7.ベルトリウス、死す!

「……うぅん……にいちゃ……? ―― ハッ!? い、イヤァァーーーーーーッ!!」

「大丈夫だ!! マリー!! 大丈夫!! 今他の村に向かってる!! 俺達は大丈夫だ!!」


 ミハ村を出発してしばらく、妹のマリーが目を覚ました。兄のボリスは握った手綱を離さぬようにしっかりと掴み、暴れるマリーを片手であしらいながら何とかなだめた。

 すでに隣村は視界に入っている。誰かに追われている気配もなく、このまま無事に到着できそうだとボリスは安堵した。




 ただならぬ空気を纏った兄妹の来訪にカナー村の人々の視線は集中した。


「あのっ、僕達ミハ村から来た者です!! どうか助けて下さい!!」


 ボリスは自分たちをいぶかしげに見つめるカナーの人々に向かって叫んだ。

 カナーの村人は近場の人間同士でヒソヒソと話をし、よそ者に対する警戒心を露骨に表していた。そんな中、一人の中年男性が眉をひそめながらボリス達に近付いた。


「ミハに水を分ける話なら昨日に受け入れの返事をしたはずだ。伝達役には帰り際にもいくらか持たせてやったし……これ以上うちの分を削るのは厳しい」

「水のことで来たんじゃありません!! 村がっ、村の人が全員死んでるんです!!」

「死んだだと? ……水を切らしたとはいえ、昨日の今日だぞ。いくら水不足でも急には死にゃせんだろう」

「だから水のせいじゃないんです!! 朝起きたら両親がっ、み、みんなが血だらけで死んでてっ……首を切られてたんです!! お、俺と妹だけ生きてたからっ、とにかくビックリして……助けてほしくて……くっ、ゥゥッ……!!」


 ボリスは未だ混乱している頭で何とか事情を説明をした。自分と妹以外の生きた人間に囲まれている安心感から、人前にもかかわらず涙をこらえきれなかった。

 ボリスがうつむき涙をぬぐっている間に中年の男は背後にいる他の住民に目配せをした。それを受けて、何人かの村人は奥のとある建物へと引っ込んでいった。


「今村長を呼んでくる。君達のことは彼が決める。どんな結果になっても悪く思わないでほしい」


 ボリスはヒクッと喉を鳴らし、顔を上げた。当然妹と共に保護してもらえるものだと思っていた少年にとって、男の台詞は頭の中をからにするには充分なものだった。


「君は恐らく本当のことを言っているんだろう。まだ子供なのに多くを失って気の毒だと思うよ。しかし、もし君達の村を襲った者が、君達を追ってここカナーまで追って来たらどうしてくれる? 君達をかくまったせいで取り返しのつかない事になったとしたら? ……分かってくれ」

「わ、分かってくれって、そんな……!?」

「サミー!!」


 冷酷な男の台詞にボリスが絶望した時、割って入ったしゃがれ声にその場の人間は一斉に駆けてきた老爺ろうやの方を振り返った。痛めているのか、片足を引きずって向かってくる老爺に、”サミー”と呼ばれたボリスと対話していた男は困り果てたように首を左右に振って溜息を吐いた。


「父さん……」

「サミー、子供になんて酷い仕打ちをするんだ! 可哀想だとは思わんのか!?」

「可哀想で村を壊滅させたらどうする。俺はカナーのためを思って言ってるんだ。井戸の水が変になった翌日に村人が全員殺される……おかしな話だろう。何者かに狙われていたに違いない。犯人がこの子達を追って来ないと絶対に言い切れるか? 父さんも感情を抜きにして考えるべきだ」

「だがしかし……それはあまりに酷だ……!」


 両者の言い分にどちらが正しいという絶対はなく、それを分かっているからこそ、周囲の村人達も皆渋い顔をして余計な口をはさまずにいた。

 村長というのはこの老爺。サミーという中年男性の父親なのだろう。村長と呼ばれつつも、実際に事を動かしているのは息子であるサミーのように見えた。

 村長はチラリと兄妹に目をやった。その申し訳なさそうな表情にボリスは不味いと感じるや否や、村長の悪くなった方の足に引っ付いて爪先に自身のひたいをこすり付けて懇願こんがんした。


「お願いします!! 何でもします!! 家畜の世話は村でやってましたしっ、行けと言われれば冬の狩りでもまき集めでも何でもやります!! それでもダメなら、せめて妹だけはここに置いて下さい!! お願いしますっ!!」

