32.財布役

 持ち直すまでにそう時間は掛からなかったマギソンと共に、ベルトリウスはスビと酔っぱらい達が待つ酒場へと向かった。

 入口の扉を開けると、頭を包帯でぐるぐる巻きにした男の登場に店内は一瞬で静まり返る。ベルトリウスは別段気にすることもなく、他の客同様に赤ら顔でこちらを見つめる使いっぱしりの元へ堂々と歩みを進めた。

 酔い潰れて机にうつ伏せて眠っている中年達の間で一人、肩身が狭そうに体を縮こませて座っているスビ……ベルトリウスは出入り口の方に首をクイッと傾けて彼に告げた。


「引き上げるぞ」

「はい……あのー、代金ですけどぉー……」


 ”一応払いはしたんですが……”と歯切れ悪く答える様を見るに、男達からくすねた分だけでは不足があったのだと察しが付いた。しかし、初めから金を持ってるような集まりには見えなかったので想定の範囲内ではある。元より出来上がっていた呑んだくれ達を追い酒で潰し、意識のない彼らに会計を押し付けるつもりだったのだ。今のうちに静かに店を去ろう……そう考えていたベルトリウスの所に、カウンターから出てきた店主がズンズンと迫り来て、渋い顔で右手を差し出して言った。


「合計十一杯のご注文で十六クエンと五ボル。あと九クエンと三ボル足りないよ」

「オレだって頑張ったんです……」


 店主の台詞に続き、自身の成果も認めてほしいと言わんばかりに呟いたスビをベルトリウスは小突きたくなった。

 カイキョウの通貨はジールカナンと違うため、九クエンと三ボルがどれほどの金額なのかベルトリウスには判断がつかなかったが、いずれにしても取るべき行動は一つである。

 ベルトリウスはいびきをかく酔っぱらい共を指差して店主に言った。


「残りは彼らのツケでお願いします」

「無理だね、奴らすでに大量のツケをウチで溜め込んでんだ。なんなら今までの分も合わせて払ってもらいたいぐらいだ。いい加減にしてもらわないと店が潰れちまう」


 即答する店主にベルトリウスは心の中で舌打ちをした。勝手に因縁を付けてきた上に食い逃げの言い訳にすらならないとは、とことん迷惑な連中である。

 今ここで騒ぎを起こして身を追われては、屋敷への乗り込みが難しくなる。衆目の中でわざわざ悪手を打つことなどできず……よもや払えないのかと睨みを利かせてくる店主と、無言で注目してくるその他大勢の客の視線に揉まれながら、ベルトリウスはどんな手を使ってこの場を乗り切ろうかと頭をひねった。

 すると、隣にいたマギソンがおもむろに自身の軽鎧の隙間に手を入れ、胸部分の内ポケットをまさぐり始めた。汚れた布袋を引っ張り出したかと思えば、彼は窪んだ目を細めて袋の中を覗き、ジャラジャラと音を立てて中身を掻き混ぜながら、薄汚れた硬貨を一枚、二枚とテーブルの上に並べだした。そして十枚目の硬貨がパチンッと軽快な音を鳴らして置かれると、険しい顔をしていた店主の表情は拍子抜けしたように緩められた。


「何だ、払えるんじゃないか。お釣りは……はい、どうぞ」

「……あ、はい」

「毎度あり」


 店主は前掛けのポケットから小さな硬貨を数枚取り出してマギソンに手渡すと、テーブルに並んだ硬貨を回収してまた同じポケットに入れた。無言で釣り銭を仕舞う相方の代わりに返事をするベルトリウスのことなど気にも留めていないように、店主は挨拶を済ますとあっさりカウンターの奥へと引き返していった。

 見世物を眺めるかのようにこちらを凝視していた他の客も、騒ぎが起こらないと分かると各々の席で中断していた話を再開させて、店内はベルトリウス達が入ってくる前のざわめきを完全に取り戻していった。


 三人は新しい面倒事に巻き込まれる前に酒場を出た。次の行動を話し合う前に、ベルトリウスは思いがけない助け舟を出してくれたマギソンをじっと見上げた。


「……なんだ」

「金。使っちまってよかったのか?」

「……別に、”上”に帰ったら使う機会もないだろうから、手放しただけだ」

「照れるなよ。何にせよ助かった」


 言われ慣れぬ感謝の言葉にマギソンは顔をしかめて答えたが、身銭を切ってまで自ら事態の収拾に動いた彼の変化をベルトリウスは歓迎していた。人間社会で暮らすのに必要不可欠な貨幣を捨てるということは、悪しき魔物と共に生きるという意思の表れである。己の内面に関して本人がどれだけ自覚しているのかは不明だが、孤独な人間というのはこうやって少し優しくしてやるだけで都合の良い駒に成り下がってくれるので、助かる。


