28.墓穴を掘る

 他人の弱った姿を見るのが好きだ。

 情けない姿、苦しんでいる姿。己を優越感にひたらせてくれる。


 支配が好きだ。

 最上位じゃなくていい。二番手、三番手から見下ろしていたい。


 どうして哀れむんだ。

 誰だって自分が一番可愛いはずだろう?


 虎の威を借りることの何が悪い。

 容姿立場知恵……あぁ、持たざる者のねたみさえ心地いい。


 なのに満たされない。

 どれだけむさぼろうと、いずれ心が空になる。


 ならばもっと求めよう。

 いつの日か好いたものだけで埋め尽くされる、なんて素敵な一生じゃないか。


 誰もが言うことを聞いてくれる、誰もが思い通りに動いてくれる。

 これぞ、我が魂の幸福よ――。




◇◇◇




 まずは選別だ。誰が口を割りやすく、誰が割りにくいかを判断する。


 ベルトリウスは横たわる男を足で転がしてうつ伏せの体勢にさせると、痛めた腰に右足を乗せ、ぐにぐにと潰すように踏みにじってやった。男は面白いぐらいに甲高い鳴き声を上げ、芋虫のように体をくねらせてなんとか痛みから逃れようとした。


「あんた名前は?」

「グォオオッ!? や”っ、や”めろぉ”ッ”!!」

「おいおい、名前くらいさぁ……」


 ベルトリウスは一旦足を下ろすとその場で両足を揃え、”せーの”の息遣いで地面を蹴り上げて飛び、男の腰に着地した。七十キロを超す成人男性の体重に耐えかねた腰は”バキッ!!”と聞くも無残な音を立て、男は雷に打たれたような衝撃に息を呑んだ。


「フッ”―― っ”ごお”お”お”お”お”お”お”っ”!!??」


 今日感じた中で……いや人生で感じた中でも一番の激痛に呼吸すらままならなくなった男は、頭から爪先までを一本線のようにピンと伸ばし、必死に痛みの少ない体勢はどれかと模索した。

 壊れかけの玩具のように僅かに動いては止まり、動いては止まり……そんな男の醜態を、ベルトリウスは年端も行かぬ子供のように嘲笑った。


「あははっ、やっべぇ叫び方! すぐ悲鳴なんか上げちゃってさぁ、もっと体を強くしとかないとダメだろう? 盗賊は体が資本なんだから」


 ”もうすぐ死ぬ奴には関係ないか!”と、わざと聞かせるように言ってやりながら、ベルトリウスはかがんで男の顔を覗き込んだ。不規則な息継ぎと共に歪められた表情には、どうにかして生かしてほしいという懇願が窺えた。


「助かりたいか? 質問に答えてくれれば解放してやってもいいぞ。まずは名前だ。さっき聞いたけど無視されたし、お互いに歩み寄ろう。な?」

「う”ぅっ……てっ、てりぃ……!」

「テリィ、テリー? 俺はベルトリウス。よろしくテリー」


 声を絞り出して名乗ったテリーは、もう何でもいいから勝手に進めてくれといった風だった。地面に放り出された手を掴み、雑にぶんぶんと上下に振って握手をするベルトリウスのせいで振動が腰を伝い、断続的な痛みが全身に巡る……。

 涙と鼻水と土汚れでぐしゃぐしゃになったテリーの顔を満足げに見つめるベルトリウスは、与える手法を”鞭”から”あめ”に切り替えた。


「単刀直入に聞くが、テリー……どうしてこの家を襲ったんだ? 正直に答えてくれよ、俺も手荒な真似はしたくない」

「っ……くらしがまずしくて……たっ、たべものがなかったんだ……! なにもかも、なくって……だからこの前の反乱にっ、さんかした……でもまけた! 戦場からにげだして、なかまと、あるきっぱなしで……やっとこの家をみつけてっ……! ぐぅっ……! ッ、おどすだけだったんだっ! ただっ、物をわけてほしくて……!」