「いやぁ!! 兄ちゃも一緒にいてぇーー!!」

「お願いしますっ、お願いしますっ!! この子だけでもお願いしますっ!!」


 ボリスの必死の想いは充分にカナーの人々に伝わった。妹のマリーがボリスの服のすそを引っ張って泣いている姿に誰もがいたたまれなくなり、それが決め手となっていた。


「サミー……せめて冬の間だけでも面倒見てやらんか?」

「そうよ、可哀想だわ」

「こんな時期に子供だけで追い出すなんて……」


 村長始め、周囲の村人達も兄妹の肩を持ち始めると、サミーはついに折れて”やれやれ”と俯きがちに目頭をつまみ押さえた。


「……しばらくの間だけだ。うちの村も冬の備えが余ってるわけじゃないからな。兄貴の方はかなり仕事してもらうぞ」

「あっ……ありがとうございますっ!!」


 ボリスとマリーは抱き合って喜び、そんな兄妹をカナーの人々は温かく微笑みながら迎えた。




◇◇◇




「優しい村だねぇ」


 誰に語り掛けるでもない呟きは、家畜の鼻息や鳴き声に掻き消された。

 ミハで馬車の荷台に忍び込んだ後、カナーに着くまでひたすら他の荷物と共に揺られ続けていたベルトリウスは、ボリス達が泣き叫んで注目を集めている間に荷台を抜け出し、またも村の家畜小屋へと身を潜めていた。

 ここなら家畜のニオイで自分の腐臭も気にならないだろう。前の村で自身の体臭に気付いていない頃に、偶然家畜小屋に逃げ込んだのは運が良かった。他の場所なら不審に思われ、居場所を辿たどられていたかもしれない。

 ベルトリウスは屋根裏の壁板の隙間から歓迎を受けている兄妹を覗きながら、今後について考えた。


 エカノダは己の体が亡者の魂を吸収すると言っていた。確かにミハの村人を殺している最中、何となく腹が張っているような違和感があったのだが、いつしかその感覚は消えていた。

 エカノダが地獄むこうで回収したのだろうか? 謎ではあるが、とりあえずこのカナーでもミハ同様、寝込みを襲って地道に殺していく他いい案が浮かばない。


 ベルトリウスは壁板の隙間から外の様子を眺めながら、じっと夜が来るのを待った。

 睡眠を取る必要がないというのも考えものだ。昨日もそうだったが、とにかくやることがないので暇を持て余していた。

 外を眺めるのに飽きると、剥がれた爪の跡や野犬に噛まれた部分を指でなぞって時間を潰す。できたばかりの新しい傷口はもう再生した皮膚で塞がっており、覗いていたはずの赤い肉を完全に覆い隠していた。脆い体は毒をまき散らすためにあり、代わりに再生力が上がっているのだろうか? それにしても、些細な衝撃で傷ができないくらいには強度が欲しかった。


 体のあちこちを確認してみるが、そんな作業に何時間も費やせるわけがなく……いよいよ手がなくなったベルトリウスは下にいる家畜達をぼーっと眺めたり、再度外の様子をうかがったりして何とか”暇”という責め苦から逃れようとしていた。

 そうこう努力してやっと夕方となり、もうひと踏ん張りすればまた楽しいことができると心を躍らせた時だった。


「キャーーーーーーーーッ!!!!」


 甲高い女の悲鳴が村に響き渡り、ベルトリウスは何事かと壁板に張り付いた。

 外からは徐々に村人のざわつきが高まりだし、家畜小屋から離れた場所では何やら叫び声や物が壊れるような鈍い音が聞こえた。

 音のする方へ目をやると、そこには村の女の首根っこを片手で掴んで村を練り歩く大きな一匹の……いや、一人のがいた。


 筋肉の盛り上がった胴手足は人間のものであるが、みきのように太い首に乗っかった頭部は爬虫類独特の形と表情を取っている。体表を覆う青黒い鱗は脳天から爪先まで綺麗に生え揃っており、尻部分に付いた大きな尻尾を垂れ揺らしながら琥珀こはくの眼をギョロリと覗かせる姿は、さながら獲物を物色する捕食者のようだ。


 襲撃を受けた村人達はあれが噂に聞く魔物かと、恐れおののいた。


「な、何だお前はっ!?」


 実質村を取り仕切る者として、果敢かかんにもサミーが農具を武器にトカゲ男に詰め寄った。


「何だオメーはだとぉ〜〜?」


 口を開いたトカゲ男は片目をクッと大きく見開きながら、人の言葉で答えた。そしてニマァと口角を上げ、細い舌をこぼして唾液を散らした。


「オレサマをオメー呼ばわりたぁ〜〜よぉ〜〜、無礼な人間じゃねぇかよぉ〜〜〜〜!!」


 そう言うとトカゲ男は目にも留まらぬ速さで対峙していたサミーの直近へ移動し、誰の視認も追いつかないうちに彼の腹部へ拳を叩き込んだ。トカゲ男の腕はサミーの肉体を貫通し、突然の激痛に暴れる間もなく腕を抜かれたサミーは、加えて顔面に打ち込まれた血塗れの拳が決め手となり絶命した。


