第23話

「……知らない天井だ」


「違います。師匠のお家ですよ?」


 まぶたを開くと、さっきまで店にいたはずが、何故か自宅にいた。

 多分、倒れてからおっさんとかが運んでくれたんだろう。2人にはちょっと迷惑をかけたな。


「ごめんエル。ここまで運ぶの大変だっただろ」

 

「いえ。ジョセフさんがここまで運んでくれたので。私は何もしていませんよ」


「そっか」


「師匠。あまり無理しないでください。私、心配したんですから」


 エルは不安そうに俺の事をじっと見つめていた。そして、俺から目を離すことは無かった。

 部屋は既に薄暗くなっていて、もうすぐ日が沈む頃だ。ということは、長い時間眠ってしまったみたいだ。


「ごめん。楽譜書かないとな。せめて、今日中に終わらせるから」


 一刻を争うんだ。このまま寝るなんて馬鹿な真似はしたくない。

 だから、俺は直ぐに起き上がろうとした。

 だが、それをエルが慌てて止めに入る。

 両肩を押されて、俺はされるがままにベッドへ押し戻された。

 疲れているからなのか、力が入らず全く抵抗できなかった。


「ダメです。お願いですから寝ててください。私の楽譜なんて後回しでいいです。だから師匠はまず1回ちゃんと寝て、全てはそれからにしてください」


 うわぁ。普通に正論だ。


「……分かった」


 俺はため息を吐いて、そのままぼーっと天井を見つめた。

 ――もう俺にとっての演奏会は終わったかもしれない。

 ただでさえ話が突然で、時間の猶予が無かったのにこんな所で倒れて、しかもまだ自分自身の問題も片付いていない。

 流れが本当に最悪だ。師匠のくせに弟子の足ばかり引っ張っている。


「ごめん。エル」

 

「何がです?」


「あんなに頑張ってたのに、最後の最後で足を引っ張ったのは、俺の方だったな」


「何言ってるんですか。まだ演奏会が始まってさえいないじゃないですか。まだ時間はあります。今日1日寝たって間に合います」


「多分……無理だよ」


 情けない。弟子を取っておいて、弟子にこうやってダサい愚痴をこぼしている。

 本当なら、俺がエルを応援するべきなんだ。それなのに俺は今の時点で全てを手放してしまった。


「大丈夫ですよ! 師匠、まだ間に合います!」


「……ごめん。ごめん、エル」


「師匠……あの、落ち込んでるんですか? 私は全然気にしていませんよ」


 その言葉には答えることが出来なかった。

 だって、エルに落ち込んでいるか聞かれて頷くなんてできないだろ。


「師匠。大丈夫です。疲れてるだけですから、明日遊びにでも行きましょう。息抜きも大事です」


 確かに、それは言えてるかもしれない。


「……まあ、手詰まりだしな。ただ、楽譜だけは書かせてくれ。もう少しで書き終わるんだよ。この後は……無理とかはしないからさ。体調ちゃんと考えて練習するから」


 ……なんだこれ。これじゃどっちが師匠なのかわからないじゃん。

 あーかっこわりぃ。マジでかっこわりぃ。

 

「まあ……それならいいですけど。でも、ちゃんと無理しないって約束してくださいね」


「分かったよ」


 エルは安心したように笑って。抱きついた。

 や、やわっけぇ……。なるほど、だから抱き枕とか買う人いるんだろうな。

 時々もぞもぞと動くせいで、その度に思考が乱れてしまう。 

 そして、エルの吐息が当たっているせいか、エルが顔を填めている場所がちょっと暖かくなっていた。

 ギューッと抱きついている腕に力を入れたかと思うと、ばっと顔を上げた。


「チャージ完了しました」


「なんの?」


「師匠分です」


「師匠分?」


「はい」


 ……なにそれ、なんか怖いんだけど。


「まあ……なんかよく分からないけど。変なことはするなよ?」


「大丈夫ですよ。変なことでは無いですから」


「あ、そう」


「師匠師匠。それで明日なんですけど。ジョセフさんにも話してあるので、1日空いてるんです。それで、私行きたい場所がありまして……」


「行きたい場所?」

 

