お嬢様、義賊になる。三流執事、頭を抱える。
黒井へいほ
1-1 お嬢様はいつも無茶を言う
「――わたし、義賊になるわ」
これは昼下がりに、お嬢様がなんの脈絡もなく言ったことだった。
しかし、お嬢様の執事となって数年。いきなり妙なことを言い出すのにも慣れていたので慌てることはない。
冷静にお嬢様の言葉を分析し、“わ”で始まり”わ”で終わったなと、ティーカップへ紅茶を注ぎながら思う。いや、どうせなら、逆から呼んでも同じであってくれたほうが、もう少し盛り上がっただろう。とまと、みたいなやつだ。
お嬢様の前へカップを置き、続いてミルクと砂糖を置く。茶菓子の準備もし、食器も一通り並べ終わり、一礼して下が――強く腕を掴まれる。
こちらへ笑みを向け、先ほどよりも大きな声でお嬢様は言った。
「わたし! 義賊に! なるわ!」
耳元でこそなかったが、中々の声量であったため耳が痛い。
俺は耳を押さえながら溜息を一つ漏らした後、渋々答えた。
「無視したのに気付いてください。頭おかしいんですか? と言いたいところを我慢し、『なるほど、お嬢様のなさることです。深いお考えがあるのでしょう。では、私はこれで失礼いたします。』と告げ、できた執事をアピールしつつ下がらせていただこうと思います」
「全部口に出してるじゃない! 確かに、なんでも正直に話してね? って、何年も前に言ったけど、もうちょっと言い方とかあると思わない? 後、下がることは許可しないわ」
下がることが許されず、小さく舌打ちする。すごい顔で睨まれたが笑顔を返す。
執事には雇い主へ逆らう権利が無い。弱い立場にあることを改めて痛感した。
話題を蒸し返したくないため無言のまま立っていると、怒っているような、納得できないような表情のまま、お嬢様はカップへ角砂糖を二つとミルクを入れて混ぜ、ぐいっと一息に煽った。とても名家のお嬢様とは思えない飲み干し方。例えるなら、仕事終わりのおっさんが酒を飲んでいるようだ。
唇をぺろりと嘗め回したお嬢様は、一つ頷き言った。
「10点!」
「ありがとうございます」
初の最高得点である10点満点。
しかし、俺のような天才が毎日のように紅茶を淹れていれば、その域へ達してしまうのは自然の摂理だろう。
早期退職をして喫茶店を開くのも良いかもしれない。
黒の手袋を直しつつ、明るい未来を想像していると、お嬢様が鼻で笑った。
「100点満点で、よ。精進なさい」
「上げて下げるのやめてください精進いたします」
誰だよ、明るい未来を思い浮かべたやつ。……俺か。なら仕方ない。今後の自分に期待するとしよう。
だが、数年紅茶を淹れているのに、一流へなれないのはなぜだろうか? 一番上手だと言われているメイド長のメイリーさんへ教わっているんだぞ?
考えても答えが出ることはなく、まだまだ紅茶の道は先が長そうだな、と顔を顰める。
頭の中でメイリーさんに教わった手順を反芻していると、お嬢様が空のカップを置き、指をパチリと鳴らした。
「マズい、もう一杯」
「マズいのに飲むんですね、かしこまりました」
まぁこういったやり取りは毎日のことなので、気にせずもう一杯を注ぐ。
最初のころはマイナス点をつけられ、お嬢様が涙目になりながら飲み干していたのを思い出す。そのころよりはマシになっているので、大きく成長したなと、胸中で自分を褒めてやった。
屋敷の二階、テラスでのティータイム。日差しは温かく、体だけでなく心までも落ち着いていき――。
「それで、話を戻してもいいかしら?」
「いえ、ダメです。今は陽気を感じているところです」
「却下を却下するわ」
お嬢様がとてつもなく良い笑顔を見せる。頬を引っ張ってやりたい気持ちをどうにか抑えた。
銀髪、赤眼、八重歯。十五歳という年齢よりも若干幼く見える顔立ちは人形のように整っており、美形と呼ばれる部類に入るだろう。
しかし、性格は見ての通りだ。かなりダメ……こほん。ちょっとだけ問題アリだ。
聞きたくないなぁと思っている俺に対し、レイシル=シュティーアお嬢様は、本日三度目の言葉を口にした。
「わたし、義賊になるわ」
ほんの少しだけ考えた後、お嬢様へ案を述べた。
「1、 聞かなかったことにする。
2、旦那様へ報告する。
3、休暇をもらって逃げ出す。
どれが良いと思いますか? 個人的には3が良いと思っております」
「4、自主的に協力を申し出る、よ」
最初から、俺に協力させるつもりだったのだろう。そんなことは薄々気付いており、だからこそ話題から逃げようとしていた。
だがどうやら、これ以上は避けられないらしい。
覚悟を決めるしかないな、と襟を正し、ニコリと笑う。同意を得たと思ったのか、お嬢様も笑みを浮かべ、肩の力を抜いた。
――瞬間、バッと身を翻し、その笑みに背を向けて扉へ走る。扉を開けば転がりながら廊下へ飛び出し、すぐさま体勢を立て直した。
