第26話 準備8割
体が仄かに暖かい……
自宅から王城までのウォーキングは私にとって良い準備運動なのだ。
体を動かせば、頭も動く……肉体と精神は連動している……そう想うから、私はいつも歩く。
城に入る、衛兵達が私に敬礼して離れる……自身の作業場へ向かう……図書室だ……
私は図書室を改造して、自身の統治の為の必要書類を保管していた……だからここで仕事をするのが最も捗るのだ。
王城、元は王宮だったのだが……元は王の在席場所は謁見場所である1階広間からは遠く離れており、且つ二階にあった……私は謁見の度に行う移動の面倒さに辟易し、広間の裏側に設えられた図書室を自身の作業場に変えてもらう事にした。
これで、直ぐに謁見出来、且つ自身の事務作業の中断も最小限で済む。
当然、近衛兵からは不満が出た……広間と近すぎる……多種多様な、国内外の人間が謁見に来るのだ……マトモな奴だけとは限らない。
王の常駐先が広間の直ぐ裏側というのは余りに不用心だと、半ば叱責紛いの直訴を貰った。
自身の仕事の効率のみを追求していた私は面食らった。
『そうか、私は国家の最重要人物になったんだ』その時初めて自覚した。
仕方無く、私は図書室内と広間から図書館に至る通路を、甲種魔法使いに依頼して、私以外の人間が通過した時には、図書館入口の扉が開かなくなる魔法を付与して貰った。
同時に図書館の扉を含め壁の補強……付与魔法による対衝撃・耐熱の強化を施して貰った。
これで図書館はほぼシェルターの様相を呈した。
王城内で最も頑丈な部屋となった。
そして後1ヶ所、私の希望で大工にこっそり部屋に秘密の改造をして貰った……私のお気に入りだ。大工と私だけの秘密……
そんな場所で私は今日も書類に目を通す。
あと小一時間程で会議が始まる……それまでに頭に入れておかねば成らぬ……一心不乱に読む……理解する……日常いつ聞かれても、我が国のおおよその経費と収入は常に頭に入れてある。
重要産業(工業・鉱業・小売業・飲食業etc)の収益
農産業の収穫と税として払う小麦・米・大麦の類い
国家施設(主に福利厚生に関する物)
設備維持及び道路改修、農村部の幹線道路の敷設等
国家主体で行う、行事事、来賓招いての会の数々←これが一番どうでも良いと個人的には感じている。
その他にも様々な突発的要件、災害(水害・大規模火災・希に地震)への緊急対応等が有る。
広く浅く、全体を把握する……漏れ無き様に……
会議中に気付いた詳細な点は、出席した担当者に訊けば良い……
先ずは、全体を俯瞰して理解する事が必要、重箱の隅をつつく事など、王のする事ではない。
……漸く……今回の議題に目を通し、自身の確認事項に羽ペンで印を付ける。
目を揉む……最近、目が直ぐに疲れる……まだ早朝なのに、既に目が凝り固まっている……困ったものだ……
秘書を呼び、コーヒーと暖かいタオルを所望する。
もういい歳の老秘書が「畏まりました」と一言、図書室から出ていき、1分もせぬ内にお盆にコーヒーとタオルを載せて戻ってきた。
「すまない、有り難う」と言い盆を受け取ろうとするが、老秘書は「お任せください」と言い、私の手出しを断る。
ブラックコーヒー
程よく温められたタオル
あの一瞬で用意など出来る訳も無く、秘書は予め準備してあったのだ。
どうして、いつも不思議なのだ……私はいつもこの二つを頼んでいる訳ではない、気紛れに……疲れている時……思い付いて頼むのだ……
一度尋ねた事がある
「どうして、私が、コーナーとタオルを所望する時が判るのか?」
「私もプロですので……」老秘書の返事はこれだけだった……理由は言ってくれなかった。
それからも、私が所望する時は必ず、一瞬でコーナーとタオルが出てきた。
『……まぁ、いいか……』そう思うことにした。
考えても、この魔法の答えは分かりそうもなかった。
コーヒーを一口含む……香ばしい、淹れたてのコーヒーは体の隅々に行き渡る……こんがらがった頭がスッとする。
タオルで自身の瞼を覆う……暖かさが眼球に染み込んでいき心地好い……暗闇に娘の顔が浮かぶ……
娘が誇れる父親に……あの時の決断……その思いのまま今まで仕事をしてきた……大層な事など言えん、ただ娘に、「出来る限りの事はした」と胸を張って言える様に……ただそれだけ……
娘には幸せに成って欲しい……娘の壻……ヤーン……恐らく、剣匠の一団に居た。
真っ直ぐな目で私を見ながら質問してきた……私と違い背の高い青年だった。
今度は青年の顔を暗闇に思い浮かべる。
娘は面食いでは無い様だ……
太く少しつり上がった眉
二重で意思の強そうな瞳
顔の割に大きな鷲鼻
大きな口から覗く頑丈そうな白い歯
殴っても壊れなさそうなゴツい顎
そして日焼けした肌
……不細工では無いが、流行りの細身のハンサムとは対極にいる顔……あの時彼の横に居た、細身の若者の方が余程、今風の美形と言えた。
但し、彼の内なる精神がそうさせるのか……不思議な愛嬌があった。
あの一瞬の会話……特段丁寧な話口調でも無い……王に対しての話方としてはフランク過ぎたとも言える。
しかし、それでも嫌味を感じさせない……それどころか更に話したいと思わせる……それはあの青年の稀有な才能と言えた。
恐らく娘は彼のその精神に惚れたのだ。
彼の事を娘は『熊ちゃん』と言っていた。
言い得て妙……確かに熊っぽい……外見だけなら『虎』と言った方が適切だが……彼の精神を加味すると『熊ちゃん』だった。
本人は嫌かも知れぬが、いや、彼はそうは思わんな……私は改める……あの短時間でも彼の人となりはある程度観た……それが私の今まで商工会で働いてきた中で培って来た洞察力だからだ……様々な人間を観て、その人達と協力して来た私だ……人見だけは自信があった。
彼ならば「熊かぁ……そうかもな……熊は好きだ、ずんぐりして可愛い……」等と言いそうだ……
善き性格、そして何より優しい、戦場で口に糊しているとは一見思えない程……
その彼も、私は出征させた。
私が配属計画に印を押した……
記憶が正しければ、最も激戦が予想される港街トスカ……そこへ配属した……
貴重な剣匠だった……確かに覚えていた……
私は娘の将来の夫を死地に送り込んだのだ……
私は……悔やんでも……悔やみきれない……
タオルの下で、『ぐぅぅ……』と勝手に声が漏れた……
知らなかったとは言え……奥歯を噛み締める……
いつの間にか、老秘書の声が静かに……
「王、時間で御座います」
もう時が来た……タオルを剥ぎ取り、立ち上がる。
切り替えねば……いけない……
会議の時間……私の戦場……
口とペンを使って行う戦い……
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