 あまりの一瞬の出来事に、立ちすくんでいた周囲の村人達は四方八方、蜘蛛の子を散らすかのようにそれぞれ村の外を目指して走り出した。トカゲ男はそんな混乱する人間達の様子を嘲笑ちょうしょうしながら、死体となったサミーに向かって、片手に握ったままの女を投球するように勢いよく投げてぶつけ、とどめを刺した。


 ……ベルトリウスは薄っすら冷や汗をかいた。己の能力はあんな素早い敵に対面で渡り合えるほど勝手が良くない。毒を仕込む以前の問題……見つかって問答無用で殺されてしまうぐらいならば潔く立ち去る他ないと、ベルトリウスはこの村での魂の回収を断念することにした。

 村人が犠牲になっている間に静かに屋根裏のはしごを降りている最中だった。

 昼間よく聞いたあの少年の声が、小屋の外で響いた。


「おっ、お前がみんなを殺したのかっ!?」


 そこには無謀むぼうにもトカゲ男の進路方向を立ち塞いだボリスが、両手でナイフを握り締めながら体を震わせていた。


「あぁ〜〜〜〜? なんだテメー?」

「答えろっ!! おっ、お前がおれの村を襲ったんだろ、って言ってるんだっ!!」

「村ぁ〜〜? 村なんてたくさん襲ってっから、イチイチ覚えてネェーよ」

「覚えてないだって……!? 昨日のことなのに覚えてないってのかよっ!?」

「ンン〜〜〜〜? そりゃどういう……」


 ”あのガキ失言しやがって”、とベルトリウスは焦った。

 トカゲ男はいわれのない罪に目をつぶり、何かを考えながら額を爪で二度三度掻くと、また目を開けてニマァと笑った。


「確かにいるなァ……もう一匹……感じるぜぇ、同類の気配」


 ベロッと長い舌を出しながら、トカゲ男はベルトリウスのいる小屋に視線をやった。建物越しでも感じる圧に、ベルトリウスは逃走の失敗を悟った。


「ど、どこ見てんだ! やってやる……やってやるぞっ! みんなの仇だぁっ!!」

「うるせぇなチビ造。オレぁ〜オメーの言ってる奴じゃねぇ……ってーーのッ!!」


 ナイフを構えて突撃してくるボリスに対し、トカゲ男はその場を軽やかに跳躍ちょうやくし空中で一回転をすると、走ってくるボリスの頭頂目掛けて丸太のような尻尾を叩き付けた。

 人体が破壊される音と共にボリスの頭部は胴まで陥没し、少年はパタリと地面へ倒れ込んでしまった。


「これでよぉ〜〜〜〜し……おい、姿見せてみぃそこのぉ。出てこねーならコッチから会いに行ってやんぜぇ?」


 自身が生み出した全く酷い光景を物ともせず、トカゲ男は姿の見えないベルトリウスに向かって語り掛けた。台詞通りどんどん近付いてくる気配に、ベルトリウスは意を決して小屋の中から姿を現した。


 魔物というよりは人間に近い……薄汚れ、布をグルグル巻きにした浮浪者にしか見えない”同類”の登場に、トカゲ男は落胆した表情で迎えた。


「ンだオメー、弱そうだなぁ。どこのモンだ?」


 ”どこのモン”とは、どの管理者の獄徒かということだろう。ベルトリウスは正直に答えるべきか迷った。もしエカノダと対立している管理者の配下だったらと考えると……いや、嘘をついたところで助かる気がしない。

 ベルトリウスは覇気のない声で答えた。


「あー……俺はエカノダ様に仕えてる」

「エカノダぁ? フーン、そうかい……知らねぇ名だなぁ」

「知らねぇ?」

「アァ。知らねぇ」

「そうか……知らねぇか……」


 言うならば、”詰み”だ。

 つまらなそうに目を細めるトカゲ男を見て、ベルトリウスは次に訪れる展開を察した。


「とりあえずよぉ〜〜……名前も知らねぇ商売仇しょうばいがたきは死んでくれやァッ!!」


 トカゲ男は俊敏しゅんびんな動きで瞬く間にベルトリウスと距離を詰めると、泥のこびり付いた顔面を掴んで後頭部を地面へ叩き付けた。腰の鉈に手を伸ばす間も与えられぬまま、ベルトリウスは激痛の波に揉まれた末に意識が途絶えた。

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