第457話

<天城 響希>

 ANGEのキーボード担当。

 長瀬宗太郎の娘(この事実は公表しない)。

 物心のついた頃からピアノに触っていただけのことはあり、演奏技術は完璧。

 絶対音感とまでは行かないものの、音感・リズム感ともにレベルが高い。

 ANGEのリーダーとして牽引力を発揮しつつある。責任感があり、メンバーからも信頼されている(フェスタの一日目はその責任感が仇となったが)。

 歌唱力も上々。ただしボーカルレッスンが不足しているため、声を出しきれない。

 作曲の腕前については要確認のこと。


 聡子は正直な感想を口にする。

「今のところ……ピアノ以外に強みはないんですよね。響希さんの場合」

 何も天城響希の才能を軽んじるつもりはなかった。ただ、彼女を『長瀬宗太郎の娘』として見ると、やはり物足りなさが気になる。

 しかし社長は天城響希にさしたる懸念を示さなかった。

「ピアノさえ達者なら、それでいのよ。ほかのメンバーだってそう。律夏はビジュアル、栞は作曲、麗奈はスタンス、環は声……ひとつでも長所があれば、充分」

「音楽と関係ないのが何人かいますよ? 社長ー」

「あら? そうかしら」

 聡子はもう一度、首を傾げる。

 自分はANGEをバンドグループとして、音楽性を第一に考えている――その一方で、井上社長は音楽性を基準とせずに、ANGEの方針を模索している様子だった。

 まるでANGEが『アイドルグループ』であるかのように。

「長所は倍々にして、弱点は半々にすればいいのよ。重要なのはひとりひとりの能力じゃなくて、全員が揃った時のクオリティだもの」

「そのチームワークを醸成するのが、天城の仕事なんだよ」

 ANGEがクリアすべき課題は多い。

 その過程で、彼女たちがどう成長していくのか――少なからず不安はある。それでも聡子には期待めいた予感もあった。

 ひょっとしたら、自分はサクセスストーリーの序章に立ち会っているのかもしれない。ANGEの成長を間近で見ることができるかもしれない、と。

 それだけに残念に思える。

「いずれ私は……ANGEから離れるんですよね? 研修の終了とともに」

「ええ。あなたには、ほかに担当させたいユニットがあるのよ」

 研修は今年のうちに終わる予定だった。VCプロは人材が少ないため、ANGEのマネージャー業はプロデューサーの巽雲雀が引き継ぐ手筈になっている。

 この先輩で大丈夫かしら……。

 と、口をついて出そうになった。当の雲雀はメンバーの所見を読みなおしている。

「ところで社長、天城が長瀬宗太郎の娘って件は、どうするんです?」

「伏せておくわよ。長瀬氏ともそういう約束だから」

「あいつが長瀬宗太郎の、ねえ」

 ANGEはプロデューサーや社長の想像を超えるのか。

 それとも期待値の高さだけで終わるのか。

 ただ神のみぞ知る――入社半年の聡子には、まだわかるはずもなかった。


                  ☆


 もうすっかり響希の家がANGEの拠点になっちゃってるわね。

 宗太郎さんもひとが好いから……律夏なんて、自分用の歯ブラシまで置いてるみたいだし。律夏のお母さんも何か言ったりしないのかしら。

 その律夏が『夏祭りはみんな浴衣で』って言い出したのよ。

 ボイス収録のあとで直行できるように、律夏も栞さんも、あらかじめ響希の家に自前の浴衣を持ち込んでる。

 私も一昨日のうちに、前野さんに実家から持ってきてもらったわ。写真に撮ってお婆様へ提出するように、なんて注文もつけられちゃったけど。

 お祭りまで時間はあるのに、響希たちはレッスン場で浴衣がどうのと騒いでる。

「着付けなら私、できますよ」

「さっすが栞ちゃん! 女子力が高いなあ」

「ねえ、それより速見坂先輩は……?」

「ちょっと席を外すってさ。すぐ戻ってくるんじゃない?」

 その一方で――私はこそこそとリビングへ赴いた。

 ちょっとだけ……本当にちょっとだけ、ね? どうしても気になるから、一回くらいは私もアレをやってみたくなったの。

 居間にいらっしゃるのは、タメにゃん様。

 宗太郎さんが寂しさのあまり衝動買いした、ビッグサイズのぬいぐるみよ。

 つぶらな瞳がまるで私に語りかけてくるみたいで……ぬいぐるみとわかってても、目が合うたびにどきりとした。

 響希たちは今も浴衣に夢中のはず。チャンスは今しかないわ。

 意を決し、私はタメにゃん様にそっと手を伸ばす。

 そして両腕をまわし、顔を埋め……もふもふ、もふもふ、もふもふ。

 こ、これが……タメにゃん様の感触!

 もっと深く抱き締め、深呼吸とともにタメにゃん様の柔らかさを満喫する。

 栞さんが『新たな宇宙』と表現するのも頷けた。タメにゃん様の胸の中にいると、重力さえ忘れ、不思議な浮遊感に浸れるの。

 私を包み込むのは、そう――無限の優しさ。

「んはあぁ~」

 無意識のうちに頬擦りまでして、私はタメにゃん様に酔いしれる。

「じーっ」

 ところが、背中越しに視線を感じたのよ。

 まさか……と思いつつ、私はこわごわと振り返る。

 廊下から居間を覗き込んでるのは、響希と、律夏と、栞さんと、篠宮さんだった。頭をトーテムポールのように並べて、私とタメにゃん様の逢瀬をまじまじとデバガメ……。

「ほらね? 響希チャン。あたしの言った通りでしょ」

 律夏のニヤニヤが腹立つ。

 でも、それ以上に恥ずかしかった。

「麗奈ちゃんったら可愛いなあ」

「違いますよ、響希さん。『可愛いニャア』です」

 響希のみならず栞さんにもからかわれ、私は赤面する。

「は、速見坂先輩ぃ……」

 さらには後輩の、同情めいたまなざしが居たたまれなかった。

 私の中で何かがぽっきりと折れる。

「――いっ、いいでしょ? れなだってタメにゃん、抱っこしたいんだもん!」

 勢い任せに開きなおり、タメにゃん様をぎゅぎゅうっ。

 そんな私の豹変ぶりに律夏も栞さんも、あんぐりと口を開け、目を丸くする。

「れ、麗奈? 自棄にならなくっても……」

「なんて言われたって絶対、離さないんだからっ!」

「幼児返りしちゃってますね、これ」

 私にだって自覚はあるけど、止められないのよっ!

 響希は純真無垢な篠宮さんを捕まえ、現実を直視させる。

「ほーら、よく見て? あれが本当の速見坂麗奈ちゃんだよー」

「せんぱいが、あの気高くって素敵な、せんぱいが……」

 あぁ……私のイメージが崩れていく。

 それでも私はタメにゃん様を死守。プライドをかなぐり捨て、せめて今だけは魅惑のもふもふを独り占めしてやった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る