30.素敵な贈り物

 てっきり、魔物は皆変わった見た目をしているのだと思い込んでいた。考えてみれば自分も肌などを隠せばその辺を歩く人間と何ら変わりないし、エカノダに至っては今の状態ですでに並みの成人女性にしか見えない。

 ベルトリウスはつまらない思い込みで警戒を怠った己を責めた。最近優勢が続いていたために気が緩んでいた。相手は管理者、今回不利なのはこちらの方だ。

 周囲が眠りに落ちているとはいえ、こんな領主のお膝元で騒ぎを起こすのは利口とは言いがたい。かといって、相手の力量が知れない状態で先手を取られるわけにもいかない……。何度でもよみがえる自分とは違い、おりをしてやっているマギソンは一度死ねば終わりなのだ。エカノダに拾い上げてもらえば二度目の生を受けられるのだろうが、生まれ変わった彼が今と同じように魔術を扱えるのかは誰にも分からない。


 貴重な戦力を潰されないためにも、ここは気取られないように体中にぐっと力を込め、毒を――。


「待った。こちらに敵意はない。むしろ私は君の支援者だ」

「……支援者?」


 ベルトリウスはあと一歩のところで襲い掛かろうとするのを止め、スニカに猜疑さいぎの目を向けた。制するように突き出された手のひらの間からは、作り物のようにきらめきを放つ金眼が覗いている。


「例えばこれ、欲しくないかい?」


 そう言って、スニカは三枚の薄紙を差し出した。

 ベルトリウスは目を疑った。まばたきをしただけだ。たった一瞬、目を閉じて開いただけだというのに、直前まで手の腹を見せていた彼の手中には、どこから取り出したのか物が握られていた。

 これもスニカの能力に関係しているのかと攻撃をためらっていると、焚き火の向こう側からクスクスとおかしそうな笑い声が届く。


「身元証明書。全員分あるよ。今すぐにでも中に入ることができるのに、断る理由なんかあるのかな?」

「……何が目的だ」

「目的なんて……私はただ君を応援したいだけさ。魂胆なんてない。安心して受け取っておくれよ」

「安心できるわけねぇだろ。あんたが管理者ってんなら、うちの領地を狙ってないとどうして言い切れる? 真に受けろってのが無理な話だぜ」

「領地ね……フッ、そんなものどうだっていいよ。私は地獄の争いには興味がないんだ。ただ風の吹くまま気の向くまま、さすらいたいだけ…………約束するよ、見返りは求めない。何も請求しないと誓おう。それでも受け取ってくれないのかい?」


 パタパタと紙で風をあおぐスニカに、ベルトリウスは苛立ちをつのらせた。欲しいに決まっている。だが、うまい話には必ず裏があるものだ。あくまで吟遊詩人として振る舞っているし、”さすらいたい”という気持ちは本心からの意見にも思えるが……果たして生まれながらに強い闘争心を持っている管理者が、そんな凡庸な生き方を選べるのだろうか?

 こういう時こそエカノダに相談したかったのだが、この更生の旅についてはベルトリウスに一任すると宣言した通り、コバエを身に付けて念じてみても向こうからの返事はなかった。

 不安は残るが、ここは仕方なく……。


「……いる」

「フフッ……どうぞ」


 スニカは待ってましたと言わんばかりに一段といい笑顔を見せた。

 ベルトリウスが証明書を受け取るために立ち上がろうとすると、スニカは握っていた三枚の紙を手放した。証明書は地に落ちることなく宙に浮かび上がり、焚き火の上をヒラヒラと舞い抜けてベルトリウスの手元まで泳いでやって来た。立て続けに繰り広げられる不可思議な出来事について深く考えないようにしながら、ベルトリウスは眼前を漂う紙を掴み取った。

 紙にはオーレンの表徴らしき鳥の絵が刻印されており、加えて手書きで何やら文字が記されていた。それらしい見た目をしているが、これを提出して本物と同じ扱いを受けるのかは分からない。


 手元の紙から顔を上げると、互いの視線が交差する。


「悪巧み、上手くいくといいね」

「……」

「フフフ……さて、一曲くらい歌っておこうかな」

 

 まるで自分達がここを訪れた理由を知っているかのような口振りに、ベルトリウスの眉間に刻まれていたシワはまた少し深くなった。敵対的な人物でないことは理解できたが、かといって必要以上に近付く気にはならなかった。

