9.魔術師の傭兵

 一蓮托生いちれんたくしょうを笑い合った後、エカノダはあの巨人……ノッコという名前らしいが、ノッコを呼び付け、ベルトリウスの毒を試すとして参加させた。


 まず指先だけでなく、手のひらや胸、首や足など、全身の至る部分から毒を発生させてみる。それができると、次は威力の弱い毒と強い毒を使い分ける練習をした。

 基本的に威力のある毒を生み出したい場合は、体のどこかにぐっと力を込めて毒を出せば上手くいった。力を込めれば込めるほど強い毒が生成され、逆に力を抜けば弱い毒が生成された。


 元より罪悪感など持ち合わせていないベルトリウスは躊躇ちゅうちょなく渾身こんしんの力を加えた毒をノッコの腕に垂らした。毒は付着した箇所を起点にじわじわと侵蝕しんしょくを始め、あれよあれよという間にノッコの腕にポッカリと痛ましい穴を空けてしまった。

 おんおんと弱った犬のように悲鳴を上げて腕を押さえるノッコを見て、ベルトリウスは口がないのにどこから声を出しているのだろうと不思議がった。出会いは最悪だったが、こうしてまともに痛がって反応する姿を目の当たりにすると愛玩あいがん動物のように思えなくもない。


 ノッコの協力により強化の確認を終えると、エカノダはベルトリウスを再度地上へ降り立たせるためにクリーパーを呼んだ。


「強化してあげたのだから、次はもっと魂を稼いで死になさい。復活ばかりさせていては採算が取れないしね。……あと、この子も連れて行きなさい」


 クリーパーが大口を開けて待っている前で、エカノダは何もない人差し指をベルトリウスに向けて立てた。

 よく目を凝らして見てみると、その爪先には小さなコバエが止まっていた。


「何ですかこの虫」


 そう言ってじっと見つめていると、コバエは爪先から離れ、ベルトリウスの肩に止まった。

 次の瞬間、エカノダの声が響いた。


『お前が寝てる間に新しく産み出しておいたの。このコバエを体に付けた状態で言葉を念じると、声を発さずとも地獄にいる私と会話することができるわ。どうしてもという用があれば、これを使って伝えなさい』


 彼女の微動だにしないマスクが声を出していないあかし

 脳に直接語り掛けられるという味わったことのない感覚に若干戸惑いつつも、便利な魔物をつくれるものだとベルトリウスは感心した。


「便利ですけど、頭ん中に声が響くって変な感じですね。気持ち悪ぃ」

じきになれるわ。さぁ、行きなさい』

「はいはい……自分が引き止めたくせに……」


 足元で待機するクリーパーは”早くしろ”と言わんばかりに歯をカチカチと合わせて鳴らした。

 ベルトリウスはエカノダに軽い口調の挨拶をすると、自らクリーパーの中へと身を投げた。




◇◇◇




 二回目も空中に放り出されたが、今回は華麗に足からの着地を決めた。またも高所からの落下ゆえ、強化された体とはいえ流石に骨の一本や二本折れるかと思ったが、じんじんと痺れが訪れた程度だったのでホッとひと安心した。


 ベルトリウスが降り立ったのは見覚えのある村だった。

 未だに死体が散乱している、ミハだ。


 カナーで死亡して以降どれだけの時間が経過したのかは不明だが、死体のち具合から推測するに二、三日も経っていないようだった。

 ベルトリウスは周囲に人の気配がないか確かめた。ミハとカナーが郊外こうがい僻地へきちのどちらに位置するのか定かではないが、都市に近ければ近いほど異変が発見されるのは早いものだ。

 領主が調査団を送ったのなら死体をベッドに転がしたままにしておくはずがないので、小さな村々で起こった悲劇はまだ外部へは漏れていないということになる。

 

「うーん……誰も来てねぇかぁ……」


 ベルトリウスは後頭部を掻きながら溜息交じりに呟いた。当てもなく次の標的を探すよりは自ら飛び込んできてくれた人間を狩った方が楽なのだが、そう上手く都合は噛み合わないものだ。

 下手に移動してあのトカゲ男と鉢合はちあわせするのも嫌なので、ここは時間と辛抱しんぼうを捧げて安全な道を選ぶことにした。






 ベルトリウスが地上に舞い戻った日から二日後の昼間。ミハには十人の来訪者の姿があった。

 武装したその集団は皆一様に軽鎧けいがいを身に着けていたが、細かな形状が違う物を各人で使用していたため、やや統一性に欠けていた。

 経験上、その手の集まりは兵士ではなく雇われの傭兵集団だ。ついに護衛や戦争に参加するだけでは食っていけなくなったかと、ベルトリウスは遠くで揺れる影を面白おかしそうに観察していた。


