んだまま、ずっとモソモソと無表情で咀嚼そしゃくを続けていた。


「どうした」

「……いや、ジールカナンとは違った味付けだなと思って……あっちは酒も料理も甘いのに、ここのは香辛料が強めだ……」

「甘い料理なんて酒に合わないだろう。ジールカナンの奴らは味覚がイカれてるな」


 ケランダットの言葉に、ベルトリウスはムッと顔をしかめた。


「いや合うだろ? 甘い飯を甘い酒で流し込むのが最高なんだよ」

「最悪じゃねぇか。何食っても口の中が甘ったるいままなんて、想像しただけで気持ち悪くなってくる。お前、甘い物ばかり食ってたから歯が弱いんじゃないのか? 歯の周りが溶けてるから、殴られただけで簡単に吹っ飛んでなくなるんだ」

「おまっ……甘味が好きってだけで、何でんなボロクソに言われなきゃいけねぇんだよ!?」


 ベルトリウスの心外だと言わんばかりの表情に、久々に精神的優位に立てたケランダットは珍しく歯を見せて笑った。


 ぶつくさと呟きながらピッチャーを持ち上げたベルトリウスは、減っていた自身のコップへビールを継ぎ足した。

 ボチャボチャと重みのある音を立てて流れるビールを向かい側から眺めていたケランダットは、頭に浮かんだ素朴な疑問をぶつけた。


「そう言えばお前……いつも俺のことを”お前”って呼ぶのは何でなんだ」

「あ? ちゃんと名前でも呼んでるだろうが」

「圧倒的に”お前”呼びが多い。下に見られているみたいで腹が立つ」

「別にそんなことはないけど……単に俺の育ちが良くないだけだ。意味なんてねぇよ。ってかお前の方こそ、俺のことをいっつも”お前”呼びしてんじゃん。下に見てるってこと? ならもう、お互い様だろ」

「……俺はいいが、お前は駄目なんだ」

「なんだそりゃ、意味分かんねぇし。……じゃあなぁ、賭けをしようぜ。次、先に”お前”って呼んだ方が罰として相手の言うことを何でも聞くんだ。単純だろ?」


 そう言って、ベルトリウスは苦手な味付けを我慢して鳥肉を少量切り取り食べた。

 一方、くだらない誘いに乗る気持ちなどこれっぽっちも持ち合わせていなかったケランダットは、冷ややかな視線を浴びせて言った。


「お前の頼みなんて、どうせろくなもんじゃねぇ。一人でやってろ」

「つまらねぇ奴だなぁ、童心に帰るお遊びじゃねぇか? こういうのは軽いノリで付き合えばいいんだよ。まっ、お前ダチいたことなさそうだし分かるわけねぇか」


 完全に人を小馬鹿にした言い方に、ケランダットは黙ってベルトリウスを睨み付けた。ヘラヘラと挑発気味に返される笑みを視界に捉えるのも嫌になり、すぐに目を伏せて食事に集中する。


「あ、怒った? 結構分かりやすいよな、……あんた。ははっ、”あんた”は使っても大丈夫な? ふふっ、はははっ」

「……」

「出た! 無視! 出会ったばっかの時もそんな感じだったなぁ? あっははは! ハァ〜〜〜〜ァ…………何か喋れよぉー」


 ベルトリウスはねてしまったケランダットからどうやって”お前”を引き出そうか考えながら、まだどちらも手を付けていなかった大皿の上のパイを六等分に切り分けた。


「しかし、何とも不思議な縁だな。出会った頃は一緒に旅するなんて思わなかったよ。死んだらいつの間にか仲間になってるし、お仕えするご主人様より隣に並んでんじゃねぇの? 俺達」


 ベルトリウスは手前のひと欠片を掴むと、言い終わりと同時にパイにかじり付いた。

 ”獣のクズ肉を合わせたパッキショ”・パイ……魔物になってから汚臭が気にならなくなったせいか、噛むほどに感じるはずのイノシシやら鹿やらのキツい香りもお構いなしに食べ進めた。

 ただ、このパイの中にも鳥の丸焼きに使われたものと同じ香草が混ぜ込まれていたようで、ベルトリウスが少し切ない表情で噛み続けていると、注文の品が出揃っているにもかかわらず店員が席へとやって来た。店員は焼き立てのパンが乗った皿を空いている場所へ置くと、おかしそうに笑って言った。


「アンタ死んでるの? それなら、アタシの前にいるのは死人?」


 ……彼女にとっては軽い冗談だったのだろう。しかし、その発言はかなり核心を突いていた。


 ケランダットは一瞬殺気を店員に向けたが、ベルトリウスが制するように手のひらを見せてくるので対処を任せた。

 ベルトリウスは人当たりの良い顔を店員に向け、演技がかった口調で返答した。


「そう、俺は死んで……生まれ返った。そして前よりもっと酷い男になった。地獄に堕ちてみて分かったよ、ダメな奴ってのは何回死のうが変わらないんだ」

「あっははぁ! じゃあウチの旦那の浪費癖も一生直んないねぇ! これ、イケてるお兄ちゃん達に一品オマケだよぉ!」


 まさか本当に死に戻りを経験している男だとは思わず、店員はベルトリウスの台詞を比喩的表現として受け取り笑い飛ばした。

 パンの礼を言うと、店員は大きな笑い声を上げたまま厨房へと戻っていった。



 ありがた迷惑な絡みをやり過ごした二人は……特にケランダットの方は、溜息をこぼしてベルトリウスを見ていた。


は……本当に危なっかしいな」

「あっ、””って言ったな? 俺の勝ちだっ、約束は守れよ!」

「ああ? いや俺は……チッ、クソしょうもねぇ……」


 少しでも心配した自分が馬鹿みたいだと、一人盛り上がるベルトリウスにケランダットは呆れて閉口した。

 ベルトリウスは勝利の美酒を飲んで喉をうるおすと、上機嫌で眼前の男を見据えて言った。


「そういやぁ、……ははっ、ケランダットはさぁ、そっちこそ俺を一度でも名前で呼んだことがあんのかよ? 呼び方変えさせてぇなら、自分も人を名前で呼ぶように癖付けな」

「……断る」

「改まって呼び直すのが恥ずかしいのか? ガキじゃあるまいし……まぁいいや。実のところ罰はとっくに決めてあるんだ。名前は今後の楽しみに取っておくよ」


 口角を上げてからかい交じりの視線を送ってくるベルトリウスに、拗ねきったケランダットは無視を決め込んだ。


 その後、何やかんや食べ進めて満腹になった二人は店を出た。

 会計時、好意で追加されたはずのパンの料金もしっかり取られて……。


「”オマケ”って言われりゃ普通無料だと思うだろっ……こういうことしてるから客が少ねぇんだぞババアっ……!」


 ベルトリウスは飯時に席が空いていたこの店の謎に気付くと、天を仰いで恨みがましく呟いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る