 押し黙るベルトリウスを尻目にスニカは指先で弦を弾き、奏でられる低音に乗せて言葉を紡いだ。




 ―― 綻びよ、小さな糸がいつぞ重なり地獄の門なるや。


    覗けよ覗け、そこに手招くはお前自身。


    共に堕つれば鬼胎きたいは包まれ、何人も我が愛を奪うことかなわぬ。


    久年の孤独に焦がれ、いまいちど混ざり合わん。 ――




 ……パチパチと、焚き火の音がまばらな観衆の拍手のように月下に響く。


 詩人の歌は何度か耳にしたことがあるが、こんな曲は初めて聴いた。歌詞も曲調も何もかもが暗く、彼らが活躍する華やかな席では受けが悪そうだ。流行りの歌でもないだろう。

 だが何故か……胸の奥がじんわりと熱くなる不思議な歌だった。赤の他人が空気を読まず披露した曲に心惹かれるなんて初めての経験かもしれない。

 心臓が胸を突き破って外へ出ようとしているような、言いようのない感覚……ベルトリウスは静かに深呼吸してからスニカに問い掛けた。


「……何だこれ」

「愛の歌は詩人の定番だよ」

「愛の歌? 物騒な言葉しかなかったが」

「刺激的だろう? 私のお気に入りさ。……さて、名残惜しいが、そろそろおいとましよう」


 まさに風の吹くまま……スニカは歌い終わると満足したのか、脱いでいた大帽子を被り直すと腰を上げ、リュートを背に担ぐとベルトリウスを見下ろして目を細めて言った。


「また会えるよ。近いうちにね」

「いや会いたくねぇけど」


 乱暴な返事にクスクスと小さく笑うと、スニカは踵を返して闇の彼方へと消えてしまった。

 ベルトリウスは受け取った証明書を改めて確認した。一体何者だったのだろうか? 本当に地獄の王座に興味がなく、地上で一匹狼を気取って旅をしている管理者なのか……はたまた、やはり何かしらの目論見のために自分に手を貸した敵なのか……先程の歌を聴いてから上手く頭が働かないので、彼への詮索せんさくは諦めた。


 周囲が夢の世界から帰還する前に、ベルトリウスは証明書を持っていない方の手を焚き火に近付けた。普通なら火傷してしまう距離だが、魔物となった身ではまだ熱いと感じる域にも達していなかった。さらに腕を伸ばして、ついには手首まで火中に突っ込んだ。

 十秒……二十秒……三十秒と燃やしてみるも、痛みは一向に襲ってこなかった。ただ、熱は感じる。真夏の照りつける太陽の下で焼かれているような、あれの延長線だ。ジリジリと皮膚の表面が焦げる感覚は流石に何時間も続けるとなると苦しいが、しばらくの間なら耐えられる。これも炎を自在に操る”赤黒卿”への対策であった。


 ベルトリウスは手を引っ込め、じんわりと熱を帯びる部分を確かめた。所々めくれた赤黒い皮膚は火にくべる前と何ら変わりない。こうした打撃以外の外傷にも耐性があるとは、つくづくエカノダの強化のありがたみを実感する。

 試したかったことを全てやり終えると、ベルトリウスは頭を垂れて横で眠りこけるマギソンを肘でつついて起こした。


「おい、起きろよ」

「……」

「おーい」

「……ぁ”?」


 マギソンは目を開くなりベルトリウスを睨み付けた。油断した姿を見せんまいと咄嗟とっさに取り繕ったのだろうが、視点の定まらない寝ぼけまなこで凄まれても恐ろしさなど微塵も感じられなかった。


「何わけも分からずにガンくれてやがんだ。とっとと目ぇ覚まして街に入るぞ」

「……寝て、たのか……?」

「がっつりな。隣の馬鹿も起こせ」


 顎をしゃくらせてスビを指すと、マギソンは目元をこすりながら気怠そうに言った。


「入るって、役人を待たなきゃいけねぇんだろうが」

「ふっ、証明書なら……見ろ! お前らがグースカ寝てる間に手に入れてやったぜ! 感謝しろよなぁ、結構ヤバい状況だったんだから」

「お前……誰からふんだくってきたんだ」

「ふんだくってねぇわ! いいから行くぞ!」


 立ち上がったベルトリウスはマギソンの”また何かやったのか”と言いたげな目に憤慨ふんがいしながら、寝ているスビの背を蹴り倒した。転んだ先に焚き火があったスビは悲鳴を上げて飛び退き、脇の二人はさして気にも留めず会話を続けた。