「ふーん……で、その仲間はここにいたので全員か? 他に隠れてる奴はいない?」

「……ここっ……ここにいるので……みんなだっ……! 全員……グスッ、う”ぅ”〜……!」


 テリーは小屋の隅で積まれている仲間の死体を見て、様々な感情が入り乱れた嗚咽おえつを漏らした。本当に仲間がいないのかもう少し掘り下げてやろうかと思ったが、より気になったのは”反乱”の方だ。


「その反乱、どこで戦ってたんだ? 相手は誰だ?」

「……オッ、オレらはイユロウのあちこちをおっ……おそいながらいどう、してて……最初はちかくのムラを狙って……そしたらあのっ、”セッコクキョウ”が……!」

「”セッコクキョウ”? なんだそ――」

「テリー!!!! 馬鹿野郎テメェッ!!!!」


 ”ヒッ!”と短く上げられたテリーの悲鳴と共に、ベルトリウスは人の台詞を遮った怒声の主に顔を向けた。

 柱に拘束していた二人が目を覚ましたようだ。今の声はベルトリウスから見て右側の男が発したのだろう。左側の男はぐったりとした様子でこちらを見つめて大人しく繋がれているが、右側の男は今にもロープから抜け出して襲い掛かろうと、身をよじりながら凄まじい形相でテリーを睨み付けている。

 せっかく欲しい情報に手が掛かっていたのに、水を差されたベルトリウスは冷めた溜息を吐いて、暴れる男へと近付いた。


「起きて早々にうるさい奴だ。それとも狸寝入りしてたのかな?」

「知らねぇ奴にペチャクチャ喋りくさりやがってこの根性ナシが!! それ以上何か話しやがったらテメェ、ぶん殴ってやっからなぁッ!!」

「おい無視か」

「オっ、オっ、オレっ……」


 男はベルトリウスには目もくれず、身内であるテリーに攻撃的な言葉を浴びせた。一緒に縛られている左側の男は会話に割り込む気がないのか、テリーと同様に仲間の剣幕に押されて表情を強張こわばらせるだけだった。

 この威圧感のある男が、生き残った賊の中で最も力を持った人間なのだろう。ベルトリウスは彼を殺し、残った弱気な二人組を言いなりにさせることにした。



「はいはい注目ー。今からこのやかましいおっさんを消しちゃうよー」


 軽やかな手拍子を鳴らし、ベルトリウスは自身の言った通り男達の注目を集めた。

 狼狽ろうばいするテリーと大人しめの男に対し、しきりに暴れる男は怒りの矛先をようやくベルトリウスに変えた。


「んだテメェ……やれるもんならやってみろ。テメェらみたいな売国奴ばいこくどのせいでカイキョウは完全に蛮族のモンになっちまったんだ、恥を知りやがれ!! 俺は弱虫のテリーとは違う、仲間も国も裏切らねぇ。この国は俺らのもんだ。守る覚悟もない人間がのうのうと暮らしてんじゃねぇぞ!!」

「ぷっ、はははっ! 売国奴だって? お前、俺がこの国の出身だと思ってんのか? 俺は用があってここに来てるだけのだよ。話聞いてりゃお前、どうせ併合された故郷を取り戻すだの何だのと大義名分を掲げて暴れてたんだろうがなぁ、真っ当に生きてる人間を襲っといて正義を語ろうなんて、ちゃんちゃらおかしいぜ。だいたい出身者かどうかも見抜けない時点でお前の愛国心はその程度ってことだ。恥を知るのはそっちの方だよ」

「なッ……んだとこのッ……!! 何も知らねぇヨソもんがぁッ!!」

「今まさに売国奴扱いしてたくせに、もうよそ者呼ばわりかよ? あんた面白いな……俺のとっておきを食らわせてやろう」


 ベルトリウスは周囲が不審がる中、ギャーギャーと怒鳴り続ける男の頭上で彼を指差し……”ポタッ”と茶色いしずくをひとつ、脳天に落とした。


「ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ッ”!!?? ア”ア”ッ”、ア”ッ”、ア”ッ”、ア”ッ”―― 」