向かう先は旦那様の部屋だ。振り返らずに駆け出す。
「旦那様―! グラスです! 執事のグラスであります! お嬢様のことで大事なお話が! お部屋にいらっしゃいま――ぐぇっ!?」
首根っこを掴まれ、そのまま引きずり戻される。相手は確認するまでもなくお嬢様だった。
実はこのお嬢様、無駄に身体能力が高い。特に筋力は凄まじく、一度掴まれば大の男でも振りほどくことは難しいほどだ。
バンッと扉が閉められ、カチャリと鍵も掛けられる。こちらへ振り向いたお嬢様は、笑顔なのに恐ろしかった。
気付いていないフリをし、へらへらと笑い返す。
「グラス?」
「はい、お嬢様」
「混乱していたことは分かるわ。でもね? いきなりわたしを裏切って、お父様へ告げ口しようとするのはいただけないと思わない? これまでに築いてきた、わたしたちの信頼関係に罅が入ってしまいかねないもの」
「仰る通りです。まずは詳しくお話を聞いてから、旦那様へ密告するべきでした」
「コッソリ伝えればいいってわけじゃないでしょ! 教えるなって言っているのよ! バレたらマズイことくらい分かるでしょ!?」
床を何度も踏みしめる駄々っ子同然なお嬢様を見つつ、心中で考える。
さて、どうしたものか。正直に言って、この状況は非常によろしくない。
なんせ今、俺は追い詰められている。逃げ場が無いのではなく、お嬢様のクッソくだらない計画が、旦那様へバレてお仕置きされる可能性が高いことを恐れているのだ。
仮にだが、計画が旦那様にバレたらどうなる?
たぶん旦那様は、笑顔を崩さぬまま罰を与えるだろう。
そして一ヶ月ほどの間は街の清掃班とかに回され、臭い臭い言いながら、ゴミや吐瀉物や遺体の処理をすることになるのは目に見えていた。
……絶対にやりたくない。思い出すだけで臭ってくるような気がし、顔を顰める。
となれば、どうするかなんて決まっているだろう。
お嬢様に目を向けず、窓の方へ一歩移動した。
運の良いことにここは二階だ。飛び降りて脱出することは可能だ。
しかし、もう一歩移動しようとしたところで、なにか光るものが奔り、足元へ刺さる。床で音叉のように震えているそれは、フォークと呼ばれる物だった。
顔を上げると、いつの間にゲットしていたのか。手元でナイフやフォーク、スプーンを扇のように広げているお嬢様の姿があった。
満面の笑みでお嬢様が言う。
「――絶対に逃がさないわ」
「それ、悪役のセリフですよ? 後、スプーンは刺さらないですからね? ぷぷーっ! と嘲笑していることを隠し、それらしく唾を飲み込んでおきます」
「だから口に出しているでしょ!? それと、誰が悪役よ! わたしが目指しているのは”正義の味方”だからね!」
ふと、言葉に違和感を覚える。それは、義賊になると言ったお嬢様が、”正義の味方”という単語を使ったことだった。
義賊というのは、ぶっちゃければ盗賊だ。悪事を行っている相手から金品を巻き上げたり、悪事の証拠の公表を行う、平民に人気のある悪人。それが義賊だ。
どれだけ人気があろうとも、決して正義の味方ではない。
恐らく、本か何かで感化され、間違った憧れを持ってしまったのだろう。影響を受けやすい年頃なので仕方ない。
ここは執事としてお嬢様の間違いを正すべく、優しく諭して差し上げることにした。
「義賊は悪人ですので、正義の味方ではありませんよ。ありゃクズですよ、クズ。クズの中では少しマシなだけのクズです。そんなクズを目指すよりも、真っ当な正義の味方を目指すのはどうでしょうか? ゴミ拾いとかおすすめです。ポンコツお嬢様がクズお嬢様へクラスチェンジしようとしているのを放置するのは、自分も胸が痛みます」
我ながら完璧だと思っていたら、お嬢様が苦虫を潰したような顔で黙る。
そして答えぬまま椅子へ座って足を組み、ふと気づいたように、わざとらしく薄い笑みを浮かべた。ニヒルな感じをアピールしているのだろうが、若干腹立たしい。
何度か足を組み替え、体勢が決まったのか。お嬢様はようやく口を開いた。
「……わたしはね。法などでは裁けない、豚貴族たちを地獄へ叩き落としてやりたいのよ。そして、この国の腐敗を止め、より良い国にすることが、真の貴族の在り方だと信じているわ。よって義賊はクズじゃなくてジャスティス。義賊になろうとしているわたしもジャスティスよ」
「熱く語っておりますが、お嬢様も貴族です」
「当家は悪事を行っていないから関係ないわ。私腹を肥やすだけの豚貴族とは違うのよ。……ちょっと、目を逸らさないでくれる? 実はわたしが知らないだけで、悪事を行っているわけじゃないわよね!? お父様はそんな人間じゃないでしょ!?」
一人で「まさか、そんな……でもそれはそれで盛り上がる展開!?」などと宣っている能天気なお嬢様を無視し、また少し考える。
こうなった以上、話を最後まで聞いたほうが、後の展開が速いのではないか?
