初秋風
紫 李鳥
第1話
連絡船から望む初秋の海は午後の日差しに
連絡船を降りると、黒い夏帽子の
旅行鞄を提げた美輪子は、海に続く
波は穏やかだった。美輪子は海を見つめながら、
豪に初めて会ったのは、行きつけだという同僚に誘われて行ったパブだった。同僚数人と
美輪子はその歌声に酔い
豪がくれた合鍵を使うと、時間帯の違う豪のマンションに行き、週に一度の休日、掃除や洗濯、料理を作ってあげた。そして、食後にグラスを傾け、ほろ酔いになると流れのようにベッドで
ひと月ほど過ぎたある日、美輪子は風邪を引いて会社を休んだ。薬で症状が治まると、豪を驚かそうと、チャイムを押さないで合鍵を使った。
すると、そこにあったのは、綺麗に揃えられた黒いパンプスだった。……まさか、と思いながら、震える指で寝室のノブを回した。
あっ! と心の中で発し、目を丸くした。ドアを開けたそこには、豪の裏切りが具体的な造形を成していた。息を呑んで後退りした美輪子の指先から食材の入ったスーパーの袋が滑り落ちて、ブシャっと音を立てた。途端、二つの顔が同時に向いた。――
気がつくと、明かりのない部屋に街灯が漏れていた。壁に
翌朝、休む旨の電話をする気分にもなれず、郵送で有給休暇の通知をすると、美輪子は旅行鞄を手にした。行き先はどこでも良かった。……南の海にしよう。夏服しか詰めなかったし。美輪子はそう思いながら、新幹線の自由席の窓際に腰を下ろすと鞄を横に置いた。誰にも隣りに座って欲しくなかった。
博多で乗り換え、長崎で降りると駅前のビジネスホテルにチェックインした。窓辺に佇みながら、……この際だ、離島まで行ってみよう、と思った。気がつくと、水平線からのオレンジ色の夕日が海を染めていた。――テレビのニュースを見た。
翌朝もまたテレビのニュースを見た。十時にチェックアウトすると、中華料理店で食事をしてから観光をした。午後、埠頭から連絡船に乗った。――そして、砂丘に腰を下ろしたのだった。
海辺のホテルにチェックインすると
翌日、近くの喫茶店でコーヒーを飲みながら新聞を捲った。――そこを出て、展望台まで上ろうとした時だった。
「ね、東京から来たと? おい達が観光案内ばしてやるけん」
少年が二人、突然、背後からやって来て、美輪子の前に立ちはだかった。
「……いぇ、結構」
美輪子は見上げると、迷惑そうな顔をして前を横切った。
「結構、って、よか、って意味ね? したら、手ばつなごうで」
長身の
「ちょっと、何すんのよ!」
美輪子は少年の手を振り払おうと力一杯に腕を引っ張った。
「案内してやるけん」
小太りの方も手を握った。
「オイッ! 何ばしとっとや! 放さんか!」
別の少年がそう怒鳴りながら後方から坂を駆けてきた。
「ヤバッ。おい、逃げようで」
長身は美輪子から手を放すと、小太りに声をかけて一目散に逃げ去った。
「大丈夫ね?」
顔を小麦色にした長髪の少年が優しく訊いた。
「……ええ。ありがとう」
美輪子は痛そうに左手を擦った。
「……病院に行くね?」
少年が心配そうに訊いた。
「大袈裟ね。大丈夫よ」
美輪子は苦笑いした。
「……観光ですか?」
「……ええ。まあ」
「俺、
町おこしの一環のような少年の言回しが美輪子は
「……じゃ、お願いします」
「ハイッ」
白い歯を覗かせた佑輔は前に立つと、美輪子を誘導するかのようにゆっくりと坂を上った。
小さな神社の木陰で涼を取りながら、そこから一望できる海の景色を堪能した。こういう、観光名所にないスポットはジゲもんならではだ。
「……学校はどうしたの? 高校生でしょ?」
十歳ほど離れた少年を弟のように扱った。
「たまに行っとる」
そう言いながら、ジャージのパンツから煙草を出した。
「……煙草は体の成長を止めるのよ。二十歳から、と言うのは
いつの間にか保護者になっていた。
「……現在、理想的な体型を保っとるけん、これ以上成長せんちゃよか」
「それだけじゃないわ。体にだって良くない――」
「分った。明日からやめるけん」
説教は聞きたくないと言わんばかりに、美輪子の話を遮った。
「……」
観光マップに載ってない名所を佑輔に案内してもらうと、美輪子は礼を述べた。
「……明日も会いたか」
佑輔がぽつりと言った。
「……」
「下の喫茶店で待っとっけん。……来るまで待っとるけん」
「……行けたら……ね」
美輪子は
美輪子はホテルに戻ると、夕刊を手にして部屋に入り、全国ニュースの時間に合せてテレビを点けた。
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