「うわっ! お、おいどうしたんだよっ!?」

「ヒィィッ!? こんどは、なんだよぉっ!?」


 水滴が落ちたと同時にジュッ、と焼けるような音がしたと思えば、暴れていた男は奇妙な悲鳴を上げて痙攣けいれんを始めた。激しい振動が柱から伝わり、隣で繋がれていた男は恐怖に平静を失うと、何とか距離を取ろうと身をよじった。離れた所にいたテリーは、目まぐるしく展開される残虐な行いに震えが止まらなかった。

 ベルトリウスの毒はじわじわと男の体を溶かした。まるで虫にたかられてむさぼり食われる木の葉のように、脳天に落ちた毒はすぐさま頭皮を突き抜け、骨、そして脳へと到達して全身をむしばんでいった。男の肌はあっという間に青白くなり、白目をむいたまぶたの隙間からは涙とは違った粘り気のある透明な汁を垂れ流していた。穴という穴から溢れる汁は頬を伝って、顎から地面へと落ちて染みを作っていく……。


「濃いのは効くだろ? って、言っても分かんねぇか」

「ア”ッ、グッ、グッ……グウウウウウウウウ」

「あっ、あっ、あのっ、これほどいて!! オレなんでも喋りますからっ!! これっ、オレ近いからっ!! やばいからっ!!」

「グ……グウグ、グウウグ、グッ……グッ…………」


 異常な反応を見せる隣の仲間に怖気付いた左側の男は、懸命に解放を訴えた。ベルトリウスが死体の一つに刺さっていたナイフを引き抜いてロープを切ってやると、解放された男は足をもつれさせながら柱から這って離れ、上着を脱ぎ捨てて体中を手で払い始めた。きっと仲間を襲っている謎の液体が自分に付いているかもしれないと、必死に振り払っているのだろう。


「触れてりゃすぐにああなるはずだから、何もないってことはあんたは大丈夫だよ」

「えっ!? ……あっ、そう、っすか……」

「お前、名前は?」

「えっと……スビです」

「スビ、協力してくれるんだよな? そこに立ってな」


 そう言って小屋の隅を指されたスビは指示されるがままに、おぼつかない足取りで角の方に向かって壁にもたれ掛かった。

 ベルトリウスは毒に侵される男を見下ろした。上から見ると脳はほぼ溶けてしまい、白い器の中でポコポコと煮立っている赤いポタージュを覗き込んでいる気分になった。ありったけの力を注いだ強力な毒一滴にどれだけの威力があるのか試してみたが、少量でこれほどの凄惨さを演出してくれるとは期待以上だ。


 最早呻くこともせず、時折ピクッ、ピクッと反射的な反応を示すだけの男を前に、平然と夕飯を食べ進めているマギソン……。

 ベルトリウスは感心しながら、彼に頼み事をした。


「マギソン、これ光で燃やしといてくれ」

「……どうしてだ。放っておけばいいだろう」

「俺の毒、強化してから色んなもんを溶かしちゃうんだよね。ほら、こいつの服も変な汁になり始めてるだろ? 俺は止め方分かんないし、こいつらも自分らで止まってくれる気配はないし……このままだと建物の柱まで食っちまうかもしんねぇよ」

「使い勝手の悪い能力だな……」


 マギソンは納屋が崩壊する前に詠唱を始め、ドロドロに溶ける男を光で包み込んだ。毒が身を焦がす時と似た”ジュワァッ”という音が響く。一分も掛からずに役目を終えた光が自然消滅すると、侵蝕していた毒も綺麗さっぱり取り除かれていた。

 しかし不思議なことに、男の肉体には直前までなかったはずの焼き跡が加わっていた。よく観察してみると、毒の回りが早かった部分ほど変色がいちじるしく、爪先などの侵蝕の遅い部分ほど焦げの具合が軽かった。

 ……それは以前、マギソンが傭兵団の仲間を殺害した後、ベルトリウスを浄化の光で攻撃した際に生まれた焼き跡と同じ状態に見えた。推測ではあるが、光が浄化するのは何も不浄なものだけではないのだろう。不浄なものが貼り付いていた部分もはらいの対象に含まれているのだ。

