第5話 微睡の孤独
本州最南端にあるこの街は太陽と海風が時々けんかをする。そのせいで今日も風の強い一日になりそうだ。コヂカはショートカットの後ろ髪をなびかせながら、誰よりも早く学校に現れた。朝の挨拶活動は生徒会の会計であるコヂカにとって重要な活動の一つである。生徒会室の鍵を開け、『○○高校生徒会』の文字が入ったタスキを取りに行くと、少し遅れて後輩で庶務の男子が入ってきた。
「あ、海野先輩。おはようございます」
「おはよう、カヅキくん」
「さすが先輩、早いですね」
「だって今日の当番で鍵持ってるの私だけだし」
「あっ、そうでしたね、すみません、なんか」
「いいのいいの。さあ今日も頑張ろ」
「はい!」
コヂカはタスキを彼に渡して言った。生徒会庶務の堀田カヅキはコヂカにとってとても頼りになる後輩だ。言われた仕事は必ずこなしてくれるし、きちんと活動にも参加する。彼は自分を犠牲にして人のために尽くしてくれるようなタイプなのだろう。身長は低く、細くてかっこよくもないのだが、コヂカは彼に絶大な信頼を寄せていた。
夏休みが明けて間もない朝の学校は、すべてにおいて気だるさが付きまとっている。挨拶をしても、返してくれない生徒が多い。それでもコヂカが懸命に挨拶を続けるのは、これが自分の役割だと思っていたからだ。生徒会の一員としての自分。そんな役割が与えられていれば、自分の感性が周りとズレていても自然と人が集まってくる。カヅキもそんな中の一人だった。
「今日もぜんぜん挨拶返してくれなかったですね」
挨拶活動を終えて生徒会長室に戻る途中、カヅキは頭を掻きながら隣を歩くコヂカに言った。
「仕方ないよ。みんな眠そうだもん」
「でも僕たちだって眠いのには変わりませんよ」
「ふふっ、それもそうだね」
朝の陽ざしに潮風が混じる。
「……先輩は会長に立候補するんですか?」
カヅキは少し真剣なトーンになってコヂカに尋ねた。11月に迫った生徒会長選挙の話だ。
「どうしようかな。来年は受験もあるし」
コヂカは生徒会長への立候補するかどうかを決めかねていた。例年であれば会計の生徒が次期会長として立候補することになっている。しかし周りに考えを合わせてしまいがちなコヂカが、生徒会長としてリーダーシップを上手く発揮できるのか自信がない。もともと生徒会に入ったのは、家族の期待に応えるためと自分の居場所を作るためで、学校を変えたいとかそんな大それた考えは持っていなかった。
「僕は、先輩に会長をやってほしいです」
コヂカが前を向いていろいろ考えていると、隣でカヅキがそう言った。
「えっ?」
「今の生徒会で海野先輩ほど真面目で堅実に活動をこなしてくれる先輩はいません。僕はみんなを引っ張っていく人よりも、みんなの模範となるような人の方が会長に向いていると思うんです」
予想だにしなかったカヅキの意見にコヂカは少し戸惑った。でも信頼している後輩に男子にそう言われたことが、コヂカにとってはとても嬉しかった。
「私がみんなの模範か……」
コヂカは独り言のように言って、続けた。
「ありがとうカヅキくん。立候補のこと、真剣に考えてみるよ」
そう返ってきたコヂカの言葉にカヅキは照れくさそうに笑った。それはまるで告白の返事を保留にされたみたいな照れ笑いだった。でもあながち間違っていないのかもしれない。コヂカはともかく、カヅキの方は――。もちろんコヂカにとっても、カヅキとの二人の時間は、心にぽっかり空いた穴が埋まっている。ただこれが恋ではないことくらい、コヂカには分かっていた。それは思慕のような、いとしさのような。コヂカにとってカヅキは弟のような存在なのだ。
☆☆☆
廃れた観音様の頭から乾いた風が麓に抜けて、それが昼休みの教室の風鈴を揺らした。忘れられた廃遊園地からここに流れついた風は、息を吹き返すように、半透明のカーテンや女子生徒のスカートをなびかせて、コヂカの頬にあたる。その涼しく優しい風を浴びて、コヂカはハッとする。
「ちょっとコヂカ、聞いてる?」
シオンが疑い深い目でコヂカを見つめた。今日もカンナたちとおしゃべりをしながら弁当を食べていのだが。やばい、なんの話だっけ? シオンの話をコヂカは聞いてなかった。
「あっ、ごめん。ちょっとぼーっとしてて」
コヂカの言葉に、シオンはほんの一瞬だが嫌悪をむき出すように真顔で固まった。あっ、嫌な目だ……。するとすかさず
「どうした? なんかなんか眠そうだねコヂカ」
とカンナがフォローに入ってくれた。
「うん、今日あいさつ活動でさ、早起きしたから眠くって」
「そっか、朝立ってたもんね」
「大変だよね。生徒会って」
マリも弁当をつつきながら同意する。シオンはカンナとマリの顔を見て
「眠いんだったら、寝てもいいからね」
とコヂカに声をかけた。
「ううん、大丈夫。ごめんね、シオン。話続けて」
コヂカは閉じそうなまぶたを必死に見開いて、シオンが続ける彼氏の愚痴を聞いた。相槌を打ち、返答ができるぐらいには話を聞きながら、コヂカは今の一連のやりとりにそこはかとなく恐怖を覚えた。シオンの目つき。フォローを入れてくれたカンナとマリ。仲良しな4人。いつまでもおしゃべりは絶えない。青春の一ページのような穏やかな海風の抜ける教室で、コヂカは一人、孤独を感じていた。
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