 現在ベルトリウスが身を潜めているのは、野犬に襲われたミハの近間に茂る森の中であった。

 魂の回収を兼ねた暇潰しという名の野生動物狩りを行っていたところに、やっと求めていた騒がしさがやって来た。距離があって調査の手際までは見えないが、傭兵達が村の中や周辺をうろついているのが確認できる。


 ミハで兄妹を選んだように、傭兵達も案内役を残して全滅してもらおう。適当に一人生かして逃げる背を追えば、人の多い地域へ連れて行ってくれるはずだ。


 ベルトリウスがほくそ笑んでいると、ある傭兵が森の方へ歩いてきた。

 森の入口にいたベルトリウスは見つからないように奥へと奥へと引っ込んだが、傭兵は追うように同じ方向を進んでくる。

 ”まさか、またニオイで怪しまれたのか?”と警戒したものの、傭兵は空をおがめる開けた場所に出ると足を止め、ちょうど良い高さの石に腰掛けると休憩を始めた。

 なんてことはない、ただの怠け者だった。


 傭兵は頭部を保護する重苦しい見た目の大兜おおかぶとを外し、くたびれた様子で小さく溜息を吐いた。鈍色にびいろかたまりから現れたのは、陰鬱そうな顔付きの壮年の男だった。

 肩まで伸びた黒髪は面長の顔を隠すかのように垂らされていて、元より陰気な目元に一層影を差している。鎖帷子くさりかたびらに包まれた体は縦に大きいものの、横幅と厚みには少々の頼りなさを感じる。線の細い顔の部位、口元の無精髭ぶしょうひげが一層全体を貧相に見せた。


 傭兵は自身のえりに手を潜り込ませてふところをまさぐると、そこから小さな袋を取り出した。袋の口を開けて正方形の紙を取り出し膝の上に置くと、続いて袋から乾燥させた植物の葉を指でつまみ取り、広げた紙に乗せてクルクルと筒状に巻き始める。

 端を舐めて湿らせのり代わりにし、最後まで巻き終えると中身が出てこないように両端をねじると……傭兵は作成した煙草たばこを口に加え、露出した先端部分を親指と人差し指の腹で挟み込んだ。


 ”まさか指の摩擦で火を起こそうとしているのか?”などと思っていると、いつどこで火が生まれたのか、傭兵の煙草からは瞬く間に白い煙が上がり始めた。


 ―― ”魔術師”だ!

 ベルトリウスは初めて見る特異な人間に目を輝かせた。




 この世には魔術という不思議な力を操る人間がいる。彼らの能力は人々を笑顔にすることもあれば、逆に笑顔を奪い去ることもあった。

 何もない場所から炎の渦や氷の玉を生み出す者、晴天からいかづちを降らせるような驚異的な技を容易たやすく披露する者もいた。

 魔術師は世界各国に存在し、その多くは充分な教育を受けた上流階級出身者であった。外敵との交戦や内乱にしばしば駆り出される彼らだったが、ただでさえ身分が高い上に貴重な能力を持つ人材を捨て駒にするわけにもいかないため、どこの国も大概たいがいは後方の射程圏外で大技を展開させて下がらせるのがつねだった。

 結局前線で体を張るのは鍛錬たんれんを積んだ歩兵……高貴な身が使い捨てにされるなど、あってはならないのだ。


 だから、そんな選ばれし人間がこんな辺鄙へんぴな村に傭兵として登場するのはおかしかった。煙をふぅっと吐き出し、うつろな瞳で地面を見下ろすこの男は何者なのだろうか? ベルトリウスは興味が湧いた。


 男の煙草はあっという間に短くなり、崩れた灰がそよ風に飛ばされていると、村があった方角から仲間の傭兵が一人歩いて来た。


「おい、マギソン! テメェまた怠けてやがるな!」


 声を荒らげる仲間に煙草を吸っていた傭兵……マギソンは一瞥いちべつをくれてやると、またすぐに視線を地に戻した。


「おいっ、 聞いてんのか!? ったく、いつもいつも仕事しねぇで金だけ貰ってよぉ! 他の奴はまじめにやってんのに許されると思ってんのか!? ちょっと腕が立つからっていい気になってんじゃねぇぞ!! この事は隊長に報告すっからな!!」


