第18話 ヒューマ邸二日目2

 昼食にヤツヒサが作ってくれた魚の煮付けをいたく気に入ったシキのために、リヒトはヤツヒサとともに午後から買い出しに出掛けることにした。

 シキの方も、午前の鍛錬で魔力循環にだいぶ慣れてきたようで、簡単な風魔法をヒューマから教わったと喜んで報告してくれた。午後からは北区近辺の子どもたちと共に体術の訓練に参加するようだ。八歳から十五歳未満の子どもたちが集まるようなので、同世代と言えど一際小さな身体のシキが変に目立ってしまわないか、そして鍛錬に着いて行けるかリヒトは不安だったが、シキは頑張る、と瞳をきらきらさせながら言うものだから、リヒトも、頑張って、としか声を掛けられなかった。


「コキタリス街道の村で育ったのなら同じ年頃の子どもたちも少なかったことでしょう。シキ様にとって成長するいい機会ですよ」

「そうですよねぇ……でも熱でうなされて弱っていたあの子を知っているだけに、なんというか、これが、親心ですかね……」

「ふふ。子を持つ親の気持ちがわかりましたかね。シキ様が外の世界を知って成長する、それを応援することもリヒト様にはいい経験になると、私は思っていますよ」


 ヤツヒサと他愛のない会話をしながら、乗合馬車に揺られる。今日は中央区を通り過ぎ、南区まで足を運ぶ予定だった。目的は魚だ。鍛錬を頑張っているシキのために、美味しい魚料理を作ってあげたいと考えていた。

 ユーハイトは漁港があるため、他国の香辛料なども手に入りやすく、料理の種類が幅広い。アレスティア王国ならではの郷土料理もあれば、身体を温めるような辛味がたくさん詰まった料理もある。かと思えばヤツヒサが良く作るような優しい味わいの魚の出汁の効いた料理もあり、多国籍の料理が楽しめる。

 香辛料は薬になるものが多い。以前興味があって調べたことがあり、海を越えた南側の国々で多く収穫されるらしい。海を渡って薬を求めることも考えたが、住み慣れた樹海にも溢れんほどの薬草があるため、リヒトは樹海暮らしを選択した。ただ機会があるなら海を越えてもいいとは思っている。


「ヤツヒサさんが使う調味料は、やっぱり出身国のものが多いんですか?」

「そうですね、私の国では発酵させたものが多い印象です。アレスティアではラナイン豆を湯掻いて、そのあと干し藁に包んで室で一定期間寝かせたものを食べたりします」

「……ああ、話には聞いたことがあります。匂いが独特なので、初めてだと腐っていると勘違いすることもあるとか」

「ふふふ、そうですねぇ。ヒューマ様も最初食卓にお出ししたとき、とても警戒されていました」


 その時のことを思い出したのか、ヤツヒサはとても愉快そうににこにこと笑みを深めた。

 ヒューマもその昔、色々な国々を旅していたと聞くので大抵のものならば口にできるだろうが、相当に匂いが強烈なものだったのだろう。


「あと、お昼にお出しした煮付けの調味料もラナイン豆から出来てるんですよ。故郷では醤油と呼んでいました。シキ様はもしかしたら私の故郷の料理も喜んで召し上がるかもしれません」

「あ、あの調味料は初めて口にしました! たしかに少し変わった香りだとは思いましたけど、あれもラナイン豆から出来ているんですね……! 調理工程が気になります……」


 リヒトは薬を作る工程と似ているものを感じ、とても興味が湧いたが、タイミング良く乗合馬車は南区の漁港付近に停車して、降車の時間がやってきてしまった。


「ふふ、醤油の作り方についてはまた今夜にでもお話しましょう」


 ヤツヒサがくすりと笑って先立って馬車を降りて行ったので、リヒトもそれに続いた。


 丸一日ぶりの南区は変わらず活気があり、リヒトたちと同じく買い出しに来ている一行や、午前の漁を終えて一休み中の漁師たちや、異国からの旅行者が行き交ったりと忙しない。

 南区の海沿いにももちろん関所があり、入国審査のための検閲を行っている。陸路からの入領よりも規模が大きくなるため、領主城と似たような石造りの立派な建物がある。地元漁師の漁船を停める区画とは別に、貨物船や客船を停める区画が設けられている。

 ユーハイトはアレスティア王国では東端の田舎に分類されるが、他国からは開けた場所なので文化は発展している方だ。王都と遜色の無い綺麗な街並みがそれを物語っている。


「リヒト様? こちらのお店に入ってもよろしいでしょうか?」

「ああ、すみません。私も行きます!」


 いつかシキにも色々な国の風景を見てもらいたい、と物思いにふけっていたらヤツヒサと少し距離ができてしまっていた。慌ててその背中に着いていく。


「――あ、お兄さん! そこのあなたよ!」


 ヤツヒサの背を追おうとしたところで、リヒトは後ろから声を掛けられた。自分のことだろうか、とリヒトが後ろを振り返れば、昨日昼食でお世話になった料理屋の女将さんが買い出し品の袋を抱えてリヒトを呼び止めていた。