「とりあえず宿探そうぜ。体を休ませないとな」

「おい……まさか俺の手持ちから出させようとしてるんじゃないだろうな」

「だってもう使う機会がないんだろ? じゃあいいじゃん!」

「……」


 屈託くったくなく笑うベルトリウスに、マギソンも次こそは心の底からのしかめっ面を浮かべた。



 何だかんだ言いつつも、しっかりと案内をこなしてくれたマギソンのお陰で宿屋へはすぐに辿り着いた。有り金をほとんど使って角の個室を借りると、まさか自分もご相伴に預かれるとは思っていなかったスビがマギソンの世話になるのを恐れて同泊を拒否したが、ベルトリウスは有無を言わさず彼を部屋まで引きずっていった。

 中に入るなりかんぬきを掛け、それぞれ休息に入る前にスビが仕入れてきたラスダニアに関する情報を共有する。


「情報って言っても何を聞き込めばいいのか分からなかったんで、成果って呼べるほどのモンもないんですが……」

「そういや特に指定してなかったな。まぁ、どんな些細なことでもいいさ。一番知りたいのはラスダニアの一日の動きについてだったが……」

「あっ、それならちょうどいいネタかもしれません! なんか明日の昼頃に、オーレンの周りを流れる大川の様子を赤黒卿直々に調査しにいくみたいですよ? 最近川上の方で水質が悪くなってるとかで、あのオッサン達の息子が護衛に付いてくんだって話してました」

「はぁ!? あの酔っぱらい共の息子が護衛っ!? そりゃあっ……はぁぁぁっ、勿体ねぇ〜! あんな親にまともな職にいてる子供がいたとは……もっとお前にちゃんとした指示を出しておくべきだったぜ……」


 ベルトリウスは思わず顔面を手で覆い、座っていた椅子の背もたれに体を預けて天を仰いだ。”この件を前もって知っていれば面白い襲撃方法を試せたのに”と、落胆しているベルトリウスの顔色を窺いながら、スビはさらに続けた。


「あとこれ、どうでもいい話だったらすいませんけど……前の領主が街にやって来るらしいですよ」

「前の領主? ってことは……」

「父親です。ラズィリー・ダストンガルズ。今は郊外の屋敷で隠居生活を送ってるみたいですけど、ちょうど明日オーレンに遊びに来るらしいです。いつ頃に到着するとか、そこまでは分かんなかったんですけど……」

「……スビ、全く期待してなかったけど、お前はなかなか使える奴だ」


 これだけ無茶振りに答えているにもかかわらず面と向かって”期待していなかった”と告げられたスビは少々ムッとしたが、表情を一変させて良からぬことをたくらむベルトリウスの不敵な笑みを前に、余計な口出しは控えた。


 その後もスビに酔っぱらい達と交わした会話の内容を包み隠さず喋らせてみたが、ベルトリウスが欲しているような目ぼしい情報は現れなかった。

 ベルトリウスはスビにねぎらいの言葉を掛け、逃走しにくい三段ベッドの最上段で休むよう指示した。そして入口の扉を塞ぐような位置で椅子に腰掛け、いつものように気配を消して俯いていたマギソンに目を向けた。


「お前も休め。明日は大変な一日になるだろうからな、今日だけは何が何でもきっちり眠っとけ。うなされたら叩き起こしてやるから。……分かったな?」

「……ああ」


 念押しされたマギソンは渋々といった様子で頷き、軽鎧を脱いで最下段のベッドへ潜り込んだ。先に横になったスビはすでに寝息を立てており、ベルトリウスは人間達が就寝している間に明日の襲撃について策を練ることにした。……とはいえ、マギソン以外の魔術師を相手にしたことのないベルトリウスにとって、ラスダニアとラズィリーの力量を推し測ることは不可能であった。差し当たり、二人いっぺんに相手しないよう努めるだけだ。

 訪問の予定が平民間の話題に挙がるくらい公のものならば、ラズィリーが到着するのは早くても早朝過ぎだろう。昼からラスダニアが外出することを考えると、二人が離れた時を狙って一人ずつ潰していくのがいいか……もし数日泊まる予定であるならば、襲撃を先に延ばして準備を整えてから向かった方が無難か……。


 包帯の結び目を指でいじくりながら考えていると、ベッドで横になっていたマギソンが視界の端でムクリと起き上がった。


「どうした?」


 ベルトリウスが声を掛けても返事はなかった。掛布を掴み、その手元へ目を落として固まっているマギソンを見てベルトリウスは”またいつものぶり返しか”と思いつつも、なだめてやるために近くへ寄った。だが予想に反してマギソンの面持ちはしっかりしており、彼はこちらを見上げて一言呟いた。


「……最後に一本吸っていいか」

「バカッ!! 我慢して寝ろ!!」


 瞬時にラトミスのことだと勘付いたベルトリウスは呆れ顔で叫んだ。その声でスビは飛び起き、マギソンは不服そうに小さく舌打ちしてからモゾモゾと掛布の中へ潜り直した。

 ベルトリウスは上からそっと覗いているスビに”お前も寝ろ”と言って睨みを利かせ、自身も先程の椅子へと座り直した。薬に頼りたいほど不安がこみ上げてきているのだろうが、いちいち使用に許可を求めてくる辺り、まだ最悪の状態には至っていないようだ。


 しばらく経って本物の静寂を迎えた夜。ベルトリウスは一人で思案を巡らせるのであった。

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