第17話 タイヤチェーンは真実を語る

 林道の終点まで引き返した波多野と加納はそのまま車に乗り込んだ。

「転回するのに後ろ誘導しますよ」

 と言う木下に波多野さんは慣れていますと車二台分の場所でも低い土手のような草むらを利用して何回か切り返して来た道を戻った。木下はその鮮やかな切り返しに車内から感心して見ていた。こんな狭い場所で転回を慣れるのには相当ここへ通い詰めているのだろう。免許の持たない加納はと見ればたいして気に留めていなかった。

「波多野さんは百六十二号線は走ったことはありますか」

「周山街道ですか、ほとんど行かないですね主に丹後、丹波が圏内ですけど夏に何回か通りましたよ」

「どんな感じの道ですか」

「ほとんど二車線で狭いですからトラックはあまり通らないからバイクのツーリングには最適ですね」

「そうか、加納お父さんが亡くなった場所を知ってるのか」

「だいたい見当は付けているが、でも正確な場所は知らない」

「これから会いに行くのですから波多野道幸さんから聞けばいいでしょう」

 ハンドルの操作をしながら波多野が言った。

「伯父さんから聞くんですか?」

 こいつの悪い癖だなあと木下は不安そうな加納の顔を伺った。

「波多野さん伯父さんとの段取りはどういう風になってんですか」

 木下の呼びかけに波多野はルームミラーで彼を確認した。

「段取りなんてありませんよう、ただ加納さんが振り込まれたお金のお礼に伺うだけですから、そうですね加納さん?」

 ええと口籠もった。言いたいことは他に有った。だがここまでの伯父と甥っ子の順調な関係を壊したくなかった。伯父さんにしても実の弟が不慮の死を遂げて、その片棒を親が絡んでいるとしたら身内の醜態を墓場まで持って行きたいのが人情だろう。ここでようやく会えたのも束の間で、これでまた長いトンネルに入るかも知れないが、モヤモヤしたものを抱えて突っ立ってもしゃあない。

「良いのかそれで」

 この男は行きの列車でも気になったが亡父のことで揺れ動いている、何とかしたいが。

「波多野さん伯父さんの自宅の離れに有る納屋を見せてもらえませんか」

「そうですね向こうへ着いてから訊いてみましょう」

「木下!」

「いいんだよ俺が見たいんだ、それでいいだろう。波多野さんそれでお願いします」

 波多野は正面を見据えて分かりましたと答えたが後ろから見ても頬を緩めているのが判った。それは波多野さんがそれほど深刻には受け止めていないと報せているようなものだった。  

 加納が思案を巡らす内にも車は本家に向かって走り続ける。距離もそう遠くなかった。加納が覚悟を決めたころには伯父さんの家に着いていた。車を玄関に横付けすると奥さんが迎えてくれていた。三人の子供は部屋にいるのか遊びに出ているのか見かけなかった。

 三人は通された応接間で寛いだ。応接間には着物を着たモデルのカレンダーが有り、着物産業に寄与したらしい賞状も壁に掛けてあった。やがて織機の音が止まると暫くして伯父の波多野道幸が現れた。

遼次りょうじくんから聞いたが現金をもらった礼を言いに来たそうだねえ、親父が君のことをだいぶ気にしていてねぇ、済まない済まないと枕元で何度も井久治の名前を言って亡くなっただから気にする必要はないんだ」

「それでみそぎぎを済ますつもりなんですか」

 伯父の道幸みちゆきは途中から不作法に割り込んだ木下に何だお前はという視線を浴びせた。

「身内だから親だからこそ庇うのが親子だと思うのに今更ながら悪かったと言われても加納にはピンと来ませんよ」

「木下、お祖父じいさんはおじいさんなりの苦しみがあったんだろう」

「人生を穏やかに全うに過ごしたつもりでも、何処にそんなものが残っていると言うのだ」 

 いつまでも影で蒸し返さない為にも木下はこの論争に言葉を濁さず真っ向から突っ込んで来た。

「そう言われればそうかも知れない」

 と観念したように言葉を更に続けた。

 ーー町の古老は当時は地場産業の大半を牛耳っていて、そのさじ加減で何でも出来た。その古老が、当時は良い仲だった弟と幼馴染みの照美との間を、取り持ったつもりだった。それが当人同士は納得ずくめで別れたが、完全にメンツを潰されて怒り心頭に発していた。だから表沙汰に出来ないような鉄槌を加えたいとかねがね思いねぐらして親父に圧力を掛けたそうだ。その親父の苦しみはあの血まみれのタイヤチェーンに残っている。 

