第37話 退院と喧嘩ばかりの日々

 季節は春先の三月。


 無事にリハビリを終えた私は退院をするため、病院の玄関で医者や患者のみんなに見送られていた。


「皆さん、今までありがとうございました」

「何の何の、英子えいこちゃん。ワシもとびっきりのデータがとれて良かったわい」


 さんが手をパチパチと叩き、私を誉める。


「そういえばゲーム世界に私がいたときもそんなことを言ってましたね。データって何のことでしょうか?」

「それはじゃな、人間は体の支えを無くしても強く生きれるのかという研究テーマを掲げていてな……」


 ごめんね。

 話が長くなりそうだから、大幅にカットするね。


「──というわけで、いかに仮想世界でメンタルのケアができるかという内容じゃったが、結果オーライで良かったわい」

「──じゃあ、医院長、これからは精神を安定させるために薬物などで治療しなくても良い時代が来ると?」


 そこへ隣にいた白衣のネクタイを絞め直した蛭矢えびや君が気になる質問をする。


「まあ、まだ仮定じゃがのう。色々と研究を重ねんとな……蛭矢先生、これからも協力してくれるかのう?」

「もちろんです。これからもついていきます。医院長のやり方に憧れて医者になったのですから」

「それは頼もしいのお……じゃあ、英子ちゃん……」


 私の両肩にそっと優しく手を添える。


「はい、何でしょう?」

「その足の問題はこれからも災難を起こすかも知れんが、これまで以上にめげずに頑張るんじゃぞ」

「はい」

「それから足は完全には完治はしておらん。万が一のことがあったら必ずこの病院に来るんじゃぞ。約束じゃ」


 指切りげんまん、指きった。


「……では、お世話になりました」


 義足を軽やかに動かしながら、みんなにお別れを告げる。


 みんなは優しい笑顔で手を振ってくれた。


「ごっつあんどす! これは永遠の別れではないっす。いつか、また会う日までどす!」 

 

