第27話 ホンモノとの対峙


「ここが蘭華のグランドぉ!? すっご〜い! 広〜い!!」


 綺麗に整備された広大なスタジアムを見渡して、バスを降りたばかりの実乃梨が朝方に似つかわしくない大声を張り上げた。

 蘭華女子高等学校のグランドは本校舎から少し離れた運動場の一角にあり、地方予選の試合会場にも使われる内外野天然芝の本格的な野球グランドだった。


「本当にスゴいところだね〜。こんなに大きいと公式戦でもないのに少し緊張しちゃうね」

「わたしも……すこし、緊張する」

「そうか? あやめは相変わらず緊張しいだなぁ」

「…………いおりが鈍いだけだとおもう」

「見てくださいよハルカ先輩! ナイターに応援席に、電光掲示板までありますよ、ココ!」

「はいはい。少しは落ち着きなよメイ。そんな調子だと試合始まる前に疲れちゃうよ」


 普段目にすることのない整った設備を前に、実乃梨以外の面々もどこか浮ついた様子でまとまりがなかった。


「試合開始は10時だ。それまでに各自身体を動かして……」



「────危なァァいッ!!」



 沙月の言葉を遮って栞李たちの元へ飛び込んできたのは悲鳴に近い叫声と弾丸のような勢いの白球だった。


「ひゃあッ!?」


 その白球は大きな悲鳴をあげる暇もなく栞李のすぐ傍らに着弾した。


「な、なに!? 今の……」


 思わずその打球が飛んできた方向へ眼をやると、遥か遠くのホームプレートの付近で頭を下げている人影があった。


「うそ……あんな所から」


 それを見た途端、栞李の背筋が大きく波打った。

 栞李たちがいたのは外野フェンスの外。それも車用の通路を挟んだ奥にいたのだ。おそらくは張り替え中の防護ネットの所を通ってきたのだろうが、そこまでノーバウンドで飛ばしているのだとしたら正にプロ顔負けの飛距離だった。


「栞李! 大丈夫?」

「え? あぁ、うん。大丈夫だけど……」


 栞李からは遠すぎて打ったバッターの顔なんてとても見えなかったけれど、それでも彼女が何者かを確信するには十分なパフォーマンスだった。


「あれが蘭華の天才スラッガー 藤宮ふじみや柚希ゆずきだよ」

「葵先輩……」


 蘭華の誇る天才。1年生から全国区の強豪蘭華女子の3番打者最強打者の座に座り、全国ベスト8に導いた左のスラッガー。

 女子高校野球にさほど詳しくない栞李が昨夜のミーティング前からその名前を知っているほどの有名選手だった。


「練習試合を含めた高校通算打率.450超え、歴代最多記録を更新するペースでホームランを打ってるバケモノだよ。本当、あのほっそい身体のどこにそんなパワーがあるんだろうね〜」


 転がっていたボールを投げ返す葵の声も半ば呆れ気味だった。

 データや映像で見るのとは違う、じりじりと肌を焦がすような存在感。人ひとりの心なんて容易く呑み込んでしまうようなホンモノの才能。

 たかが打撃練習、たった1度の打球が、理不尽なまでに開いたの差をまざまざと誇示しているようだった。


「これくらいで気後れしないでよ〜? この後と対等な立場でグランドに立たないといけないんだから」

「別に、してません……」


 まだ試合開始のコールがかかった訳ではない。それなのに、つい数十秒前まで賑やかだった一行が誰一人として声を上げることも出来なくなっていた。

 栞李たちは意図せず見せつけられたのだ。『高校野球界の盟主』という看板が彼女たちの日常とどれだけかけ離れた存在であるかを。


「栞李、本当にもう平気?」


 思わず気後れしそうになる栞李の瞳に、ふと倭田莉緒菜の顔が映り込んだ。

 どれだけ強大な才能を前にしても、彼女は彼女のまま決して自分のペースを崩さなかった。

 いつどこが相手であろうと、その時自分がすべきことだけに集中できる。変わらないその姿に栞李も少し落ち着きを取り戻すことができた。


「うん。ありがとう」

「よかった。それじゃあ、私は葵先輩とウォーミングアップ行ってくるから」


 当然のように走り去っていく背中に向かって、栞李は精一杯の強がりをぶつけてみた。


「勝とうね! 莉緒菜ちゃん。今日の試合」


 ふと振り向いた莉緒菜は、栞李に向けて強張りのない自然な笑みを返した。


「もちろん」






 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜






「あー、やっちゃったなぁ」


 蘭華女子の誇る藤宮柚希天才は悪びれもせずにそう呟いた。

 彼女はすっきりとした細身の長身で、メイクで描いたかのようなくっきりとした細眉や長いまつ毛など、他人ひとに見られるために生まれてきたかのような存在感のある顔立ちをしていた。


