第402話

 一方で、麗奈ちゃんは見るからに緊張してた。ずっと硬い表情で、一挙手一投足に神経を集中してるの。

 それでも、お茶が少し跳ねちゃった。

「あ……!」

 麗奈ちゃんは反射的に手を止め、視線を泳がせる。

 お婆さんの口から溜息が漏れた。

「……はあ。お客様を迎えるあなたが、がちがちでどうするの」

「も、申し訳ありません」

「謝るのはいいから、お点てなさい。いつまでお客様に正座させるつもり?」

 そう麗奈ちゃんを窘めつつ、お婆さんはわたしたちに向かって、淡々と囁いた。

「正座がお辛いなら、足を崩していいのよ」

 わたしと栞ちゃんは正座を維持するも、律夏ちゃんは早々とギブアップ。

「響希チャンも普通に座ったら?」

「まだ平気」

「ふーん。『まだ』ねぇ」

 わたしも一応、いつでも足を崩せるように保険は掛けておいた。

 しばらくして、白い湯気とともにお茶碗がまわってくる。そっか……ご飯やお味噌汁じゃなくて、お茶を淹れるから『お茶碗』なんだよね、これ。

「どうぞ。響希」

「あ、うん……それじゃあ、いただきます……」

 本当に美味しいの? この緑色の。

 と半信半疑に思いつつ、わたしはお茶碗に口をつけた。その数秒後には、やっぱり予想が正しかったことを実感する。

 苦ぁい……。

 案の定、律夏ちゃんや栞ちゃんも顔を顰めてた。栞ちゃんは控えめに、それでも正直にお茶の感想を白状する。

「高校生には苦すぎると思うんですが……熟練者は味わえるものなんでしょうか」

 お婆さんは初めて表情を緩め、口元を押さえた。

「うふふ。あなたの言う通りよ、若い子には苦いでしょうね。ええと……お名前は」

「申し遅れました。大羽栞です」

「ご丁寧にどうも。私は麗奈の祖母、青龍小梅でございます」

 意外に可愛い名前なんだね、お婆さん。

 でも可愛いのは名前だけで、小梅さんはずっと気迫を漲らせていた。

「さて……何でもあなたたちは、麗奈の事情をお聞きしたいとか」

「は、はい!」

 負けじとわたしは顔を上げ、お婆さんと対峙する。

「いいでしょう。天城さん、あなたには聞く権利があるもの」

 そして――お婆さんの口から、すべてが語られた。

 事の発端は、麗奈ちゃんのお父さんがお屋敷の使用人だった女性、つまり麗奈ちゃんのお母さんと結婚しようとしたこと。

 そのためにお父さんは名家の許嫁との縁談を破棄してしまい、大騒ぎになった。

 しかも、夫婦の間には跡継ぎとなる男子が生まれなかったの。青龍家(お婆さん)はふたりの結婚を頑なに認めず、ついにはお母さんと孫娘を追い出そうとした。

 そこで、お父さんが条件を出したの。

 芸を極めるのみならず、青龍家のビジネスを立てなおしてみせる。それをやり遂げた時は妻との結婚を認めろ、と。

 当時、青龍家はビジネスにおいて海外に進出してたものの、失敗が続いてたらしいの。しかしお父さんは現地へ飛び、ものの見事に有言実行を完遂した。

 跡取り息子のおかげで業績が回復したとなっては、お婆さんもいたずらに文句をつけられない。ふたりの結婚は認められる運びとなった。

「だから、麗奈ちゃんはお母さんと一緒に海外へ……」

「この家には居辛いだろうからと、息子の計らいでね。まったく……余計なことを」

 その後一家は帰国し、お父さんは長いブランクを乗り越え、舞台へ復帰。ようやくお母さんは嫁として、麗奈ちゃんは孫として青龍家へ迎えられた。

「才能溢れるお父さんなんですね」

「青龍家の跡取りなのだから、これくらいは当然よ」

 才能の有無は別にしても、お父さんの行動力には驚かされるよ。栞ちゃんのみならず、律夏ちゃんも感心する。

「フツーは駆け落ちとか言い出しそうなのに、家に認めさせちゃったんだ?」

「すごいよね……ほんとに」

 ただ、次代の跡取りがいないため、青龍家は分家の男の子(一也くん)を養子に。

 あまりにスケールの大きなお話で、上手い言葉が出てこない。今になって、わたしは青龍家のお家騒動に気後れしてしまってた。

 でも、これだけはわかったよ。麗奈ちゃんは名家のお嬢様だってこと。

 よくよく考えてみれば、麗奈ちゃんって子どもの頃から値打ちモノのギターを持ってたもんね。おそらくパパも事情を知ってたから、麗奈ちゃんの送り迎えが丁寧だった。

 麗奈ちゃんがお嬢様学校のL女学院に通ってることも、納得。

 けど、釈然とはしなかった。このお婆さんは息子夫婦の結婚に反対して、麗奈ちゃんたちを追い出そうとしたんでしょ? 時代錯誤なお家事情のために。お婆さんだって女性なのに、古くさい男尊女卑を肯定してまで……。

「あなたたちが理解できないのも、無理はないわ。これは青龍家の問題だもの」

 実家が『これ』だから、麗奈ちゃんは自由になれないんだ。

 麗奈ちゃんがああもプロ志向に傾倒するのも、わかった気がした。この家にいる限り、自分は使用人から生まれた、男子でさえない『ハズレ』――だから得意のギターで独り立ちしようと、精一杯に抗ってるの。

 お婆さんはつれない物言いでお茶の席を切りあげた。

「さあ、お話は終わりです。麗奈、みなさんを送っておあげなさい」

「わかりました」

 孫の麗奈ちゃんは複雑な表情で立ちあがる。

 ところが、それを律夏ちゃんが制した。

「もう少し待たせてください。迎えが来ますから」

「……律夏ちゃん?」

 わたしも栞ちゃんも首を傾げる。

 その予告通り、さっきの女中さんがやってきた。礼儀正しいお辞儀もそこそこにして、興奮気味にお婆さんに報告する。

「何なの? 騒々しい……」

「いえ、こちらのお嬢さんの親御さんが、お迎えにいらして……それが大奥様、すごいかたなんですよ! ぜひ大奥様もご挨拶なさってくださいませ」

 親御さんって、まさか?

 悠々と茶室へ現れたのは、わたしのパパ――長瀬宗太郎だった。休日なのにスーツでばっちり決め、これ見よがしに天才音楽家の貫禄を漂わせる。

「初めまして。僕は響希の父で、天城……いえ、長瀬宗太郎と申します」

 律夏ちゃんがこっそりウインクした。パパを呼んだのは律夏ちゃんみたい。

 天才音楽家の来訪に女中さんは感極まってる。

「いらっしゃるとわかっておりましたら、おもてなししましたのに! ねえ、大奥様」

「あなたがあの、長瀬宗太郎さん……」

 さしもの小梅さんも目を見張った。

 パパは爽やかな笑みを綻ばせる。

「いえいえ、お気遣いなさらずに。この近くに妻の実家がありますので、そこへ寄るついでに、足を延ばしただけのことなんです。さあ、響希」

 追い返される体だったわたしたちの立場は、パパのおかげで俄然、強くなった。

 女中さんは前のめりの調子で進言する。

「どうでしょう、大奥様。もうお昼ですし、長瀬様たちに昼食を召しあがっていただいては? すぐに準備致しますので」

「え? お待ちなさいな、あなた――」

 返事を待たずに、今にも駆けだしそうな勢いだよ。

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