怪奇探偵雪山蒼南の事件簿

伊東かやの

第1話 今日も長夜に見る夢は

「少しお話良いですか?」


突然声を掛けられ、スマホに落としていた視線を上にあげた。目の前には帽子を目深にかぶった男が立っている。


「……間に合ってます」


あまりにも怪しかったので相手にしないことにした。しかし、男はベンチに座っていた俺の隣に馴れ馴れしく腰を下ろした。警戒を込めて男をひと睨みしたが相手は全く気にした様子はない。


「そんなことを言わずに。きっと良いお話ですよ」


ねえ? と薄い唇の端をにっと上げた。


「蜷川時くん?」


**


ひどく冷房の効いた部屋だな、と思った。

最寄りの駅から歩いて二十分。古びた貸しビルの一室、そこが「雪山蒼南探偵事務所」だった。階段横に掲げられている入居者プレートを見るとこの事務所の名前だけで、少し不安になる。

意を決して、扉を二回ノックした。


「はーい」


中から女性の声が聞こえる。扉が向こう側から開き、女性が顔を出した。栗色のふわふわの髪は綺麗に巻かれ、ピンク色の唇が体の線にそった服に包まれた割とグラマーな体に相まって艶めかしい。歳の頃は二十代前半くらいだろう。

首を軽く傾げられて、俺は自分が何も言っていないことに気が付いた。


「あの、予約させていただいていた蜷川ですが」


「はい、お待ちしていましたよお」


さ、と促され、俺は緊張しながら扉をくぐる。その緊張も部屋に入った途端別の思考に取って代わられてしまった。

寒い。

今は十月、決して暑くはない気候である。なのに、この部屋はまるで真冬のような寒さだった。冷房を最低温度でガンガンきかせているのだろう。俺が腕を無意識に擦ると女性が「お寒いですよねえ」と笑いながらブランケットを手渡す。


「有難うございます……」


「先生! 蒼南先生! お客様いらっしゃってますよう!」


女性が奥に声をかける。すると、ギィと大きく軋む音がして、人を乗せた椅子がゆっくりと回った。そこにちょこんと腰掛けていたのは高校生にも見紛う若い男だった。肌は青白く、体が弱いのだろうかという印象を受ける。


「もうそんな時間?」


あと、何がおかしかったかというと。何故か彼はサーモボトルに手を突っ込んで、取り出した氷を頬張っていたのだ。

何度も言うが、この部屋は寒い。そんなところで口いっぱいに氷を食うなんて狂気の沙汰だ。

俺が呆気に取られていると、男は椅子から降りてにこりと笑んだ。


「はじめまして、僕が雪山蒼南です。よろしく」


「……あ、はい。お電話しました、蜷川と言います」


「野ばらちゃん、珈琲」


「はあい」


女性……野ばらちゃんが奥に消えると、雪山さんは俺にソファに座るように勧め、自らも向かいのソファに腰を下ろした。

にこにことこちらに向かって笑いかけている。笑うとさらに若く見える。一体何歳なんだろう。

彼は徐に、持っていたサーモボトルをゴトンと応接机の上に置いた。中の氷がカランと小さく音を立てる。


「さて。まずは導入から。承知のことだとは思うけれど、ここは雪山蒼南探偵事務所、そして僕は所長の雪山です。いなくなったペット探しから果ては殺人事件まで、何でも依頼を引き受けます。殺人事件は経験ないけどね」


