第394話
しばらくして律夏ちゃんが戻ってくる。
「律夏ちゃん、何のお話だったの?」
「んー、まあ……あたしだけ芸能経験あるから、そのことでちょっと、ね」
律夏ちゃんは能天気にはにかむも、麗奈ちゃんには鋭い視線を躊躇わなかった。
「それより麗奈、だっけ? プロデビューの話になったら、目の色変えちゃってさあ」
不穏な挑発にわたしは肝を冷やす。
「そ、そんなのじゃないよ? 麗奈ちゃんは……」
「いいのよ、響希。本当のことだもの」
麗奈ちゃんは反論せず、声のトーンを落とした。
「あなたたちも感じたでしょう? 井上さんは私を認めたわけじゃないってこと」
「それは……」
そうかもしれない。麗奈ちゃんのギターを聴いた井上さんの反応は、決して好意的なものじゃなかったから。
『テクニックは大したものだけど……余裕がないというか、やたらと気負いすぎね。あなた、ギターを弾いてて楽しくないのかしら?』
わたしは麗奈ちゃんの久しぶりのギターに、惚れ惚れしたよ?
けど、麗奈ちゃんは昔のように笑わなかった。楽しいから演奏するんじゃなくて、使命感に突き動かされてるような――そんな気迫も感じたの。
麗奈ちゃんは深々と頭を下げる。
「ごめんなさい。あなたたちの実力に文句をつけたことは、謝るわ。そのうえで……夏のミュージックフェスタまで、私をメンバーに入れてもらえるかしら」
もちろんわたしの返事は決まってた。
「うんっ! 当然だよ」
律夏ちゃんと栞ちゃんも、麗奈ちゃんとの軋轢は水に流してくれる。
「響希チャンがそう言うなら、あたしも異存ないよ」
「私よりコミュ力はありそうですし、まあ……」
これで麗奈ちゃんの加入は決定!
「じゃあ……何があったか、話してくれるんだよね? ちゃんと」
「ええ。律夏と、栞? あなたたちにも説明するつもりよ」
麗奈ちゃんはケータイでスケジュールを確認した。
「少し間が空いちゃうけど、来月の……最初の日曜ね。付き合ってもらえる?」
わたしは律夏ちゃん、栞ちゃんと目配せしてから頷く。
「わかった。その日は空けとくね」
今すぐ話してくれるわけじゃないのかあ……。
栞ちゃんがぱんっと手を叩いた。
「その件は来月にまわすとして……フェスタに出場するなら、響希さんは自分用のキーボードを買わないといけないんじゃないですか?」
「あ……そっか」
わたしのシンセサイザーは借り物だった。30万もするし、なるべく早く返したい。
だけど、キーボードは安いものでも7、8万はするんだよね……。一介の高校生でバイトもしてないわたしに、工面できる金額じゃなかった。
「どうしよう? 夏までシンセ借り続けるのも、悪いし……」
わたしは困り果てるものの、律夏ちゃんと栞ちゃんは口を揃える。
「あの奥さんなら大丈夫だろーけど。パパさんにおねだりして、買っちゃえば?」
「何十万円もするオーディオやスピーカーをお持ちなんですよ。キーボードのひとつくらい、ぽんっと買ってくれます」
「そんなわけには……」
10万円近い買い物を、おねだりで?
ところが、麗奈ちゃんまで一緒になってパパを指名するの。
「買ってもらいなさいよ。長瀬宗太郎に」
「それは旧姓だってば。今は天城宗太郎……」
「だから長瀬宗太郎で合ってるのよ。天才音楽家の」
天才なんていう賛美の言葉が出てきて、わたしは目を点にする。
「……へ?」
「あなたのお父さん。有名よ?」
パパの変人ぶりには理由があった。
☆
翌日の日曜には早速、パパと一緒に楽器屋さんへ。
キーボードないしシンセサイザーについては素人のわたしのため、栞ちゃんも付き添ってくれることに。といっても、昨日のうちにカタログで目星はつけてあるんだけどね。
お目当ての楽器屋さんはライブハウスの傍にある。前に律夏ちゃんと一緒に入って、気ままに物色したところだよ。
今日は買う気満々のお客さんとしてだから、堂々と入店できた(気持ちの問題)。
店員のお兄さんはパパを見つけるや、歓迎の声をあげる。
「長瀬さん! お久しぶりです」
「ご無沙汰だねぇ」
「ピアノの調子はどうですか? 楽器のメンテでしたら、いつでも……」
パパと店員さんはツーカーの一方で、わたしは首を傾げた。
「知り合いなの? パパ」
「知り合いも何も。家のピアノやバイオリンは、ここでメンテしてもらってるんだよ」
楽器にはメンテナンスに専門の知識や技術が要求されるものも多い。特に吹奏楽器は口をつけるわけだから、定期的な洗浄が欠かせないでしょ? クラリネットとか。
それを分解して、洗って、また組み立てて……この過程で失敗すると、楽器がだめになっちゃう可能性もあった。
パパは気さくに笑って、かぶりを振る。
「今日は娘の買い物でね。バンド用にキーボードが欲しいのさ」
店員さんはわたしと栞ちゃんを見比べ、わたしの顔立ちに『そうか』と納得した。
「思い出したよ。確か律夏ちゃんと一度、店に来てたよね? へえ、君が長瀬宗太郎さんの……栞ちゃんも一緒だなんて、面白そうじゃないか」
栞ちゃんはわたしの身体越しにお辞儀する。
「こんにちは」
「ベースもまた持っておいでね。栞ちゃんのなら、サービスで見てあげるからさ」
「ありがとうございます」
栞ちゃんの挨拶は淡々としてるものの、これで平常運転。
店員のお兄さんはさすが場馴れしてるだけあって、わたしの求めるキーボード像をすでに見抜いてた。
「ずっとピアノ弾いてたんでしょ? その延長線で探すか、別物と割りきってシンセに挑戦するか……。見当はつけてるのかい?」
ここはわたしに代わって、栞ちゃんがはきはきと答えてくれる。
「候補はふたつくらいに絞ってまして。あとは店頭で見て、決めようと……」
「了解。どうぞ、こちらへ」
間もなくキーボードのコーナーにて検討会が始まった。
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