22.心に触るな
「うわあああああーーーーーーーーっ!!!!!!」
尋常ならざる叫び声が響き、隣で座っていたベルトリウスは肩を跳ね上がらせ、寝転ぶマギソンを鬱陶しそうに見やった。
「っんとに情緒不安定だな……」
ググウィーグ戦で気絶して以降ひたすら眠りこけていたマギソンの目はいつも以上に窪み、くっきりと青黒いクマが作られていた。加えて全身汗だくと、どこを取って見ても酷い有様だった。
体を起こすマギソンを横目に、ベルトリウスは”起きましたよー”と遠くに見える例の卵の影に向かって声を掛けた。すると、卵の前に立っていたエカノダが二人の元まで歩いてきた。到着するなり彼女は眉間にシワを作りながら、マギソンを眺めて言った。
「マギソン、今回の戦いはお前がいなければ勝てなかったわ。感謝してる。……でもね、率直に言って今のお前は扱い辛いわ」
片膝を立てて座っていたマギソンは、礼の言葉と共に降ってくるエカノダの指摘に表情を歪めながら
別に信念や好意を持って彼女に従っているわけではない。
黙りこくるマギソンを見つめ、エカノダは続けた。
「お前の魔術は私達魔物に恐ろしいほど効くわ。これからも頼りにしている。だからこそ、ここぞという時に使い物にならないのは困るのよ。薬を止めなさい」
俯いたまま固まってしまったマギソンを見下ろしながら、エカノダはベルトリウスに目配せをした。ベルトリウスはやれやれといった風に一度眉を
「なぁ、これでもエカノダ様は心配してくれてんだぜ? 確かに俺達渋々付き合ってる仲だけど、もう駄目だって時にあんたが助けてくれたの、みんなすっごく感謝してんだ。だからさぁ、あんたが苦しんでるのを見てると……分かるだろ? 助けたいんだよ」
「……その女も言ってるが、それはこのままの俺だとお前らの都合のいいように動かねぇからだ……俺のためじゃねぇ……」
「まぁ、それは当たってるよ。実際あんたが使いもんにならないと困るからな。でも……心配してるってのも本当だ。どんな奴でも苦難を共にすれば情が湧いてくるもんさ」
依然顔を上げない相手にベルトリウスはこれ以上自分にできることはないと肩をすくめ、エカノダに面倒を投げ返した。
……マギソンは参っていた。ベルトリウスの口当たりの良い言葉が本心でないことぐらい知っている。この男が誰かを思いやるはずがない。短い付き合いだが、彼が善人を装って他者を
分かってる……分かってはいるが、こうして心の穴を埋めようと胸に溶け込んでくる、魔物の囁きのなんと甘い誘惑か……。
「どうしてラトミスを使い始めたかだけでも教えてくれないか? もしあれなら、お返しに俺の過去も話すよ。知りたくねぇならいいけど……」
へヘ……と自虐めいた笑いが付け加えられる。
エカノダもベルトリウスも無理に催促することはなかった。彼の口から言葉が出てくるのを待ち、悩んだ末にマギソンは顔を伏せたままポツポツと語り出した。
「……ガキの頃、色々あって家を出た。母親と弟を殺して……でも父と兄は生きているから、俺を恨んで殺しに追ってくると……思って……故郷から逃げるようにして、傭兵になった……そして二十代の……いつ頃かは忘れたが、ユージャムルで戦士を募集していたから、行って……そこでラトミスを配られた……あそこは国が使用を勧めているから……それで、一度使ってから……ずっと……」
たどたどしく紡がれる説明にベルトリウスは正直つまらなさを感じていた。
この手の話は荒廃した現代ではよく耳にすることだ。家族や友人との
多くが報われない最期を迎えるわけだが……散々溜め込んで出てきた話がこれかと、ありきたりな身の上に少々がっかりしていた非道なベルトリウスに対し、隣のエカノダは意外にも哀れみのこもった目で彼を見ていた。
魔物にも仲間意識というものがあるのか、単に彼女が甘いだけなのか……ベルトリウスはまたしても口を閉ざしてしまったマギソンに、ある提案をした。
「つまり原因は家族なんだな。その親父と兄貴を殺しちまえば、追われる心配もなくなってラトミスを使うのも止めれるんじゃねぇか?」
「それは……そんな、簡単なことじゃないだろう……」
「何で? そんなに強いのか、親父と兄貴」