「さっきここに到着したばかりの俺達が証明書を持っていったら怪しまれるだろう。門番は交代してないみたいだしな。せめて入れ替わりの時間まで待った方がいい」

「あー……確かに。でもその交代時間ってどうせ朝方だろ? 夜のうちに済ませたいこともあるし、ここはダメ元で行ってみよう」

「……大丈夫なのか本当に」

「大丈夫じゃねぇかもだけど、そん時はそん時だ」


 ベルトリウスのいい加減な姿勢にマギソンは難色を示したが、他に物申すことなく素直に腰を上げた。憎らしそうに見つめてくるスビを急き立て、三人は門番の元へと向かった。


「あの、中に入りたいんですけど」

「え? でも君達、証明書は……」


 案の定というべき反応を見せる門番に対し、ベルトリウスは今すぐにでも中に入れると言ったスニカの言葉を信じて三枚の紙を手渡した。

 不審がる門番は受け取った証明書と三人を交互に見やると、ものの数秒も経たぬうちに手にしていた紙を返却した。


「確認しました、どうぞお通りを。オーレンへようこそ」

「……ありがとうございます」


 束の間くもった門番の表情は、初めて案内をしてくれた時の爽やかさを取り戻していた。ベルトリウスは安堵と同時に驚きを禁じ得なかった。スニカの言っていたことは本当だったのだ。今は門番が心変わりしてしまわないうちに橋を渡るべきだと何事もなかったかのように足を進めたが、内心では皆目見当もつかない彼の能力が気になって仕方なかった。

 最後尾にいたスビはとんとん拍子に進む状況に付いてこれていないみたいで、ベルトリウスの隣に小走りで寄って来ると、質問を投げ掛けては無視されていた。


 そうして橋を渡った先の大門へ辿り着こうかという時、二人の後ろを歩いていたマギソンが突然に立ち止まった。足音が減ったことに気付いたベルトリウスはすぐに振り向いて声を掛けた。


「どうした?」

「……」

「……おい、何もねぇならさっさと……」

「ふぅーーーー……チッ! クソッ……おい、やっぱり俺は……っ」


 俯いて棒立ちになっていたマギソンは、肺にある全ての空気を放出するように深々と息を吐いた。強く拳を握り、落ち着きなく門へ二人へとあちこちに視線をやり……それだけで言わんとしていることは分かった。ベルトリウスは呆れた顔で彼に近寄った。


「お前なぁ〜! ……なぁ、大丈夫だって。俺が付いてんだからさぁ、ヤバくなったら後ろに隠れてればいいじゃねぇか。最悪、俺を囮にして一人で逃げればいいんだしさ」

「でも足が……もう、すぐそこにいるんだっ……! も、門の裏でおれをっ……捕らえるつもりかもしれないっ……!」

「お前がここを訪れるなんて誰も知りようがないんだから大丈夫だよ。それでも心配ならスビに先頭を行かせよう。お前が真ん中、俺が後ろ。間に挟まってりゃちっとは安心だろ?」


 弱音を吐く男を慰めてやるのにも正直飽き飽きしていたが、そんな態度はおくびにも出さず、肩に手を乗せて柔和な笑みで覗き込んでやる。

 ベルトリウスは悩み事があれば自発的に解決しようと行動する人種だったので、うだうだと悲嘆に暮れるマギソンのような人間は不快なだけだった。彼との上下関係が逆だったなら、今頃は力に物を言わせて街を引きずり回していただろう。


 ベルトリウスは己を守ってくれる強者が好きだ。そして強者とは、一切周囲に弱みを見せない者である。

 マギソンは魔術という強みを持っているが、如何いかんせん精神面が脆すぎる。今みたいに情けない姿を見せる彼に苛立った時は、これは未来への投資だと自分に言い聞かせる。この旅さえ終えれば彼は完全な強者になる……いや、この手で完全な強者にしてみせるのだ。


「……絶対に、大丈夫か?」

「絶対に大丈夫だよ。もう大船に乗ったつもりでいろよ」


 ヘラリと笑って条件反射で出てくる軽口を叩くと、マギソンは汗の滲んだ顔でベルトリウスをじっと見つめた後、後頭部や首をせわしなく掻いてから両の手で顔を覆った。


「クソッ!! お前のせいだぞっ!! お前がこんな所に連れてこなけりゃ俺はっ…………………………はぁ」


 ひとしきり声を荒らげて発散すると波が去ったのか、最後には溜息を吐いて手を離し、いつもの鉄仮面に戻っていた。

 ベルトリウスはやれやれと首を左右に振り、スビに先頭を行くよう指示してから自分は最後尾に移った。スビは奇妙なものを見る目でマギソンを一瞥すると、街の方へとそそくさと足を進めた。塀にはめ込まれた大門の下、騒ぎを街の中から注視していた門番達は、いざ三人が横を通り抜けようとしたところ険しい表情で槍を傾けて通行を止めた。揉め事を持ち込もうとしている風に見えたのだろう。


「あはは……こいつ金がないくせに高めの宿屋に泊まろうって言うもんで、喧嘩しちまっただけです……」


 弁明しながら証明書を見せれば、門番達は鼻を鳴らして槍を上げてくれた。

 こうして地獄をってから幾重もの障害を乗り越え、ベルトリウスとマギソンはオーレン内部へと足を踏み入れたのだった。

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