 ベルトリウスの頭には面白い案が浮かび、形の良い口を不敵に歪めた。



 ……一方、平凡な人間であるテリーとスビは酷くうろたえていた。

 通常、戦に参加する以外の方法で平民が魔術師に遭遇することはまずない。魔術師とは、すなわち貴族であるからだ。貴族が手ずから管理している領地内に住まう民ならば遠目で姿を捉えるくらいの機会はあるかもしれないが、遠い田舎の出であるテリーとスビはまるで生活圏が違った。

 世間では”魔術師を見ると長生きできない”……などという俗諺ぞくげんが作られるほどであるが、実はこのテリーとスビ、最後に参加した乱ですでに別の魔術師と遭遇してしまっていた。


「それで、”セッコクキョウ”って何?」


 顔色の悪い二人に、いつの間にか向き直っていたベルトリウスが尋ねる。このような状況ではとにかく相手の機嫌を取るしかない。スビは痛みで言葉がつかえるテリーを差し置いて、いち早く口を開いた。


「イユロウの領主ですよ、ラスダニア・ダストンガルズ。炎を操り、瞬く間に敵を圧倒する。真っ”赤”に燃える炎の中で揺らめく”黒”髪……で、”赤黒卿せっこくきょう”です」

「ふーん……大層な通り名だな」

「いやいや、オレらいたいけな下民のカワイイ反乱にさえバンバン魔術使って押さえ付けてくるんすよ? 容赦ないっすよホントに。炎の渦みたいなのに囲まれて何人も焼き殺されちゃって、みんなやる気なくしちゃうし……見せしめがエグいんすよね。……って、すんませんオレっ、いつもこういう喋り方でですねっ……別にあなたを舐めてるとかそういうんじゃなくてっ……!」

「……いいよ。その調子でどんどん続けな」


 自分とさして年齢が変わらないであろうベルトリウスについ普段の調子で話してしまったスビは、本人から許しを得てホッと胸を撫で下ろした。

 以降、何でも喋るという約束の通り、スビは質問に対して間髪入れずに答え、果ては聞かれていないことまで自ら語り出した。

 乱を起こした当初の状況……ラスダニアが現れた直後に惨敗が決まった時の様子……散り散りになった仲間についてなど……。


 答えろと脅したのはこちらだし、向こうは命惜しさで仕方なしに話しているだけとはいえ、まるで武勇伝を披露するかのようにヘラヘラと笑いながら略奪などの犯罪自慢を行うスビに、ベルトリウスは意地悪く尋ねてみた。


「お前さぁ、よく死んだ仲間の前で笑いながら話せるよな。裏切り行為だろ? 申し訳ないと思わねぇの?」

「え、でも……言うこと聞かなきゃ殺されるん、ですよね? 仲間って言ってもオレは適当に便乗して暴れたかっただけってゆーか……おっさん達みたいに国のためとか、そういう義賊的な感覚はないってゆーか……毛色が違うんすよ。命あっての物種? みたいな……」

「命あっての物種か……じゃあ俺の命令、何でも聞けるよな?」


 スビは身を固くした。自分が言うのと相手が言うのとでは重みが違う。

 ”何でも”と強調された言い方に果てしなく嫌な予感がして……そして次の瞬間、その予感は的中してしまうのである。


「死体を丘に埋めろ。この芋虫男もな」


 ベルトリウスは上がっていた口角を下げて、冷たく言い放った。

 スビは勿論、芋虫男と呼ばれたテリーも頭が真っ白になった。


 埋める……。

 埋める……。

 埋める……。

 埋める……。

 