「はい。私お花が好きで、この街の外にある花畑に行ってみたいんです。お花は綺麗ですし、いい匂いもしますし、師匠もきっと休まると思うんです」


「花畑……ああ。あれか」


 街の外に出ると草原が拡がっていて、そこで誰かが花畑を作ったらしい。

 俺もまだ見に行ったことない場所だし、花見なんてここの世界に来てから全くしてない。

 木じゃなくて草なわけだが、桜を見る代わりくらいにはなるだろう。

 ただ、俺日本じゃイネ科とかの花粉症あったし、それが心配だな。ここ薬とかろくなの無いからな……行きに安い漢方でも買っておこう。

 あとは大きな問題が一つあるな。


「あそこってさ。行くまでに魔物いるよな」


「居ますけど。多分スライムとか、弱い魔物だけですから大丈夫ですよ」


 とはいえ、万が一があるしな……。


「そうだなー……。心配だしあいつ呼んどくよ」


「あいつ……? もしかしてあのビーストですか?」

 

「ビーストとか言うなよ。あいつ一応年齢は学生からな。女子高生にんな事言うと怒られるぞ。JKだからなJK」


「なんですか? じぇーけぇーって」


「ああ、覚えなくていいぞ。覚えるだけ無駄な知識だからな」


「そうですか。取り敢えず、ビーストユーリさんが護衛ってことですね」


 ビーストユーリ……なんだそれ、ちょっとかっこいいじゃねぇか。


「分からない。スケジュール聞いてないし。まあでももし無理なら適当にユーリの知り合いを連れてくればいいか」


「そうですか。分かりました。ということは、邪魔な人はその人だけですね」


「やめなさい」


 全く。なんで仲良くできないかね。


「ふぁ……なんだか眠たくなってきました」


「寝ろ寝ろ。お前今多分頭おかしいから」


「むっ。酷いですよ。そういう言い方ないんじゃないですか?」


「知らね」


「むぅ……」


 と言って俺の腕をがっちりホールドして目をつぶった。

 あれ? このまま寝るの?


「エル」


「なんですか?」


「ベッド降りたいんだけど」


「駄目です」


「なんでだよ」


「駄目ったら駄目なんです」


 エルは俺の事を離すまいと両腕を俺の右腕をぎゅっと抱いた。

 そして、俺の事を柔らそうな頬を緩ませながら言った。


「好きです」


「音楽は俺も好きだよ」


 そう言うと、エルはくつくつと笑った。


「流石。分かってるじゃないですか」


 そう言って、エルは瞳をゆっくりと閉じた。


「おやすみ。師匠」


「ああ。おやすみ」


 まだ、薄らと日は差している。だから、俺はまだ寝れそうにない。

 というより、さっきまでずっと寝ていたのもあってすぐには寝れそうにない。

 それにしても、今回の失敗は酷かった。最近ちょっと無理している自覚はあったが、それでも大丈夫だと思っていた。

 冷静に判断ができていると思っていたが、そうじゃなかった。

 無自覚に焦ってしまっていた。

 

「心配かけてごめん」


 エルの反応はなかった。もう眠りについてしまったみたいだ。


 ――もう、エルに心配は掛けさせたくない。


 それに、師匠としてもうちょっとかっこいいとこ見せてやりたい。

 師匠として尊敬してもらいたい。

 俺が元の世界に戻るまでの間一緒にいたい。

 だから、もっと師匠としてしっかりしないとな。

 エル。俺、頑張るよ。少しでも、エルの師匠でいられるように。

 

 少しだけ開けてある窓の外から、少しだけ、夜の匂いがした。

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