 そう吐き散らしながら、仲間の傭兵は足元に伸びていた大木の根を苛立いらだった様子で蹴り上げて来た道を引き返していった。

 ベルトリウスは”これは使える”とひらめくと、真っ当な指摘を歯牙しがにも掛けず煙草をふかしているマギソンをひとまず捨て置き、去った背中をすみやかに追った。




◇◇◇




「よぉ、お兄さん」


 ベルトリウスは煙草を堪能たんのうし終えたマギソンの元へ堂々と姿を現した。

 服代わりに長布を巻いた泥まみれの変質者を前にしても、マギソンは驚きの声ひとつ出さず、さして興味もなさそうに立ち上がるだけだった。


「なぁ無視すんなよ、ちょっとお話しようってだけだぜ。あんた魔術師なのに何で傭兵やってんの?」


 ベルトリウスは一定の距離を取って話しかけた。こちらに敵意はないという意思表示と、もしマギソンが気を荒立てて帯剣たいけんに手を掛けても即座に対応できるようにするためだ。

 マギソンは生気のない目で見つめてくる以外の反応を示さなかった。ただ髪と同じ、真っ黒な瞳を向けてくるだけ。


「俺さ、実は魔物なんだけど、お兄さん協力してくれないかなぁって。人間の仲間が欲しいんだよね」


 ベルトリウスは無言の男相手にめげずに愛想の良い笑顔を浮かべて正体を暴露してみたが、面白みのない冗談だと思われたのか、マギソンが新しい反応をくれることはなかった。


 人間の仲間が欲しいのは事実だ。村や街に入りたくても、今のベルトリウスの見た目では悪目立ちをして門をくぐることすら一苦労。早めに工作の役に立つ協力者が欲しかったのだが、その協力者として魔術という唯一無二の至宝を持つマギソンは、この上なく魅力的な人物だった。

 何よりこの希望のない目……人生に意義を見出だせず、ただ今を生きているだけの亡霊の目。人間だった頃には、この手の人間をごまんと相手にしてきた。時にカモとして搾取し、時に自分の盗賊団に勧誘して仲間にした。後者の場合は金や女、力を手にすると瞳に輝きを取り戻すことが多く、そうしてたがが外れ、欲望のままに生きるようになった人間を見るのがベルトリウスの楽しみの一つだった。


 一緒に馬鹿をするなら、見ていて楽しい人間がいい。


「人を傷付けるのは好き? せっかくいいモン持ってんだからさ、それ使ってパーッと悪いことしようぜ。俺と一緒に面白おかしく生きない?」


 ベルトリウスが身振り手振りを加えて明るく話していると、マギソンはやっと口を開いて返答した。


「お前、さっきから臭いんだよ」


 そう冷たく言い放つと、マギソンは腰に下げた剣を鞘から引き抜き、すぐさま大きく振りかぶった。

 二人の距離は十数メートルほど離れていた。踏み込みで詰められる間合いではないが、相手は魔術師、どんな攻撃をしてくるのか分かったものではない。

 マギソンが剣を振り下ろす直前、ベルトリウスは右へ飛ぶように前転し回避した。するとベルトリウスが回避前に立っていた場所のさらに後方に生えていた大木が、いきなり轟音を立てて崩れ落ちてしまった。

 驚いて振り向くと、牛の胴体ほどもある太い幹部分が断面を晒してスッパリと切れていた。


「すっげ……あれどうやったの? どんな魔じゅ――」


 ベルトリウスが大木の方に関心している間に、目の前まで距離を詰めていたマギソンは鋭い剣先をベルトリウスの眉間に容赦ようしゃなく突き刺した。

 人間も魔物も致命傷の部分は変わらない。

 たった一撃でベルトリウスは死んだ。


 貫通した剣を頭から引き抜くと、マギソンはご丁寧に心臓にも剣を突き立てた。反射でビクッ、ビクッ、と動くベルトリウスを冷たく見下ろし、服代わりの長布を掴み取って自身の剣に付着した血をぬぐい取る。

 しかし、ベルトリウスの血は魔物の肉体を溶かすほどの猛毒だ。薄かった布は血に当たった瞬間に”ジュワッ”と小さな音を立て、飲み込まれて消えてしまった。

 マギソンは同じく血が付着して溶け始めた剣と籠手こてにやや驚きの表情を見せると、ある術を発動して上手く侵蝕を抑えた。


 少し表面が薄くなった自身の装備と……完全に動かなくなった地に伏すベルトリウスを交互に見ると、マギソンはミハへ続く道を静かに引き返していった。

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