「こんにちは、昨日ぶりですね」

「まさかこんなにすぐに再会できるとは思ってなかったわよ、会えて嬉しいわ! ……じゃなくて、今少し良いかしら?」

「あ、連れがいるので、少しだけお待ち頂けますか?」


 リヒトは先に入店していたヤツヒサに声を掛けようと思ったが、後を着いてきていないことに気付いたヤツヒサが店から顔を出していた。


「リヒト様、お知り合いですか?」

「ああ、はい! 少しだけ用事があるようで、向かいの茶屋でお話してきて良いでしょうか?」

「わかりました、こちらの買い物が済みましたらお迎えにあがりますね」


 にこりと微笑み、女将さんにも会釈したヤツヒサはまた店の中へと戻って行った。

 宣言通り、向かいの茶屋へと入ったリヒトは女将と向かい合って座るなり、止まることを知らない言葉たちに圧倒されることになる。




「――てなわけで、またあの軟膏を売ってやくれないかい!?」


 時間にしておよそ半刻ほどだろうか?

 それほどに膨大な賛辞なのか何なのかよく分からない言葉を投げ掛けられた。少しぐったりとしてしまったリヒトと比べ、女将はつやつやと満足気な笑みを浮かべており、はつらつとしている。


 どうやら昨日渡した手に塗るための軟膏を非常に気に入ってくれたようだ。


「本当に一晩塗っただけでこんなにも赤切れがマシになるとは思わなかったんだよ! 旦那なんか無頓着だから年々手仕事してはガサガサの手になって行って……それが一晩で十年以上ぶりのもっちり肌さ! それにイヤな臭いもしないだろ? 朝方に主婦仲間に自慢したらあの人たちも欲しがってさ、売ってる場所を聞いてきたのさ。お兄さんにまた会おうにも、拠点としてる宿屋なんてそこまでちゃんと聞いてなかったもんだから、今日はまた会えて本当に嬉しいんだよ!」

「あ、あのう……また軟膏を作ってお渡ししたらいいですかね?」


 止まることを知らない女将の話の勢いに飲まれつつ、リヒトは窺いながら小声で質問する。

 女将はちゃんとこちらの言葉を聞いてくれていたようで、リヒトの言葉に目を爛々と輝かせて顔をずいっと近付けてきた。


「そうなんだよ、軟膏をまた作って欲しいんだ! ただし、今度は買い取らせておくれ」


 ドン! とテーブルの上に麻袋が置かれる。中からちゃらり、と金属の擦れる音がしたことからどうやら硬貨が入っているようだった。


「知り合いの漁師仲間や料理屋やってる連中みーんな年中手荒れには悩まされているんだ。お兄さんの軟膏は海向こうのものに比べて変な匂いがしないし、多少の水仕事じゃ落ちないし、素手なのにうすい手袋をしたような感じがしてとっても使いやすかったのさ! 昨日分けてもらったのを少しずつ仲間にも分けてあげたら、そりゃあ大層感激していてね! みんな一斉に『欲しい!』ってさ」

「たしかに寒期はさらに乾燥してしまいますし、少しでも手荒れが良くなったのなら幸いです」

「お兄さん、店は持ってないのかい? こんなに効果があるなら大層儲けられるだろ」


 リヒトは商業ギルドにマギユラ経由で常備薬などを納品しているが、個人で薬の商売をすることは稀だ。マギユラから、無償提供し過ぎてそのうちリヒトさんが干枯らびるから辞めて絶対に辞めて必ず私を経由してから売るようにして、と口酸っぱく言われていた。


「一応商品は作ったら商業ギルドに納めているので、薬屋等には並んでいるかと……」

「この軟膏も!?」

「それは趣味で作ったので商品化は……まだ……」


 リヒトの返答に女将の眉尻が悲しげに下がった。リヒトは慌てて付け加える。


「正直な話、私は値段設定などが素人なので知人に商売は任せてしまっていまして、良ければ知人に相談の上、なるべく早めに商品として買えるように手配しようと思います。たぶんそれだと、今の軟膏だけじゃ足りないと思うので、お知り合いの方の分含めて言値でお作りして、すぐに渡しますよ」

「お兄さん、あんた……!」


 ぱああ、と女将の目が輝いたが瞬時にきりりと釣り上がる。


「有難い話だけどねぇ、それをずっと続けていたらお兄さんが破産しちまうよ。せめて材料費と手間賃を値段に含めて提示しとくれ。更にそこに幾分か上乗せした料金を払うからさ」

「マカの実なんて、比較的森の中に自生してますし、原価なんてそんなに掛かって無いんですけど……」

「違う業種とはいえ商売やってる身からするとお兄さんは商売人には向いてないね……」


 ため息をつかれてしまい、リヒトはびくりと肩をすくませた。その後もしばらく女将から薬を作る能力やその価値について、そして採取に掛かる手間や作業負担についてこんこんと一般論を交えて説教をされた。ユーハイトの商売人はマギユラしか知らなかったリヒトだが、他にも彼女のような存在が居ることを改めて痛感したリヒトだった。

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