ここは笑うところ、と言われたが、「はあ」としか言えない。


「そして」


雪山さんがとんと机を指で叩いた。


「世の中の怪奇のご相談もお受けしています」


にこりと笑うところまでがワンセット。雪山さんは俺から目を逸らさない。

俺はこくりと喉を鳴らすと、口を開いた。


「……その、怪奇というか、不思議なことについて、です」


**


雪山さんがソファに座り直したのがわかった。話を聞く体制に入ったのだ。

俺は大きく息を吐いて雪山さんを見た。


「運命って、信じますか?」


俺が言い終わると、雪山さんはただでさえ大きめの目をもっと大きくした。組んでいた腕を解き、少し前のめりになる。


「まっっったく信じない。」


「興味持ってくれたんじゃないんですか!」


「いや、驚いただけだ。運命とか言う人間に会ったのは初めてだったから。馬鹿なのかな?」


「あんた、失礼じゃないか?」


「まあ、続きを」


促され、俺は気を取り直して話に戻った。


「雪山さんがどう思っているかはともかく、俺は運命の出会いをしてしまったんです。相手は大学の同学年の更科結城です」


「名前言われても知らんけど。写真とかはないの?」


いちいち話の腰を折ってくるな。

鞄の中から出した写真を机にたたきつけるように置くと、雪山さんだけでなくお茶を持って帰ってきた野ばらちゃんも写真を覗き込む。


「へえ、可愛らしい女性ですねえ」


「黒のストレートロングの清楚系。君の好みがよくわかる。で、この、更科さんが?」


「俺は元々彼女に好意を持っていたわけではないんです。存在は知っていましたが、話したことすらなかったですし」



『蜷川時くん?』


その男は小さく首を傾げるとそう俺の名を呼んだ。

驚いた。確かに俺と男は初対面のはずだ。なのに彼は俺の名前を正確に呼んだのだ。

つい男の方を見てしまう。それを話を聞く気になったととったのか、少し長い髪を耳にかけ直した。


『蜷川くんは運命を信じますか?』


あ、やばい。これ宗教の勧誘か何かかな。


『運命とは美しいものです。尊いものです。すべての人間に運命の相手がいるのです。私は皆にそういう相手と結ばれて欲しい。そう思っているのです』


『……はあ』


『例えば、君には今お付き合いしている女性がいるとします。しかし、どうやって彼女が運命の相手だと知れるのでしょう。もしかしたら、君は運命の相手ではないその女性と人生を共に歩むことを選ぶかもしれない。でも、それではいけないのです。君には君の運命の相手がいるのですから』


不思議なもので話を聞いていいると「そうかもしれない」と少しずつ気持ちが傾いてきた。男の言葉は誠実で、声は柔らかく優しく、表情は嘘を言っているとは思えないほど慈愛に満ちていた。この話を疑うのは間違っているのではないか、何故かそう思った。


『あなたには俺の運命の人がわかるんですか?』


ついそう返すと、男はとても嬉しそうに笑った。


『ええ、ええ。君さえよければ教えて差し上げますよ。私は皆の幸せのお手伝いをしたいのです』


なんと。まるで天使のようではないか。

天使、もといその男は徐に俺の額に手をかざした。一分ほど経って手を下ろす。


『これで君の運命の人を知ることが出来ますよ。その女性は必ず君の夢に姿を現してくれることでしょう。彼女もきっと君のことを思っているでしょうからね』



「そして、その日の夜に俺は夢を見たんです。その夢に出てきたのが更科結城でした」


そこまで語り終わって顔を上げると、目の前の雪山さんは必死に笑いを堪えている顔で小刻みに震えていた。口を開くと笑ってしまうのか、開こうとしてはまた手で覆う。やっと話が出来る状態になるには数分かかった。


「ぶっは、君、詐欺に引っ掛かってるじゃん。大丈夫? 壺送られてきてない?」


「詐欺なんかじゃないです! まだ話には続きがあって、」


「うん?」


「毎晩なんです。もう一ヶ月、毎日夢に更科が出てくるんです。もうこれ運命じゃないですか?」


ごりっとすごい音がした。

雪山さんが氷を噛み砕いた音だった。


「もう少しましな話かと思ったけどね。暇つぶしにもなりやしない」


サーモボトルをひっくり返し、残りの氷をすべて口に放り込む。がりがりと氷を咀嚼しながら野ばらちゃんに「新しい氷ちょうだい」と言いながらボトルを渡した。


「蜷川くん、と言ったか。君はこの世に不思議なぞあると思うか?」


「怪奇がどうこう言ってんのは雪山さんの方じゃないスか」


「君みたいのを釣るためだよ。人は不思議がとても好きだからね」


組んでいた足を机の上に乗せて、雪山さんは氷を嚥下した。


「この世のすべては偶然だ!」


呆気に取られて口をぽかんと開けてしまった。は? は??

俺は負けじと机を両手で叩いた。


「じゃあ、夢に毎日更科が出てくるのはどういうことですか? 更科とはただの知り合いだったんですよ?」


「少し『いいな』と思っていたんだろう。ちゃんと意識にあったかは知らないけどな。少なくとも彼女と話をしたことはあるはずだ」


「あり、ますけど」


それ見たことか。雪山さんの目が雄弁に語っている。


「例えでされた、付き合っている女性とは運命ではなかったという話。それを聞いて君は無意識に思ったはずだ、『自分の運命の相手は深い関係になったことがない女性だ』と。そこで自分から遠い女性……更科さんのことが浮かんだのだろう」


早口でそこまで言うと、雪山さんはふうと息を吐き出した。何故かひと仕事終えたかのように額を拭う動作をして見せる。いやいや、汗かいてないじゃないか。


「でも、俺はそんな単純じゃないですよ」


「単純だよ」


食い気味に即答された。俺は咄嗟に言い返せずにぐっと唇を一文字に結ぶ。


「まず、君の名前。おそらく男に声をかけられたのは大学に行く前かその帰りだったんじゃないか? だとしたら君は学生証を持っていただろう? それを盗み見ることができたらあとは簡単だ。それだけで単純な人間は術中に嵌る」