「『やっちゃった』じゃないわよ! アンタは引っ張るなって言ったでしょうが!!」

「あいてっ!」


 チームの顔でもある柚希の頭を叩きつけたのは、彼女よりも少し背の低い少女。こだわりのありそうな左右対称の三つ編みを後頭部に束ねる可愛らしい見た目に反して、その顔には苦労の絶えなそうな険しい表情が貼り付いていた。


「外野ネット張り替え中なんだから打ち込まないようにって朝のミーティングで言われたばかりでしょう? 少しは気をつけなさいよね!」

「あはは。ヒメちゃん何だか機嫌悪い?」

「アンタのせいでワタシたちが謝りに行かないといけないからよ! あとヒメちゃん言うな」


 柚希から『ヒメちゃん』と呼ばれる彼女の本名は大矢おおや優姫乃ゆきの。柚希と同じ2年生ながら強豪蘭華の捕手扇の要を担う実力者であった。


「おーい、ヒメ様ぁ。そろそろブルペンいこーぜーぇ」


 2人の会話など気にもかけず優姫乃に気だるげな声をかけたのは柚希に負けず劣らずの長身少女。くっきりとした二重まぶたと、ウェーブのかかったオレンジブラウンのミディアムヘアーが印象的で、柚希と同じく強く人目を惹き付けるような容姿をしていた。


「だからヒメちゃん言うな!」

「……いや、そうは言ってねーよ」

「あれ、リョウくん今日投げるんだっけ?」

「そー、しかも最後まで1人で投げろってさ。アタシ、監督ゆかりんになんかしたかな?」

「とりあえずアンタは監督のこと友達みたいに呼ぶのを止めなさい」


 その少女の名は陽野あさひのりょう。彼女もまた2年生ながら蘭華女子の“エース”を担っており、3人を中心とした現在の第2学年はOGやマスコミから“蘭華史上最強世代”とも称されていた。


「それにしても、よりにもよって連休の最終日にどーしてあんな名前も知らないような高校トコと試合すんだろーな」

「さあ? この試合に関しては珍しく監督が直接組んできたらしいわよ」

「へー、確かに珍しいな。ゆかりん、他校よそに友達いないのに」

「やめなさいよ。アンタまた完投司令食らうわよ?」

「そういえばアキヅキって、確かあの“メイちゃん”がいるとこじゃなかったっけ?」

「え? あー、言われてみればそうだったかもしれないわね。珍しいじゃない。他校よその選手の名前まったく覚えないアンタが」

「うん! メイちゃんとは中学の時試合したことあるから。や〜、あの時のメイちゃんには何やっても適う気がしなかったなぁ」

「それ、どんなバケモノよ……」

「へー、まー言われてみればアタシも名前くらいは聞いたことあるな」


 練習中だというのに、3人はグランドに片隅でタラタラととりとめもない会話を繰り広げていた。上級生が遠征中でいない今、誰1人としてそれを注意することはできなかった。

 ただ一人、黒縁眼鏡の女を除いては。


「お前たち。そろそろ時間だが、試合の準備はできているのか?」

「かっ、監督……」


 その女性こそ、たった1人でこの女子野球部を名門と呼ばれるまでに育て上げた名将、大柿紫だった。


「なー、ゆかりん。今日の試合、やっぱりお目当てはあの“メイちゃん”な訳?」

「こら涼! 無礼な口きくなって言ったばかりでしょうが!」


 涼の不躾な質問にも彼女は一切表情を変えず返答した。


「それもある。が、それだけでもない」

「『……?』」


 一斉に首を傾げる3人に向かって、彼女は端的に檄を飛ばした。


「お前たちには関係ない。いつも通りプレーし、勝つ。それだけに集中すればいい」

「はいっ! 任せてください監督!」

「まー、負ける気はしないよな」


 2人なりの表現で意気込む姿を見渡して、柚希も力強く微笑んだ。


「うん! 今日も頑張ろうね、2人とも!」



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