 たった一つの言葉が二人の脳内で反復する。

 スビはどうしてよいか分からず、その場で固まった。テリーは痛む体に鞭打って地を這い、ベルトリウスの足元にまとわり付いた。


「なんでっ、あんたさっき、助けてくれるってっ!!」

「助ける? 俺は解放するって言ったんだ」

「おなじじゃないかっ!?」

「誰か使えそうな人間を解放するって言ったんだ。お前を解放するとは言ってない」

「そんなの屁理屈だあっ!!」


 生きる望みを絶たれたテリーは、おんおんと大粒の涙をこぼして泣き叫んだ。ベルトリウスに訴えるのが無意味だと分かると、次はスビに情けを掛けてもらおうとすり寄る。


「スビ!! 同じ反乱に、さんかした仲だろっ!? たのむよぉ、助けてくれよぉ!!」

「……悪いテリー。オレもまだ死にたくないんでね」

「そんなぁっ!! おねがいっ!! 何でもするよぉ、おれも役に立つ!! おねがいだから助けてぇっ!!」


 苦笑いしながら答えるスビに、テリーは崖から突き落とされたような絶望感を与えられた。もう一度ベルトリウスを見上げれば、包帯の隙間からチラリと覗く紫色の双眼が薄気味悪く光りながらテリーを捕らえていた。


「その体で何ができるんだ? 歩けもしない人間が何の役に立てる?」

「ゔゔゔーーっ……あ”んだが、こんな体にしだんだろぉ”ーー!!」

「元はと言えばそっちが先に仕掛けてきたせいだろうが! 責任転嫁せきにんてんかするんじゃねぇ! スビ、シャベル持って適当に一人担いで付いて来い!」


 そう言って暴れるテリーをひょいと肩に担ぐと、ベルトリウスは風が吹き荒れる野外へと出ていってしまった。

 別段大柄でもなければ、筋骨隆々という風にも見えない……それなのに大の男を軽々と持ち上げ、暴れる相手をふらつきもせず担いでいったベルトリウスを見て、スビは信じられないという顔をした。盗み見るように後ろにいるマギソンの様子を窺えば、うっかり目が合って睨まれてしまう。

 スビは慌てて壁に掛かっていたシャベルを手にし、一番小柄な遺体を引きずって外へ出た。



 ほんの少し先に出発しただけだというのに、ベルトリウスの背中はすでに遠く離れた所にあった。スビも追い付こうと必死で遺体を引きずるが、小柄と言えど完全に力の抜けた人間を連れて移動するのは、かなり体力を消耗する行為だった。

 まだ温かい不快な体温を手のひらに感じつつ……すでに丘の上に到着していたベルトリウスに何とか追い付くと、彼は肩で息をする己を見つめて嘲笑した。


「せっかく逃げられるいい機会だったのに、馬鹿正直に言うこと聞いて付いて来ちまったんだ?」

「……はい?」

「俺ともう一人の連れから離れられたんだから、その隙に逃げればよかったのに。間抜けな奴」


 スビは頭がカッとなった。罪悪感を捨てたわけではない。生き残るために仲間を売って協力しているのに、この言い草はなんだ?

 確かに目覚めた時は隙あらば逃げようとしたが、いざ目の前で人間が溶かされるところを見せられれば誰だって保身に走るはずだろう。それこそ”馬鹿”な行動を取ろうとは思えなくなるはずだ。誰だって、自分と同じく保身に走るはずだ……魔術師という底知れない力を使う人間がいるのなら尚更……。


 何とか耐えたつもりだったが、スビは無意識のうちに怒りに表情を歪ませていた。

 ベルトリウスは特に指摘するでもなく、丘に着いた時に足を折って地面に転がしていたテリーの背中を踏み付けた。


「さ、穴を掘りな。夜はまだまだこれからだ、時間はたっぷりある」

「……オレだってドブネズミみたいな生き方を変えたくて反乱に加わったんだ。健全な生活を求めるのがそんなに悪いことだってのかよ……」

「少なくとも長生きはできないな」


 ぼやくスビの肩をポンッと叩くと、ベルトリウスは少し下がった所で腰を下ろして傍観ぼうかんに回った。あぐらをかき、膝に肘を置いて頬杖をついている。

 スビは分かっていた。目の前の男はすでに散っていった仲間の遺体を埋めさせるだけではなく、まだ生存しているテリーの息の根を止める作業も自分にやらせるつもりだと。


 ならば、ここで本当に逃げてしまえばどうなるだろう?

 あっという間に捕まるだろうか? それとも奇跡的に逃げ切れるだろうか?


 相手はあぐらをかいて座っているのだから、立ち上がって追いかけてくるまでに数秒は掛かるはず。僅かながらでもこちらが有利であれば、もしかして逃げ切れるのではないか?

 何なら手にしているシャベルで不意打ちしてから……そうスビが持ち手を強く握り締めた時だった。背後でドサッと重い物が地面に落ちる音がし、スビは張り詰めていた神経が弾けるように勢いよく振り向いた。

 そこには、納屋で我関せずを決め込んでいたマギソンが佇んでいた。


「あれ、来たのか。こういうのに抵抗あるんだと思ってたけど」

「……別に、暇だしな」


 そう答えるマギソンの足元には運搬うんぱんを後回しにした、納屋に置いてきたはずの遺体が何体も転がっていた。落下音は彼らによるものだったのだ。一人引きずるだけでも大変なのに、これだけの数をどうして運んできたのだろう?

 スビの疑問は、合流したベルトリウスとマギソンの会話ですぐに解消された。


「こんな重いモン浮かせて運べるなんて、魔術って便利なんだな。これがありゃ生活に困らねぇぜ」

「そうでもねぇよ……こいつ一人に運んで埋めてを任せてたら朝になっても終わらねぇからな。ちょうど家を出る口実ができたんだ、早く済ませろ」

「あー……よかったなスビぃ、優しいおじさんが運びまでは手伝ってくれたぞ? 後は穴掘って埋めるだけだ、頑張れよ」


 厄介な魔術師も合流してしまい、完全に退路を断たれたスビは諦めてシャベルを握り直し、足元の土を掘り返した。草が絡んで思うように先が進まない。長らく開拓されていない土地というのもあり、硬く重い土がさらに全身の負担を増やした。

 隣から聞こえる足を折られたテリーのすすり泣きに苛立ちながらも、スビはひたすら作業を続けた。そんなスビの様子をじっと眺めていたベルトリウスだったが、マギソンの方はすぐに監視に飽きてしまい、遺体を置いた場所から数歩下がった所で横になり始めた。


「寝るなら納屋に戻れよ」

「……いい」

「いや、こんな強い風の中じゃ寒いしうるせぇし、眠れないだろ?」

「鎧付けてるから寒くねぇ」

「いやいや、そういうことじゃなくてさ……明日はこの家を出て街まで歩きっぱなしになるんだから、また疲れが取れてないとか、ふてくされられても困るんだよ。ここは俺が見張ってるから戻って寝ろよ」

「うるせぇな、いいって言ってんだろ」

「あぁ? 何だその言い方は!? おっめぇ、知らねぇからな! 明日休憩したいっつっても絶対止まってやらねぇからな!?」


 旅の途中でグチグチと文句を言われて不機嫌を続けられるのがわずらわしくて勧めただけなのに、こちらの気も知らず意見を突っぱねるマギソンにベルトリウスは”勝手にしろ!”と、そっぽを向いた。

 一方のマギソンが何故かたくなに戻ろうとしないのかと言うと、納屋に戻れば自分一人……また悶々もんもんといらぬ考え事をしてはラトミスを引っ張り出しそうになるため、人の気配があり、眠っても半覚醒状態でいられるこの場所に留まりたかったのだ。


 口うるさいベルトリウスに強がってみせたが、実際は強風のせいでかなり冷える。他者の視線から逃れたくて伸ばしている長い髪があちこちへ飛んで鬱陶しいし、軽鎧に編み込まれた細い鎖が体に食い込んで寝苦しい。

 だがこれでいい。これぐらいは辛抱できる。

 薬を止めるには……夢の中であの家に帰るよりは……。

 



 こんな悪環境でも瞼は次第に重くなり、意識が薄れていった。

 穴を掘る音、芋虫男の呻き声がどんどん遠ざかってゆき、マギソンは夢現ゆめうつつにさまよった。

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