異世界でピアノを弾くならロリ弟子は必須だよね?

いちぞう

第1話

 雨がふりしきる音が聞こえている。外は薄暗く、分厚い雲がどこまでも広がっていた。

 この分では雨が止むことは当分無さそうだ。

 俺は、窓からそれを眺めてため息を吐いた。


「おい、仕事中にため息を吐くな」


「何言ってるんですか。俺とおっさん以外に誰もいないでしょ」


「ったくお前は……いっつもやる気ないよな。いい加減暇だからってだらけるのはやめてくれよ」


 そう言いつつも、おっさんもキセルを吸って暇そうにしている。

 言っとくけどこの俺の体たらくは大体おっさんのせいだからな? 調理担当がそういうことするから、ホールも怠けるんだよ。

 

「大分、お前も慣れてきたよな。主にお前の態度」


「そうっすね。この仕事場は、結構楽なんで気に入ってます。休日はだるいですけど」


 仕事場もそうだが、この世界にも大分慣れてきた。

 唐突にこの世界に転移して半年以上が経ち、文化レベルの違いとか、貧富の差とか、色んな苦悩を抱えたが、今は職場も見つけて何とかやれている。

 

 初めの頃は大変だった。身分なんてないようなものだったから、信頼も何もかも自分で勝ち取らなくてはならない。本当に、偶然教会に拾われなかったら今頃地獄だな。


「人が来ないって言いたいんだろ。分かってんだよ」

 

「まあ、直では言わないですけどそんな感じですね」


  余り有名でない平日は常に閑散としているレストラン。俺はここで、ホールスタッフとして働いている。

 ほんとに客はパラパラしか来ないし、いつ潰れるのかと心配しながら、俺はこの職場に通っていた。

 毎朝早くからこの店にやってきては、ホールスタッフなのに何故かメニューの仕込みをやらされて休憩もないまま開店する。そんなに朝忙しなく動く意味は全くないというのに、おっさんはの癖が抜けないからと毎日続けている。

 本当なら朝くらいゆっくりしたいところだが、まあ開店時間イコール休憩時間みたいなものだしそこまできにしている訳でもない。

 ゲームセンターや映画館なんて娯楽なんて存在しないだけあって、仕事が1番の暇つぶしだから。

 この店はかなりルーズで、机に座ってても後でちゃんと拭けば何とも言われないし、椅子に座ってうたた寝こいてても客が来なければ注意されない。

 つまり暇な時は勝手に時間が過ぎていく。

 俺にとっては最高の職場だ。


 ふと、カランカランと、ドアベルの音が鳴った。

 数時間ぶりの客だった。


「ま、それももうすぐ終わるがな」


「潰れるんですか?」


 俺は軽口を叩きながら、客を案内しようとした。


「馬鹿野郎! 潰すわけねぇだろ。ああ、お前は行かなくていい。俺が呼んだんだ」


 珍しい。知り合いの少ないおっさんが人を呼んでくるなんて……。これは、良からぬことが起きるな。

 誰を呼んだのか気になったし、俺は玄関でのおっさんのやり取りを見ることにした。

 相手は執事服のようなピシッとした服を着ていて、何やら雨に濡れぬように大切に包まれた何かが運ばれてきた。

 結構大きな荷物だ。大体、両手を目いっぱい広げたくらいの大きさだ。

 机か……それともタンス?

 ずっしりとしているのか、重そうに、そして慎重にそれは運び込まれてきた。

 

「おっさん。それ、なんですか?」


「おお。ちょっと待ってろ。面白いもの見せてやるよ」


 木箱を開けると。黒くて艶やかなボディが覗かせた。


「――へぇ、ピアノか」


 アップライトピアノ。グランドピアノに比べて小ぶりで安価だが、それでもこの店が買うには結構覚悟がいるはずだ。

 弦楽器とか打楽器は似たようなのくらいあると思ってたが、ピエノまであるとは……。

 こんな異世界だとしても、楽器は全世界共通なのか。

 それにしてもそんなものを、この店に……? 