「だから、単純じゃないって、」


「そうか、言い直すよ。単細胞生物か」


「大体にして、どうやって俺の学生証を見たわけ?」


「方法なんか知らんよ。本人に聞けば? ただ君の名前を知ることができたから君に声をかけた、というのは確実だと思うよ」


雪山さんは話し終えると湯気が立つ珈琲の隣のサーモボトルを手に取って、氷をひとつだけ口に含んだ。口の中で飴のようにコロコロ転がしている。


「あんたは詐欺詐欺言いますけど、……俺の気持ちは詐欺じゃ動きませんよ。俺が更科のことが好きになってるのはどう説明するんです?」


なんとも思っていない相手だったのに、夢で会うたびにどきどきして。そのうち現実で見かけるだけで鼓動が早くなる。これはきっと運命の恋だ。

雪山さんは驚いたように、口を手で覆った。何も言い返せないだろうと彼を睨むと今度は顔を両手で覆う。


「雪山さん?」


「……か、だ」


「え?」


勢いよく顔から手を離した。


「君はなんて馬鹿だ!」


「はあ!?」


「当たり前じゃないか、好きになるのは。それだけ暗示をかけられて相手を意識しないなんてことがあるか? ないだろう? 俺は今までの人生でここまで騙されやすい人間には会ったことがない!」


散々にこき下ろされ、俺はぐうの音も出ない。相談に来てなんでここまで言われなくてはならないのか。


「一種の催眠だな、ただの思い込み。その不審者にいいように揶揄われただけだよ。残念。」


ぱんっ! 雪山さんが大きく両手を叩いた。これだけ馬鹿にされて、何のためにここまで来たのか。俺は机の上に顔を突っ伏した。


「来るんじゃなかった……」


「大体にして君は何しに来たんだ?」


「誰かに肯定してもらえたら運命を確固たるものにできると思ったんス……」


肩を竦める雪山さんの気配を感じ取り、俺はポケットを探って名刺を一枚差し出した。


「その男の人にこれ貰ったんで、何か関係あるのかなあ、と」


それは『怪奇承ります』と書かれた雪山蒼南の名刺だ。男性が何かあったら相談するといい、と渡してくれたのだ。それさえなければ、こんなところには来なかっただろう。

また盛大に馬鹿にされるかと思ったが、一向に雪山さんの罵倒は飛んでこない。恐る恐る顔を上げると彼が名刺を見つめて固まっていた。


「……雪山さん?」


俺が声をかけると雪山さんははっと我に返り、名刺をぐしゃりと左手で丸めた。


「先ほどまでの君の評価を取り消すよ。馬鹿じゃない。礼を言おう。よく来てくれた」


嬉しそうなような、それでいて怒っているかのような複雑な表情の雪山さんは、また氷を口いっぱいに頬張った。がりごりと奥歯で砕きながら、目は爛々としている。


「今度こそ捕まえてやる」


ぼそりと呟く言葉ははっきりとは聞こえなかったが、多分そう言った。

俺は雪山さんの豹変に若干引きながら、全く動じていない野ばらちゃんに小声で話しかけた。


「何? どういうこと?」


「……先生の探し人です。私にはそれしか言えません」


小声で返してくれはしたが、はっきりしない答えに俺はまた首を傾げた。

突然、雪山さんが立ち上がる。

驚いて仰け反ると、笑顔……訂正しよう、目が笑っていない形だけの笑顔で俺の両手を握った。


「え? え?」


「もしよければ、また遊びに来てくれないか? 別に用がなくてもいい。気軽に、な?」


手を上下に振らされ、俺は曖昧に頷くしかなかった。すげえ力だな、おい。


「は、はい」


「……逃がさねえぞ、オネイロス」


最後の言葉の意味は分からなかったが、どうやら面倒なことに巻き込まれたのは何となく分かった。


**


「これ、先生からお土産です」


ビルの前まで見送りに降りてくれた野ばらちゃんが紙袋を渡してくる。


「え? 貰えませんよ」


「友好の証ですって。貰ってあげてください」


それじゃあ、と紙袋を受け取って、好奇心に勝てず中を覗く。


「アイスキャンディ」


「うちの冷蔵庫の常備品です。高級ですよお」


「そういや、雪山さん、何でずっと氷食べてたんですか? 部屋も尋常じゃなく寒いし」


当然の疑問をぶつけると野ばらちゃんが口を閉じた。一瞬迷うように目を泳がせたが、人差し指を自分の唇の前に立てる。


「内緒ですよ?」


「あ、はい」


少し背伸びをして、野ばらちゃんが俺の耳に唇を寄せた。

何だかドキドキしてしまって、更科に心の中でごめんと謝った。否定されてしまったが、やはり彼女は俺の運命のひとなのだ。


「蒼南先生は雪女の孫なんです。氷しか食べられないし、暑いところには出られない。だからです」


…………。うん?

いや、言葉が分からなかったわけではない。意味が分からなかったのだ。


「でも、あの人、俺には不思議なことなんて何もないって言ってたでしょ。自分が不思議の具現化じゃないですか」


「……信じるか信じないかは蜷川さんに任せます」


にっこり。可愛らしく口角を上げて野ばらちゃんが笑う。

彼女に背中を押され、のそのそと帰路へ踏み出した。ゆっくりと歩きながら、さっきの言葉を反芻していた。


「雪、女。」


ぽつと呟いてみれば、彼にそれは妙にしっくりくる気もした。

立ち止まって、小さくなったビルの二階に視線を向けてみた。これから雪山さんに関わることでどうなっていくのかなんて、考えるのが億劫で。とりあえず、紙袋からアイスキャンディを取り出して、一口だけ齧った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る