「そんな言い逃れは見苦しいですよここにいる波多野遼次さんには山林を使わす代わりに税金を全部ただにしろと言ったそうじゃないですか矛盾している」

「それとこれとは別だ、我が子を思わぬ親が何処に居る」

 それはここでは蒸し返さないようにして欲しいと遼次さんが止めに入った。加納も追随した。

「木下! もういい止めてくれ俺は満足している」

「加納、嘘つけ! そんな顔をしてないぞ」

「おい! お前たち俺の前でなんだ !」

「元を言えばあんたが可怪おかしな言い逃れをするからだ」

 なるほどと思ったのか伯父は表情を一寸崩した。

「甥っ子も良い友達を持ったなあ」

「おい加納、誤魔化されるな、亡くなったお父さんはお前には面影もない人かも知れんがお前のお母さんにはかけがいのない人だったんだろう」

「木下さん話はもうそれぐらいにしてくれませんか、離れにはまだ井久治いくじが当時使っていたタイヤチェーンを親父が処分しきれずにまだそのまま置いて有るからそれを見てからにしてくれ」

 そんな物を祖父が残したとすれば一体そこに何が隠されていると言うのか。

 木下は加納の顔色を窺った。加納は何度か頷いて見せた。それを了解と取った伯父は着いてくるように言って部屋を出た。

 伯父が案内した納屋には使われていない古い織機が何台があった。処分しないのは今の織機と共通する部品が有るために予備の交換部品として保管されていた。他には自転車や電気製品等が積まれていた。その片隅にプラスチック樹脂製の手提げの付いた工具箱に似た物が置いてあった。伯父は周りのガラクタを片付けて箱を引っ張り出して留め金を外して蓋を開けた。そこには錆び付いたタイヤチェーンが入っていた。覗き込んでよく見ると錆び付いたタイヤチェーンには所々どす黒く変色した物が付着していた。更に目をやるとそれは赤黒く浮いて染まっていた。

 加納は屈み込むと手に取って鈍い金属音を聞きながらじっくりと調べた。

「これは、まさか、血ですか?」

 伯父は親父の血糊だと言い切った。木下と波多野遼次も屈み込み手に取って調べた。

祖父おじいさんの血ですか?」

 立ち上がった加納が今一度問うた。

 二人も立ち上がって相手を見た。道幸は静かに頷いた。

「おやじはそのタイヤチェーンで我が手を痛めつけて指の何本かは今でも変形していた。嘘だと思うのなら片瀬さんに訊けばいい俺が止めなければおやじの手は使い物にならなくなっていただろう。おやじは覚悟を決めたんだ。織物の職人が大事な指を変形させたんだからなあ。"この手が息子を"と言って親父は……。俺が気が付いて止めに入らなければ何本かの指は変形で済まなかった」

 加納は全身の神経に鋭い稲妻が走った。

「それはいつですか」

「義娘が孫を連れて飛び出した後だった」

「何故そんな事を……」

「言葉でなく終生、自分のからだに形で残る悔いを残す為だった。それがおやじに出来る背一杯の償いだった。勿論もちろん町の何人かは指が可怪おかしくなっていたのは知っていたが世間には角が立たないように織機に挟まれた事になっている」

「それじゃあなんで知られたら困る物を今まで処分しないで持ってたんですか」

「親父がほかさせ(捨てさせ)なかった」

「どうしてですか」

「井久治がまさか命を落とすとは思っていなかったのだ。だからいつも自分の手を眺めて自責の念に駆られていた。同じ様にこの箱も置いてあった。親父にすれば"あれは"仏壇に置かれた仏さんの化身だと」

「化身にすれば粗末な扱われ方ですね」

 木下の揶揄に、そんな事すれば町の者に不審がられると伯父は苦笑した。

 加納はこの工具箱をどうするか伯父に訊いた。

「親父はほとぼりが冷めた頃に誰かが解ってくれるだろうと残した。後はそれを英一くん、君はどの様にしたいかそれに依って決まる」

「加納、伯父さんはお前の好きなようにして良いと言っておられるどうするか」

「そう云われても……。お袋に見せたいが……。持つには手頃な大きさだが四、五キロはある運ぶには旅の途中で荷物になるがこの手に抱えてお袋に届けたいのだが……」

 加納はどうするかと思案げに木下を見た。

「レンタカーを借りれば良い俺が運転する」

 心強い木下のひと言で取りあえず持って帰りますと伯父に伝えた。

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