「なんで買ったんですか? 資金カッスカスでしょ。血迷いました?」


「血迷うは余計だ。このまま何もしなくても潰れるだけだからな。それだったらと思って勝負に出た」


「いや、なんの勝負だよ」


 そんな博打で楽な仕事場が消えるのはごめんだぞ。いや、どうせそのうち消えるのか。


「ピアノの演奏を聞きながら飯が食えるんだよ。演奏って言ったらわざわざ高いお金払って見に行くだろ? ここはそれが要らねぇ。飯いっぱい食って酒を飲んでくれりゃそれでいい。俺らの世界じゃよくある光景だが、ここはそんなものないし演奏があるだけで十分武器になる」


 そういえば、ピアノとかオーケストラとかそういうのは金持ってるやつしか聞けないもんな。

 だからこそ、一般市民もそういうのに憧れがあるわけだ。

 一時のブームくらいにはなってくれるか。


「おい、ソータ。これ、少し触ってみるか?」


 おっさんはニヤニヤと笑っている。ピアノなんて、この世界じゃ滅多に触れない高級品だ。だからこそ、気を利かせてくれたのだろう。

 おっさんは、俺がピアノを弾けないと思っている。

 まあ、ピアノがそもそも出回らないし、日雇いでほっつき歩いていた俺がピアノを弾けるとは思っていないだろう。

 とはいえ、こっちに来てからブランクがあるし、上手くは弾けないと思うけど。


 鍵盤蓋を開いて、白と黒が並ぶ鍵盤を見て、俺はゴクリと唾を飲み込んだ。

 椅子に座って、音階を鳴らした。

 おっさん、資金めっちゃ使っただろ。割といい音鳴るんだけど。

 少しの時間指の運動も兼ねて試して、そして俺は、今確実に弾ける簡単な曲を選んで弾いた。

 

「ほぉー……」


 感心した声が聞こえた気がした。それが、ピアノを運んできたスタッフの声なのか、それともおっさんの声なのかは区別が付かなかった。

 今俺が弾いているのはソナチネに載ってる……? 曲だったはずだ。多分。

 あの本は曲名を意識して弾いたことが無かった。だから、名前を聞かれても分からない。音を聞いてやっと、「ああ、あれか」となるくらい。


 粒を揃えて慎重に……。今は強弱とかは最低限に、とにかく間違えないように1つづつ。あくまでちゃんと弾けるかの確認だ。

 譜面を忘れているところは何となくそれっぽい音で誤魔化す。これがシンガーソングライター時代に編み出した秘技だ。

 うん、音もよく聞こえてる。

 よし、あともう少し。


 何度か首を傾げたが、取り敢えず、最後まで止まらず弾くことが出来た。

 淡々としていて、機械が弾いてるみたいだったろう。でも、ブランクがある割には上出来だ。

 指は少し疲れたが、何とか最後まで目立ったミスもなく弾けた。


「まあ、久しぶりだからこんなもんだよな」


「へぇ……。珍しいですね。店員さん、ピアノ弾けるんですか」


 ピアノを運んできた人は、感心しているように言った。


「まあ、そんなに上手くないですけど」


「いやいや、弾けるだけでも充分凄いですよ。ピアノを弾く人といえば、お金持ちの貴族が軽くたしなむ程度か、代々音楽家の家系か位ですからね。たまにアルムガルトのような人も居ますが、それもほんのひと握りですし」


「アルムガルト……?」


「おや、これだけ上手く弾けるのに。ご存知でないのですね。レーナ・クレスツェンツ・アルムガルト。この国1番のピアニストで、いつか世界へ飛び立つ人の名です」


「へぇ、なるほど。覚えておきますね」


 もう名前忘れたけど。


「ええ、是非。では、いいものも見れましたし、私はここで失礼しますね」


 綺麗にお辞儀をして、バタンと扉が閉まった。

 そして、いつも通り静まり返った店内が戻ってきた。

 マジで人来ないんだよな。ここ。


「……おっさん? どうかしたんですか?」


 ぼーっと、俺のことを力の無い目で見つめていた。

 抜け殻みたいでなんか不気味だな。

 そのおっさんは、フラフラと俺に近づき、肩をポンと叩いた。

 正直に言おう、この瞬間のおっさんはマジでキモかった。

 だごその週間からはいつものおっさんに戻っていた。

 それでも動揺は隠しきれていない。


「俺ん家の演奏家……お前に任せるわ」


「……は?」

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