そうと決め、諦めて話をしっかりと聞く方向へシフトする。この後、旦那様へ報告する際のためだ。報告しなかったら俺が大変だからね。罰は一人で受けてくれ、お嬢様。
一つ咳払いをすると、お嬢様が口を閉じ、こちらへ目を向ける。それからゆっくり五秒ほど数えた後、お嬢様に聞いた。
「それで、一体どのような計画を練っているのですか? 町を綺麗にするためのゴミ拾いなどですかね?」
割と低い目標を口に出したのだが、お嬢様はまんざらでもない顔で頷いた。
「確かに、第一歩としてはそれも悪くないかもしれないわ。人々の人気を得ることは、ヒーローに必要なことだもの」
おや、予想外に感触が良い。小さな正義の味方ごっこならば大ごとにはならず、シュティーア家の名声も上げられるかもしれないし、平民からの人気も少しずつ増すだろう。
それくらいならば旦那様へチクっても問題は無いと思われるので、手伝ってもいいかなぁ、と考え直す。
と思っていたら、お嬢様が指を左右へ振り出す。メトロノームの代わりとなるよう、ピアノの近くへ置いておきたい動きだ。
しかし、数回やって満足したのか。指を止めて立ち上がった。
「でもわたしは、悪行で私腹を肥やしている
豚豚言いながら拳を握る様を見て、一つのことに気付いてしまった。
このバカ……じゃない。敬愛せしお嬢様は、マズいことにかなり本気みたいだ。
毎日ゴミ拾いでもさせれば満足するかと思っていたが、そういったレベルではない。ガチでやるつもりだ。
レイシルお嬢様には、なんでも自分で試さなければ気が済まない、という性質があるのは有名な話である。これは一例だが、ドラゴンは逆鱗に触れられたら本当に怒るのか? ということを調査しに単身で行ったこともあるらしい。その時は、ギリギリのところで連れ戻したとかなんとか。
記憶に一番新しいのは、傘で屋根から落ちた場合、フワフワ落ちられるのか、という実験だ。もちろん真っ直ぐ落下したのだが、恵まれた体のお陰もあり、無傷のまま笑顔で「ダメね!」と満足げに言っていた時だろう。
こうなればもう、大ごとになるより先に、旦那様へ報告しなければならない。
不敬ではあるが、逃げ出さないように、柱にでも縛り付けるべきか? いない間に行動を起こされても困る。
俺の思考はやや物騒な方向に傾いていたのだが、一人でペラペラ喋っていたお嬢様が、パンッと手を叩いたことで我に返った。
「――ってことで、頼んだわよ!」
「……はい?」
突然の振りに困っていると、お嬢様が言う。
「だから計画よ、計画。悪徳貴族の調査もお願いね、相棒!」
まるで聞いていなかった間に、相棒まで格上げされている。しかも、面倒なところは全部押し付ける気らしく、親指を立てて良い笑顔を見せていた。
やっべ、気絶させて縛り上げたい。ついでにそのままテラスから吊るしたい。
そんな、雇い主の娘にすることは許されぬ蛮行を思い浮かべていると、なにかを思い出したようにお嬢様が言った。
「そういえばさっき、ポンコツなんとかって言わなかった? もしそうなら一発殴ってもいい?」
「そんなことは言っておりません。分かりました、調査の方はお任せください。だから拳を握るのをおやめください!」
つい、事実を口にしてしまったのが失敗だった。そういうところは、お約束通りに聞き逃しておいてくれよ。
しかし、この場で逆らうのは難しくなった。この怪力ポンコツ女げふんげふん。この麗しき深層の令嬢であるお嬢様に本気で殴られれば、大怪我では済まない。
俺は頭を抱えながら、「お嬢様へ全面的に協力します、このことは誰にも口外いたしません」と、口では約束するしかなかった。
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