第49話 朝焼けの光
「コヂカちゃん、耳を貸しちゃだめ!」
放心状態のようなコヂカに、ヲネは牽制するように言った。コヂカはその声にゆっくりと目を開け、
「うん、わかってる」
とヲネに返した。
「ヰネさん。確かに私の弱さと、クリヲネちゃんのエコウとしての使命感がシオンを消える直前まで追い込こんでしまったのは事実です。でもシオンの魂は決して弱くなんかありません。消える直前になっても、シオンの魂が形を保っていたのは、私がシオンを覚えていたからではなく、シオンが忘れさせてくれなかったからなんです。私だけじゃない、カンナとマリも、クラスのみんなも、心の奥底にシオンの姿がこびりついていて、記憶の中から完全に消すことはできませんでした。それは、かっこよくて美人で、常に自信に満ちている佐藤シオンが、『トレード』の魔法を使っても消えないくらい強い印象を、今まで私たちに与え続けてきたからなんです。だから存在が消えても、シオンはみんなの心の奥でしぶとく生き残っていたんです。シオンは誰からも忘れられて『雫』なってしまうような存在なんかじゃありません。私にとってかけがえのない、憧れの友達です」
コヂカは観音様の前で漂う光の束たちを一度見て、ヰネに対して頭を下げた。
「魔法の対価がきちんと払えない、礼儀知らずなのは重々承知しています。ですがどうか、シオンの魂をもとに戻してください。お願いします」
コヂカの動きに合わせ、ヲネも続けて頭を下げる。どこからかカモメの鳴き声が聞こえ、夜が明け始めた。
「そこまで言うのなら、佐藤シオンの魂が活きのいい強い魂だと証明してみなさい。もう夜明けまで時間がないみたいだけどね」
ヰネがそう言い終えると遊園地は赤紫色に染まり始めた。太陽の光が暗闇の中にまで流れ込んでくる。コヂカとヲネは急いで光の束に駆け寄ると、シオンの魂を掴もうと光の中へ手を伸ばした。
「あっ、魂の形が!」
しかしコヂカが手を掛けた瞬間、シオンの魂は煙のように空中で切れ、赤紫色の空へと上がっていく。
「まずいわ。さすがのシオンの魂でも、完全に消えかかってる!」
ヲネが慌てた顔でコヂカを見つめながら言った。
「どうすればいいの?」
「もう一度、シオンのことを思い出して、魂を掴めるくらいまで存在を強めるの。おそらく、これが最後のチャンスだわ」
「わかった。やってみる」
いつになくヲネの真剣な表情に、コヂカは口を堅く閉じてうなずいた。そして目を瞑り、煙のような光に手を重ねて、シオンのことを思い浮かべる。しかし魂が消えかかっているためか、シオンの姿も声も、彼女との思い出も明確に思い出せない。シオンだけが曇りガラスの向こう側にでもいるような、霞んだイメージとなってコヂカの記憶の中を行きかう。
「だめ! うまくいかない!」
コヂカは焦りながら目を開き、何度も魂を掴もうと手を伸ばす。だがそのたびに魂は千切れ、ゆっくりと空の彼方へと昇っていく。今度は背伸びをしてみるが、それでも掴むことはできない。こんなことになるんだったら、もっとシオンとたくさんの思い出を作っておけばよかった。コヂカはふと、手を引こうと腕から力を抜いた。その時、ヲネが横から声をあげた。
「あきらめちゃだめよ!」
そうだ。あきらめちゃだめだ。逃げずに向き合わなきゃ。コヂカは再び腕に力をこめ、目を瞑って息を吐く。太陽はもう、観音様の後ろまで来ており、魂の明かりが次第に弱くなっていく。シオンについての記憶を探り、彼女のことを生きているかのように思い浮かべる。楽しい記憶はほとんどなく、嫌な思い出ばかりがコヂカの眼前を漂う。それでもコヂカは思い出すことをやめない。シオンの苦手な部分、コヂカの中にあるシオンを否定してしまう心。そのすべてをしっかりとまぶたに焼き付けて、シオンと向き合う、自分自身と向き合う。また『4人』で学校生活を送りたい。分かり合えなくたっていい。否定されたっていい。シオンのことをもっと知りたい。彼女ともっと語り合いたい――。
「コヂカちゃん!」
ヲネの声が聞こえた時、弱くてざらざらした魂の感触をコヂカは指先に感じ取っていた。そのまま胸元にシオンを引き寄せ、ヲネに優しく手渡す。
「クリヲネちゃん、ありがとう。シオンをお願い」
「うん」
朝焼けか魂の光かわからない色の中で、ヲネは小さくほほえんだ。
「コヂカちゃんがヲネのことを綺麗だねって言ってくれたこと。ずっとずっとずっと、忘れないよ」
その声は次第に細くなり、やがてコヂカの頭の中からも消えていってしまった。
☆☆☆
その朝、コヂカは幾つもの星を見た。海岸線から現れる紫色の太陽の横で、水しぶきのように漂う無数の星のような光を見た。それは弱く、明るく、強く、暗かった。でもそんな星々が、渾然一体となって美しい朝焼けの色を醸していた。瞳に映るその現実は、いい景色でもあり、嫌な光景でもあった。でも、コヂカはそのすべてを受け入れることにした。美しさも、許せない色も、眩い太陽も、おざなりに沈んでいく月も、すべて記憶に刻み込んで、思い出にしてしまった。
さて、今日はどんな一日になるだろう。カンナやシオン、マリたちがコヂカの心のグラスにどんな青春の味を注いでくれるのだろう。甘いのか、酸っぱいのか、苦いのか、それとも何の味もしないのか。楽しみではないが、期待はしている。わくわくもする。今はその味を思いっきり浴びたい。どんな味であっても構わない。喉を突き抜けて、胃の奥までその味で満たしたい。グラスから漏れ出すことだけは、もったいないからしたくない。
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