第12話 夢幻のように。
「はァはぁ……はぁ」
GW合宿の連戦が2日目、3日目と進んでも、倭田莉緒菜は未だ本来の
「球数もかさんできたし、今日もここまでだね〜。おつかれサマ、リオナちゃん」
「……ッ」
3日間いずれも先発投手としてマウンドに上がりながら、その期待に応える投球を見せることはできず。合宿3日目のこの日も、3イニングと保たずにマウンドを降りる結果となった。
「────らァッッ!!」
「……ッ!! 左中間抜けたぁ!!」
そんな莉緒菜とは対照的に、明姫月の打線は絶好調。
「やったぁ! タイムリーツーベース!」
「これで勝ち越しっ!!」
この試合も6回までに3本の二塁打を含む10安打6得点をあげ、投手陣の序盤の乱調を補って余りある攻撃力を発揮していた。
「ナイスバッティングです! 伊織センパイ」
「おう! サンキュー!」
初日はまだ距離のあった1年生たちも、合宿生活の中で次第にチームに馴染みつつあった。
「よ〜しっ! それじゃあ最後の守備、みんなしまってこー!」
「『おーーーっ!!』」
菜月と実乃梨を中心にベンチの声も明るかった。
試合を重ねる中で少しずつ、それでも着実に、チームが形になっていく。誰もがそのことを肌身で感じ取っていただろう。
それは夏の全国予選に向けて、明姫月野球部にとって間違いなく好ましいことであった。
けれど、
打線が好調であるほど、チーム一丸で逆境を跳ね返してしまう度に、チームの内から莉緒菜の
それはまるで、あの日あの時の輝きが
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「いや〜、最後ちょっとハラハラしましたね」
そう言いながらも、夕食の席につく実乃梨の表情は明るかった。
「けどこれで昨日から連勝です! ニレンショーですよ! あやめセンパイ!」
「そう……だね。きょうもなんとか、勝ててよかったね」
毎晩の自主練を共にするうちにすっかり打ち解けた2人は、いつの間にか食事の席でも隣り合って座るようになっていた。
「よーし! ワタシも明日こそ初ヒット打ってみせます! 今日もこの後自主練付き合ってくれませんか?」
「うん……もちろん」
「そうだ! 今日こそは栞李も一緒にどう……」
気まぐれに栞李へ視線を向けた実乃梨はそこで思わず、言葉を呑んでしまった。
「しおり……?」
そこにいた彼女は、いつになく深刻な
「────葵先輩」
そんな栞李から3つ隣に座る幼顔の彼女へ、ささくれだった重たい声が飛んだ。
「んー、どーしたの? シオリちゃん」
「この後、少しいいですか?」
葵もそのただならぬ雰囲気を察していながら、わざとらしく甘ったるい笑顔を返した。
「うん。もちろんいいよ」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「ん〜〜っ、今日も夜風が気持ちいいねぇ」
宿舎裏のベランダに出た幼顔の少女は、月明かりを目一杯吸い込むように大きく伸びをした。
「それで? ワタシをこんなとこに連れてきてなんの用かな? シオリちゃん」
振り向いた先に立つ栞李は俯いたまま、細々と言葉を吐いた。
「その、莉緒菜ちゃんのことで……」
やっとの思いでそう切り出した栞李の言葉じりは、かすかに震えていた。
「やっぱりリオナちゃんのことかぁ……」
「はい。合宿にきてからのあの子は明らかに変です。3試合とも、打たれてたのはどれも腕の振りの緩んだ棒球でしたし。あんな球、合宿の前は練習でも投げてなかったのに」
「んー、そうかなぁ?」
「そうですよ! フォームもバラバラですし、コントロールも無茶苦茶でした! あんなの、私の知ってる莉緒菜ちゃんじゃない……」
自分でも気づかぬうちに、栞李の声色に熱が滲む。
「きっと今、莉緒菜ちゃんはこれまで投げてなかった新しい変化球……たぶん、スライダーとかの曲がり球に挑戦してるんじゃないかと思います」
栞李の一連の推理に、葵は特別表情を変えることもなく頷いた。
「まあ、いくらストレートの質がいいって言っても
「でも! どう見てもそれが不調の原因になってるじゃないですか! 横に曲げようとしすぎてフォームもぐちゃぐちゃになってるし、そのせいであのストレートにまで悪い影響が出てます! そのことは横で見てた私なんかより実際に受けてる葵先輩のほうがよくわかってますよね?」
いつになく感情的になる栞李の頬を、冷たい汗のしずくが伝う。
「あの子の純粋な向上心があの子自身の首を絞めてるなんて、そんな残酷なことないじゃないですか。私はもう、見てられません」
縋るような自分の声色がどれだけ情けなく聞こえても、栞李は何とか次の言葉をしぼり続けた。
「だからお願いします。これ以上悪くなって取り返しがつかなくなる前に、葵先輩から止めてあげてください」
栞李の深刻な
「それを、どうしてワタシが?」
「そ、れは……」
栞李は、知っている。
彼女がどんな思いを胸にあのマウンドに登っているかを。そこに上るまでにどれだけの時間を費やし、どれだけのものを犠牲にしてきたかを。
その重さに対して、自分がどれだけ不釣り合いな人間であるかも。
「私なんかが言っても、莉緒菜ちゃんはきっと耳を貸してくれないだろうから」
栞李の言葉に、葵の眉がぴくりと跳ねた。
「だから、お願いします……」
栞李が頭を下げた途端、山から降りてきたような冷たい風が2人の間を通り抜けた。
「まー確かに、ワタシがそもそも変化球のサインを出さなければいい訳だし、ストレートだけでじゅーぶん抑えられるよって説得すればそれで万事解決って訳だね」
「はい! それならきっとあの子も……」
軽やかな声色につられて栞李が顔を上げた、その瞬間だった。
「────うん。まっぴらゴメンだね」
あたかもその瞬間を待ち侘びていたかのように、葵の
「そもそもシオリちゃんはいろんな前提条件を間違えてるんだよ。最初に変化球を投げるよう提案したのもワタシだし、試合中の配球も全部ワタシのサイン通りに投げさせてる。あのストレートの投げ方と
あまりの変貌っぷりに戸惑いを隠せない様子の栞李を置き去りに、葵はすらすらと言葉を重ね続けた。
「まあ結局、ちょっと向上心を擽っただけで簡単におかしくなっちゃったみたいだけど」
栞李には何ひとつ理解できなかった。
どうして彼女が笑っているのか、どうして正々堂々こちらをのぞいていられるのか、どうしてどこにも嘘偽りの色が映らないのか。
「どうして、そんなこと……」
「あー、そっか。シオリちゃんにはまだ言ってなかったっけ? ワタシ、嫌いなんだ。あの子みたいなピッチャー。1人で何でもできるつもりでいる『倭田莉緒菜』っていう
知っていたはずの顔が目の前で大きく歪んでいく様が、恐ろしくて仕方なかった。
「だから1回、壊しちゃおうと思って。跡形もなくなるくらい徹底的に」
「そんなことして、アナタになんの得があるんですか?」
呆然とする栞李に向かって、葵は腹の底で煮出していた想いを悪びれもせず吐き出した。
「えー、だって気に食わないじゃん。
その一言だけを言い置いて、葵はベランダを後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます