第381話

 麗奈ちゃんは顔を背けると、吐き捨てるように呟いた。

「響希、悪いけど、もう私には関わらないで欲しいの。お願いだから……」

 前に会った時と同じだ。

 あの麗奈ちゃんが、わたしを拒絶したがるの。

 それでもわたしにとって、麗奈ちゃんは数年ぶりに再会した幼馴染みだもん。一度や二度拒否されたくらいで、引きさがるわけにはいかなかった。

「わたし、ピアノはずっと続けてたんだよ? また昔みたいに一緒に演奏しよう?」

 わたしのピアノは麗奈ちゃんのギターのためにある。

 だから、きっと麗奈ちゃんも――。

「小学生の時の話でしょう? あなたみたいな下手な子と演奏する気はないわ」

 そんなわたしの淡い期待は、ほかでもない麗奈ちゃんに無下にされる。

 今度こそわたしは何も言えなくなってしまった。心臓が止まったようにも感じて、ただ麗奈ちゃんを見詰めたまま立ち竦む。

「麗奈ちゃん……?」

「こっちはプロを目指して真剣にやってるの。素人が邪魔をしないで」

 大切な思い出にヒビが入った。

 再会できたはずなのに、あの時の麗奈ちゃんはもういない。

「――いくらなんでも、それはないんじゃない?」

 落ち込むわたしの意識を右から拾いあげたのは、律夏ちゃんの声だった。

「下手だの素人だの言ってるけど、あなた、今の響希チャンの演奏は聴いたことないんでしょ。一回でも聴いてから言いなよ」

「……律夏ちゃん?」

 左からも栞ちゃんが歩み出て、麗奈ちゃんに意見する。

「安易に他人の音楽を蔑むひとに、音楽がわかるとは思えません。撤回してください」

 気まずいだけの空気は一転して、一触即発のムードになった。

「ま、待って? ふたりとも……麗奈ちゃんにもきっと、何か事情があって……」

「だったら、その事情ってのを聞かせてもらおうじゃない」

 わたしの制止に耳を貸さず、律夏ちゃんは麗奈ちゃんをさらに挑発。

 麗奈ちゃんのほうも眉を吊りあげた。

「わかったわ。そこまで言うなら、響希の演奏を聴いてあげる。ここのステージでね」

 その言葉の意味にはっとして、わたしは顔をあげる。

「それって……わたしがライブ、を……?」

「お家でピアノを弾いてるだけのレベルじゃ話にならないのは、響希にもわかったでしょう? ちゃんとお客さんを集めて、一曲でも演りきったら、認めてあげるわ」

 麗奈ちゃんからわたしへ、まさかの挑戦状だった。

 わたしがライブを成功させれば、麗奈ちゃんは話を聞いてくれる。……ううん、それ以前にわたしの演奏を聴いてもらえるんだ。

 わたしは前に踏み込むとともに、宣言する。

「いいよ! 約束だからね」

「来月の第三土曜でいいかしら。番号は教えたくないから、連絡はここの伝言板で」

 麗奈ちゃんに聴いてもらうために。

 その別れ際、わたしはもう一度だけ声をあげた。

「そうだ……麗奈ちゃん、あの曲!」

「……何?」

 麗奈ちゃんは背中のギター越しに振り返り、溜息をつく。

「わたしと一緒に途中まで作ってた、あれ。わたしは『WHITE』って呼んでるんだけど……あの続き、あるんだよね?」

 わたしにとって、一縷の望みを懸けての質問だった。

 だけど、麗奈ちゃんの返答は素っ気ない。

「何の話だかわからないわ。それじゃ」

 はぐらかされた……? 『WHITE』の正体は麗奈ちゃんだけが頼りなのに。


「やるしかないね。響希チャン」

「……うん!」

 小学生の頃からずっと止まってた、わたしの音楽が動き始めた。


                   ☆


 ドリンクコーナーに移動して、作戦会議。

 栞ちゃんは視線を落とす。

「ごめんなさい……私まで一緒になって煽ったせいで、こんなことに……」

「ううん。気にしないでね、律夏ちゃんも。さっきはありがとう」

 ふたりのせいだなんて、まさか。

 むしろ律夏ちゃんと栞ちゃんがいてくれたおかげで、かろうじて麗奈ちゃんを引きとめることができたんだもん。わたしひとりだったら、何も言えなかったはず。

 それはさておき、ややこしいことになっちゃった。

 麗奈ちゃんはわたしのような『下手な子』とは演奏しない、と言って。売り言葉に買い言葉、律夏ちゃんが『聴いてから言いなよ』と反論したの。

 五月の第三土曜、わたしはここのステージで麗奈ちゃんに演奏を披露することに。

 律夏ちゃんは締まりが悪そうに苦笑する。

「言い出したのはあたしだし、できる範囲で手伝うよ。ドラムも欲しいでしょ」

「いいのっ? じゃあ、お願いしようかな」

 遠慮はあったものの、背に腹は変えられなかった。

 律夏ちゃんの手がメンバーを指折り数える。

「ベースもいることだし、二……三人いればまあ、形にはなるんじゃない?」

 その途中で栞ちゃんがきょとんとした。

「……え? あの、ベースの担当はもしや……」

「あ、気付いちゃった? さり気なく言えば、雰囲気で流せると思ったんだけどさあ」

「むむっ無理ですよ! そんなの!」

 三人目のメンバー(仮)は両手でバツ印まで作って、抵抗する。

 もちろん、わたしは無理強いできる立場じゃないよ。だけど、ひとりでもブラスバンド部のビラを張りなおしてた栞ちゃんと、一緒に演りたい気持ちはあった。

「ど、どう……かな? ブラスバンド部の活動の一環として」

 わたしは部員じゃないから、こう言うのも変だけど。

 わたしの勧誘に律夏ちゃんも乗ってくる。

「ブラバンって、アンタレスが学校で演奏するための方便でしょ? なら栞チャンも好きにやっていいと思うけど」

 ガールズバンドの『アンタレス』はS女子学園の三年生で構成されてるものの、正規のベース担当だけ他所の高校なんだよね。だからS女の中でライブする際は、同じS女の栞チャンをベースの代打に立てるわけ。

 当然、アンタレスは正規のメンバーが集まる校外を、活動のメインに据えてる。

 じゃあ校内でしかメンバーと一緒に活動できない、栞ちゃんの立場は?

 そう考えると、もやもやしちゃって……。

 律夏ちゃんも同じことを思ったのか、はっきりと言いきった。

「なんならアンタレスも呼んでみる? 栞チャンにも一緒に演れるメンバーくらいいるんだってとこ、見せてやんないと」

「で、でも……そんな挑発みたいな真似して、いいんでしょうか」

「学校とライブハウスで面子が違うなんて、よくあることじゃん。ねっ」

 ちょっぴり悪いとは思いつつ、わたしも便乗しちゃう。

「栞チャンのベース、まだ聴いたことないもんね。わたしのピアノも披露するから」

「はあ……じゃあ、私もお手伝いします」

 やっと栞ちゃんは折れ、下がり気味だった姿勢を前へ戻した。

「でも天城さん? ピアノなんて、ライブハウスにはありませんよ」

「……ええっと」

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