第30話 二度目の記憶
目覚めては眠ることを、数えきれないほど繰り返した心地の朝だった。コヂカはいつも通りのスマホのアラームで目覚め、寝ぼけ眼をこする。あれ、さっきまで、夜のバス停だったはず。曖昧な記憶に、コヂカは不思議な感覚を覚えた。机の上にはまだ、あのシーグラスがある。
「夢だったのかな……」
疲れたように息を吐き、ベッドから起き上がって仕度をする。夢だったとしたら、どこからどこまでが、……夢? みんなの裏切り、生徒会選挙、いやもっと前から、クリヲネちゃん、シーグラスの少女。そうだ、そんなことあるはずがない。あれは夢だったんだ。コヂカは納得して、制服に着替えた。学校に行かなくちゃ。月曜日だ、生徒会の挨拶活動がある。
「夢じゃないの」
その声は当たり前のように、コヂカの部屋にいた。えんじ色のシーグラスの少女、ヲネ。彼女はコヂカの目の前にいつの間にかいて、姿見の横で頬を膨らませている。
「クリヲネちゃん、これってどういうこと? 私たちさっきまで、夜のバス停にいたよね?」
「うん、いた。でもそれは遠いとーい世界での出来事。今この瞬間とは、何も関係ないの」
「それってどういう?」
コヂカの言葉を遮って、ヲネは言った。
「すぐにわかるよ」
「えっ」
会話が途切れると、外の廊下から足音が響いた。どんどん、どんどん。それは次第に騒がしくなっていく。両親はもう仕事に行ったし、隣の部屋は空室のはず。やがて足音は、ノックに変わりコヂカの部屋のドアを、勢いよく叩いた。
『姉ちゃん、起きてる?』
その声は、コヂカがこれまでに一度も聞いたことのない、少年の声だった。ただ記憶の奥深く、生まれる前から持っている思い出に、自然と共鳴する心地よさを持ち合わせている。
『もう、遅刻するってば。入るよ』
ドアが開いて彼に会う前に、コヂカは声の主の正体を知っていた。そして、何故か名前までも。
「カナタ……」
記憶の中にない、弟の顔と名前が、なぜか彼を見た瞬間にコヂカの脳内に痛烈に刻み込まれる。海野カナタ。6歳下のコヂカの弟。生まれてこなかったはずの、コヂカの弟。家族思いで、働き者で、ちょっぴり怖がりな、コヂカの弟。
「なんだ、起きてるじゃん」
カナタはコヂカを見るなり、めんどくさそうに眉をしかめた。起こしてに来てやったのに、と言いたげな顔である。白いパーカーに、黒のハーフパンツをはいて、傷ついたランドセルを肩にかけた、透き通るような青くて赤い肌の少年は、コジカの表情を見て、引いたように顔をまたしかめた。
「なんで姉ちゃん、泣いてるの?」
「あ、ごめんごめん。昨日コンタクト付けたまま寝ちゃって」
「なんだ。俺、先に下へ行ってるからね」
「あ、うん。すぐ行く」
カナタはドアを閉めると、一階のリビングまで勢いよく階段を下りていった。ヲネの姿は、カナタにもどうやら見えていないらしい。得意気な顔をしてみせるヲネを横目に、コヂカは頬を拭った。
「コンタクト、付けなきゃだ」
☆☆☆
再会と呼んでいいのかわからない。出会っていないのだから、再会とは言えないのかもしれない。それでもコヂカには、これまでの人生のどんな瞬間よりも、今が一番尊い時間だと思えた。
リビングにあった3人だけの家族写真は、いつの間にか4人になっていた。カナタはまるでずっと昔からこの家にいたかのように、その痕跡はあちこちに溶け込んでいた。泥まみれのサッカーボール、何年か前の仮面ライダーのベルト、一回り小さいマジックテープのスニーカー、使い古した赤いランドセルの隣に、使い込み中の黒いランドセル。それらは男子しか持たないもので、この家には無縁の品々だった。そして、かつて骨壺が置かれていた和室には、カナタが幼稚園時代に描いた父の笑顔が、コヂカの描いた母の笑顔と対になるように置かれていた。
「まるでずっと、あの子と一緒に暮らしてきたみたい」
コヂカが感動で独り言を漏らすと、隣で小さくヲネが言った。
「ずっと一緒に暮らしていたのよ、あなたたち二人は」
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