第392話

 ……でも、ちょっと待って?

「なんか……ANGEがずっと活動するみたいに、思われてない?」

 わたしが今さらのように呟くと、律夏ちゃんはけろっと答える。

「そりゃあ、ライブハウスでデビューしたんだし?」

「あのぉ、それ……私も数に入ってるんですか」

 そもそもライブハウスで演奏するのって、ほかでもないバンド活動だった。わたしと律夏ちゃん、栞ちゃんは新生バンド『ANGE』として、スタートを切ったわけ。

 だけどわたしの目的は第一に、麗奈ちゃんに聴いてもらうこと。

「そうだ! 麗奈ちゃんは?」

 わたしがそれを思い出すと同時に、ノックの音がした。

「入るわよ。響希」

 ギターを背負った麗奈ちゃんが、おもむろに入ってくる。

 ステージに立つ時よりも緊張した。今度こそ麗奈ちゃんを真正面に見詰め、息を飲む。

「麗奈ちゃん……ど、どうだった? わたしの演奏……」

 幼馴染みの麗奈ちゃんは顔を背けながらも、はぐらかしたりはしなかった。

「下手なんて言ったことは撤回するわ」

 やけに他人行儀な麗奈ちゃんに、律夏ちゃんが念を押す。

「じゃあ、響希チャンに何もかも話すってこと?」

「……ええ」

 ライブの目的は達成できたんだ……。

 麗奈ちゃんに一体何があったのか、やっと聞くことができる。

「約束通り、すべて話すつもりよ。だから――」

「お邪魔していいかしら?」

 しかし麗奈ちゃんが口を開きかけた矢先、またノックの音がしたの。

 わたしたちの前に現れたのは、スーツ姿の女性だった。確か支配人さんの隣でライブを観賞してた、あの綺麗なひと……だよね?

「初めまして。私はこういう者よ」

 麗奈ちゃんも加え、わたしたちは差し出された名刺を一斉に覗き込む。

「バーチャル・コンテンツ・プロダクション……」

「井上理恵、社長?」

 業界通の律夏ちゃんがぎょっとした。

「あのVCプロの社長なのっ?」

 栞ちゃんも信じられないって顔つきで、固唾を飲む。

「芸能事務所……ですよね? アイドルやタレントを抱えてる……」

「音楽系のアーティストもね」

 井上さんは理知的に微笑むと、挨拶もそこそこに切り出した。

「単刀直入に言うわ。あなたたち、うちの事務所でデビューする気はない?」

「……え?」

 驚きを通り越して、わたしたちは唖然。


 ライブハウスの応接室を借り、そこで改めて井上さんと対面する。

 バーチャル・コンテンツ・プロダクション、通称『VCプロ』は近年になって独立し、新進気鋭のインディーズとして精力的に活動してる、とのこと。

 最大手であるマーベラス芸能プロダクションとの関係も良好で、サポートに走ることもあるんだって。

「当初の目当てはあなた、葛葉律夏だったのだけど……」

 VCプロの井上社長は律夏ちゃんを見据え、次にわたしへ視線を移した。

「ANGEだったわね。そしてリーダーがあなた、天城響希さん」

「は、はい。初めまして……」

 わたしも、栞ちゃんも、ついでに同席することになった麗奈ちゃんも、緊張で全身を強張らせる。ソファに座ってるはずなのに、背伸びで立ってる感覚だよ。

 井上さんの要件はつまり『スカウト』なんだもん。

 井上さんは元人気アイドルにして天才ドラマー、葛葉律夏の噂を聞きつけ、このライブハウスへ足を運んだ。今日がライブってことも把握してたみたい。

 ところが、ANGEのライブは井上さんの期待以上で……。井上さんはキーボード担当の天城響希と、ベース担当の大羽栞にも興味を持ったわけ。

 ANGEの結成についても根掘り葉掘り聞かれちゃった。

「ピアノの経験者なのね。発表会に出たことは?」

「ありません。お家で弾くだけで……」

「なるほど……。中学時代はバレー部、ねえ」

 質問の意図が読めず、わたしはたどたどしい調子で回答するだけ。

 栞ちゃんもすっかり困惑してた。

「そう、ボキャロを……どこで公開してるか、教えてもらっても?」

「あ、はい。投稿できるサイトがあり、ありまして……」

 落ち着いてるのは律夏ちゃんくらいだよ。

「それで? VCプロがANGEをプロデビューさせようっていうの?」

「ちょ、ちょっと? 律夏ちゃん」

 でも敬語を使おうとせず、こっちはハラハラさせられちゃった。

 井上さんがほくそ笑む。

「その通りよ。私の仕事は原石を発掘して、磨くことだもの。そして今日、とても面白い逸材に巡り会えた……プロデューサーとして、逃す手はないと思うけど?」

 そして次々とまくし立てられる、ANGEへの賛辞。

 だけど、まるで現実感がなかった。さっき支配人さんや、スフィンクスの先輩たちに褒められた時は嬉しかったのに……今は『地に足がつかない』っていうのかな?

 突拍子もないお話で、俄かには信じられないんだもん。どうしても疑問が先行する。

「あっ、あの! ちょっと待ってください」

 そう声をあげたのは栞ちゃんだった。神妙な面持ちで井上さんに問いかける。

「私たちは素人ですよ? 確かに響希さんは子どもの頃からピアノを弾いてますし、私もベースはそれなりに長いですけど……プロデビューだなんて……」

「それを言うなら、あたしのドラムは二年かそこらだよ」

 律夏ちゃんもスカウトには懐疑的。

 それもそのはず、私たちのANGEは結成して間もなかった。ライブはまだ一回演っただけ、技術の面では律夏ちゃんのドラムが頼りで、垢抜けるには遠い。

 にもかかわらず、井上さんは勧誘を続けるの。

「技術なんて、デビューしてから磨けばいいのよ。完成を待ってからデビューだなんて、時間が掛かりすぎるうえに、伸びしろがなくってつまらないわ」

 芸能事務所の社長さんって、こんなふうに考えるんだ?

 麗奈ちゃんが口を挟む。

「でも実力が足らないのに、通用しますか? プロの世界で……」

「えぇと、あなたは……響希さんのお友達だったわね」

 井上さんは麗奈ちゃんに視線を向けると、その質問を一笑に付した。

「通用するかどうかなんて、私にもわからないことよ。ただ、ANGEには有象無象のバンドにはない、強烈な個性を感じたの」

 切れ長の瞳がまた正面のわたしを映し込む。

「挑戦するか否かは、あなたたち次第よ。どうかしら?」

 わたしは律夏ちゃん、栞ちゃんと目配せしつつ、正直に胸の内を吐露した。

「井上さんのお話はその、嬉しいんですけど……わたしにはわかりません。急に『プロになれ』だなんて言われても、何が何だか……」

 わからない――今はこの一言に尽きる。

 もっと大きなステージで、もっとたくさんのファンに、なんて言われてもね? だったら、今日のライブの充足感はそんなにちっぽけなのって、欺瞞が膨らむ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る