 力士の葉賀丸はがまるさんも力強い声を出し、私に向かって大きく手を振っていた。


「葉賀丸さんも、皆さんもありがとう!」


 葉賀丸さんにも挨拶をした病院のすぐ手前には一台の黒塗りの普通車が停まっていた。


「英子、退院おめでと!」


 助手席の彼女が私にタンポポによく似た一束のピンク花をくれる。


「ガーベラだよ。まさにこれからの英子の旅立ちにピッタリだよね」

「ありがとう、美伊南びいなちゃん」

「さあ、英子。春とはいえ、まだ外は寒いだろ。ボケーと突っ立ってないで乗った乗った」


 運転席の大瀬おおせ君が後ろの座席を親指でクイクイと合図する。


「じゃあ、お言葉に甘えますね」

「ああ、存分に甘えてくれ……何だ、美伊南?」


「大瀬、美伊南がいるのにデレデレと鼻伸ばしてない?」

「まさか、俺はピ○キオじゃないぜ?」

「あー! 何、その余裕ぶった笑いかたは? 誤魔化しても美伊南には分かるんだからね!」

「ぎゃふー、足をつねるんじゃない。危ないじゃないか?」

「危ないのはアンタの頭だけよ!」

「失礼な、俺は鶏のトサカじゃないぜ」


 大瀬君が頭に手をのせて、コケコケと鳴く。


「もう、美伊南、トサカキター!」


 これには彼女も頭にきたみたい。


 大瀬君が隅の車線に車を停め、車内の天井が開いて、二人して取っ組みあいの喧嘩になる。


 二人とも何気なくオープンカー使いこなしてるね。


「二人ともこんな所で喧嘩しないで下さいよ……」


 そんなオタオタしている私の目に光輝く物が目に入る。


 それは美伊南ちゃんの薬指で光る銀色のリングだった。


「美伊南ちゃん、いつの間にか結婚していたのですね」

「……あっ、ごめん。英子には、まだ話してなかったね。大学を卒業してから大瀬と結婚してるの」

「そうですか。幸せそうで何よりです」

「そうかな、幸せかしらね?」


「何で俺の方をチラチラ見ながら言ってるんだ……?」


 再び、大瀬君は運転を再開しながら気持ち悪そうな視線を美伊南ちゃんに投げかけている。


「それだけ魅力的ってこ・と・よ──」


 ふぅーっ。


「ひゃっおっ!?」


 車の軌道が反対側の車線へ乗り越えようとして、慌てて大瀬はハンドルを素早く切る。


「お前危ないな、運転中に耳元に息を吹きかけるなよ!」

「またまた、顔赤くなって照れちゃってさ?」

「あのなあ、俺は怒ってるんだぜ?

状況にもよるだろ!」


 再び、車を端に寄せて、また夫婦は喧嘩を始める。


「アンタね、こんな可愛い妻がスキスキアピールしてるんだから、ちょっとはその気になりなよ?」 

「何だと、俺が好きになるのは熱々のすき焼きだけだぞ!」

「何それ、洒落で言ってるつもり? 全然面白くないわ。まるで牛乳を拭いた後のクサイ雑巾みたいね」

「何だと、すき焼きをそこら辺のB級グルメと一緒にするなよ!」

「じゃあ、英子に白黒つけさそうじゃない。ねっ、英子?」


「えっ……?」


 ええっ、冗談でしょ。

 私も、この変な輪に加わるんですか?


「さあ、英子。どっちの話が正解なのか、ジャッジして……」


 助手席の美伊南ちゃんが血気盛んになりながら私の方に乗り出してくる。


「おおーい! 美伊南、危ないって!」

 

 車を再度走らせていた最中、たまりにかねた大瀬君が急ブレーキをキキーッと踏む。


「ちょっと、大瀬……きゃっ!?」


 その反動で美伊南ちゃんが私の顔に近づき、私と美伊南ちゃんは唇同士を重ねてしまった……。


「……び、美伊南ちゃん!?」

「ごめん、英子のファーストキスを奪っちゃったね……」

「いえ、初めてじゃないですから」


 少なくともあのゲーム空間での行為を含めると……。


「「へっ、マジで!?」」


 その初めてに夫婦の声が綺麗に重なる。


「まあ、どっちにせよ、事故ですから」

「初めての相手は誰なのよ?」

「誰でしょうね♪」

「こんな純情でウブな英子の唇を奪っておいて、相手は何様のつもりかな!」

「いえ、多分一夜限りの関係でしたから」

「かー、その相手とは遊びだったのか。ますますソイツが許せんわ!」


 美伊南ちゃんが指の骨を鳴らしながら、座席にあった木製のバットを強く握りしめる。


 ゲーム=遊びだけに、あながち嘘は言っていない。


「こら、美伊南、危ないだろ。運転席でバットを振り回すな!」

「いいじゃん、オープンカーなんだから」

「そういう意味で作った車じゃないぞ……」

「じゃあ、何のために天井が開くのよ?」


 一瞬の間が空き、大瀬君がゆっくりと口を開く。


「それはな、お前と……」

「何、ボソボソ言ってて聞き取りにくいよ?」

「──それはな。お前と周りの景色を見ながらラブラブな車デートを楽しむためだあぁー!!」


 だあぁー!!!


 だあぁー!!


 だあぁー!!


 大瀬君の山彦のような叫び声に周りのドライバーがビクリと反応する。


 中には泡を食って失神する乗客もいた。

 助手席にいたペットの犬みたいだけど。


 犬は耳が良いもんね。


「アンタ、何、キショいこと言ってるのよ……」

「お前が言わせたんだろうが!」


 しかし、この二人本当仲が良いよね。喧嘩するほど仲が良いって聞くからね。


 二人とも、夫婦生活は大変だろうけど、これからも頑張ってね。



第37話、おしまい。

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