「そりゃ魔術師だからな……強いさ……それに夢に出てくるのは……母親と弟もだ……殺せたところで、うなされるんだ、絶対に……! 殺して終わりじゃない、むしろお父様とお兄様をころっ、殺してもっ、増えるだけだ苦しみがっ!! ラトミスがないと、きっと耐えられない!!」
マギソンは駄々をこねる子供のように立てた膝に額をこすり合わせて喚いた。昔の名残なのだろう、恐怖から父と兄を敬称で呼んでしまっていることに気付いていない。
僅かな静寂が過ぎると、エカノダは意を決したように小さく息を吐いてから開口した。
「ベルトリウス、マギソンのことは頼んだわ」
「ええっ!? ちょっと待って下さいよ! みんなで一緒に解決しましょうよ!」
ベルトリウスはまた何てことを言い出すんだとギョッとした顔でエカノダに詰め寄ったが、エカノダは首を横に振って冷静に答えた。
「私は獄徒を増やしたり領地を開拓したり、やらなければいけない事がたくさんあるの。今向こうで強化中のイヴリーチにも終わり次第こちらの手伝いをしてもらうから、その男のことは全てお前に一任する。しっかり真人間に戻してくるように!」
ベルトリウスの訴えを強引に突っぱねるとエカノダはマギソンの肩に優しく手を乗せ、”じゃあね”、と一言残して元いた卵の方へと早足で去っていった。
「マジかよ……本当に行っちまいやがった……」
ベルトリウスは小さくなる背を呆然と見つめながら呟いた。そのまま下方にいる縮こまったマギソンへと視線を移す。過去の亡霊に怯え、出会った当初の凄みをすっかりなくしてしまった男にはやりづらさを感じるが、主人からやれと命令されたのなら、やるしかない。
早々に諦めたベルトリウスはマギソンと向かい合うようにしゃがみ込み、正面に見えるつむじに向かって語り掛けた。
「まぁ……とりあえずだ、お前の親父と兄貴を調べてみよう。もしかしたら、もうどっかで死んじまってんのかもしれねぇぜ?」
「……死ぬわけがねぇ……それに、調べる? 調べて足がついたらどうする……俺が……俺が調べてるってバレたら、ほ、本当に殺しに来るっ……そういう人達なんだっ……」
「俺が付いてるだろうがよ! 普通の人間相手なら強い方だぜ俺は! だって、ただの人間が俺の毒を防げるかって話なんだ。これまでは相手が悪かっただけなんだ……」
”トカゲ野郎だったり、お前だったり……”と、ベルトリウスはしみじみとここ一、二週間の思い出を振り返った。
そう、ベルトリウスが魔物となってマギソンに巡り合ってから、まだ数日しか経過していないのだ。付き合いの浅さに加え、出会い方、関係は良好とは言いがたく……その上でこんな悪人を信用しろというのが無理な話だ。
現に顔を少しだけ上げてくれたマギソンの目は、自慢げに語られる強さに対して疑いの色を
「俺にボロ負けしただろうが……」
「だから相手が悪かったんだって! お前のあの妙な光が効き過ぎんだよ! まぁ、もしお前の身内もあれを使えるってんなら……うん……最悪だが……」
「……あれは俺だけのもんだ。あんな平時に役に立たない術……誰も使わねぇよ……」
「じゃあ大丈夫じゃん! ……なぁ、魔術のことはよく分かんねぇけどさ、魔物を滅ぼす技を使うのが魔物の仲間になった野郎だけだなんて、上手くできた話じゃねぇか。あんたは人間とじゃなく、俺達魔物と生きる方がずっと幸せだと思うよ」
そう言って柔らかく微笑むベルトリウスに、マギソンは言葉を詰まらせた。
人の死を楽しむ男がどうしてそんな穏やかな顔で笑えるんだ? 父や兄の恐ろしさを知らないくせに、軽々しく大丈夫だなんて無責任な発言をして……。
だが、子供の頃からずっと求めていたのだ。自分がどんな失敗をしても、如何なる振る舞いをしても寄り添おうとしてくれる存在。この赤黒い手を取って新しい人生を望もうか、突き放して今まで通り焦燥に駆られる人生に果てようか……。
愛憎に近い、数え切れないほどの感情が胸の中で渦巻いている。
どうして自分だけがこんなにも苦しまねばならないのか、マギソンは溢れ出る涙を止めることができなかった。
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