第23話 「自分を愛する」→「自分らしく生きる」

「手放し」のエッセイのところで、自分のしたい事を見つける


ために、自分を愛するって事が、必要だと気づいたという話を


したのですが、どうして、自分を愛することが自分のしたい事に


繋がるのか、自分らしく生きることに繋がるのか、書かせて


頂こうと思ったのと、若い方が自殺された話を聞いて、


本当に残念ですし、心が痛んだので、


「自分を愛する」ということを詳しく書かせて頂く事で、


今、心が苦しい人が、少しでも見方が変わって、楽になってくれ


たらと思い書きます。


私なりの解釈で思った事を書いただけなので、きちんとした答え


を求めている方には向いてないと思います。


参考程度にお願いします。


まず、自分のしたい事が分からず、したい事を見つけるための


方法を見つけなければならなかった私は、いろんな本や


ユーチューブで、調べました。


ある方のユーチューブで、自分のしたい事を見つけるためには、


自分を愛して、自分の心の声をきいてあげなさいとおっしゃって


いた。


でも、「自分を愛する?」「自分の心の声を聞く?」ってことが


どうして自分のしたい事に繋がるのか漠然としていた。


いろいろ調べても、点と点では話しているんだけど、流れとして


理解できず困惑していた。


それでも、こういうことなんじゃないかと思う流れが、


自分のなかででてきたので、説明します。


まず、なぜ、「自分を愛せていない」状況があるかというと、


全部ではないですが、世間や、メディア、自分の周囲の人から


求められている「こういう人がいい」「こういうのがいい」


という自分に、自分がなっていなくて、その、なれていない


自分を嫌だと思っているから、そうあってはいけない


自分だと思っているから。


でも、例えば、見た目とか、目が大きくてかわいいという


ような、メディアがいいという人は、メディアが、


こうあれば物がよく売れるというイメージを押し付けているだけ


の時もある(そうでない場合もあるだろうが)


そのままのあなたでいいですよってなったら、マスカラや、


つけまつげ、アイライン、目を大きく見せるためのカラコンや


手の込んだアイシャドウーなど、誰も買わなくなるだろう。


こういう人がいい、こういう状況がいいという事は、


本当に自分にとっていい事なのか?幸せにする考え方なのか?


世間やメディアという目に見えない呪縛や固定観念に縛られて、


そう思わされて生きていることも多い。


だから、自分の中の固定観念を見つめ直して、本心から望む方を


選んでいかないと、自分が望む人生ではなく、世間が求める


人生を生きることになってしまう。


これを踏まえて、


「自分を愛する」という事は、「自分を知る」ことがないと


できません。


心の声を聞くというと、漠然としているので、


自分の心の中にある愛せてない部分、「嫌だった経験」


「嫌な見た目」「嫌な性格」など、自分の中で認めたくなかった


自分を書きだします。


そして、その一つ一つを、例えば


「気の弱い自分が嫌だ」という事があるなら、それを、そのまま


受け入れて、認めてあげると、その思いを感じて辛かったり、


嫌な思いをしてきた感情が、自分の中に湧き上がってきます。


ちゃんと認めてあげないと、湧き上がってきません。


湧き上がってくるという事は、今まであったのに、自分が見て


見ぬふりをしてきたという事であり、自分が自分にずっと


そういう思いをさせ続けてきたという事です。


この部分は、気づかないだけで、ずっとあるから、無意識に、


この部分を、他人にそういう部分もいいよと認めてもらう事で、


癒してもらおうとしたり、自分を癒す状況や物でごまかそうと


する。


それを、相手や状況、物がしてくれているうちはいいが、


してくれないと、執着や自分が苦しい状況が続く。


これがひどくなると鬱になるのではないかと思う。


一時的に、人や状況、物が、自分の受け入れたくない部分を


消してくれたような気がするが、結局は、自分が自分のどんな


部分も、無条件で、そのままでいいと認めて、


愛してあげないと、消えることはない。


だから、まず、自分が嫌だと思っている事を受け入れて、


認める。


そして、その感情を味わいきってあげて、自分の心に対して、


癒すような声をかけてあげる。


「今まで辛かったね」とか「今まで我慢してくれてありがとう」


とか、自分が他人からかけて欲しいと思っている言葉を、


自分で自分にかけてあげる。


ちゃんと感情を味わえるようになると、声をかけなくてはと


思わなくても、自然に、心からの思いがでてくるようになる。


(今までの私は、この部分が分かっていなかった。他人が癒す


ものだという思い込みがあったし、自分の心と自分が、


なんというか、自分の中に自分の心がある感じで、


イメージでいうと、重なっている感じだったのだが、


そうではなく、自分の心と自分は、他人と自分のように、


向き合ったイメージだ。)


そして、癒されたら、最後は、


「気の弱い自分でも愛してるよ」


「どんな自分でも愛しているよ」


といってあげるのだ。


一つ一つの嫌だと思っている部分(経験、見た目、性格など)を


こうやって癒して、愛してあげると、無条件の自分、


ありのままの自分を愛せるようになる。


(自分で自分を癒し、愛し、満たせるという事に気づく事は


とても大切だ。


自分で満たせるという事に気づかなかいと、他人や状況に


依存することになり、それを得るために自分の心を置き去りに


するという悪循環になってしまう。)


そして、この無条件に自分を愛せて、ありのままの自分で


いいんだという自信は、無条件の自信を生む。


(何かができての自信でもいいが、それだと、もっとすごい人がでてきたり、条件が変わると自信がぐらついてしまう)


                 ↓

この状態になって初めて、自分の中にある女性性


(夢や希望を持つ)が進化する。


この状態だと、無条件に愛する自分を大切にしたい、


幸せにしたいという思いが芽生え、失敗しても、失敗した自分


さえ愛せるので、こういうのはだめとか、無理とかいうブロック


なしに、純粋に自分が心から望む事を考える。


(自分への無条件の愛と自信がないと、自分ができそう

だったり、やった方が得な事、みんなにすごいと思われること

とかを選んで、純粋な望みとは違ってしまう)


                 ↓

そして、純粋な望みを現実として叶えさせてあげたいという、

男性性(行動)も進化してくる。


                 ↓

この女性性と男性性が進化して、最後、「統合」というプロセス


までいくと、自分の心から望む事を、現実化していくという


「自分らしく生きる」となる。


(自分のどんな所も無条件で愛し、自分らしく生きられるようになると、他人のここは認められないと思っていた部分も、同じように認めて愛せるようになったり、他人が自分らしく生きることも許せるようになります。)


わかりずらい所も多かったと思いますが、最後まで読んで


下さってありがとうございます。


辛い状況の人に、たくさんの人の温かい思いが伝わり


ますように!






















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