第282話
ステージ衣装に着替えて待つも、リカちゃんはまだ来ない。
今朝になって、井上さんから『リカが飛行機に乗った』とは聞いたの。でも片道十時間のフライトに加え、新幹線で本州を横断でしょ?
コンサートは満員、できることならリカちゃんと一緒にファンを迎えたかった。
けれども、ついには間に合わず――奏ちゃんが席を立つ。
「タイムオーバーね。気持ちを切り替えていくわよ」
「う……うん」
「リカさんがいないのは残念ですが、まだツアーの初日ですよ。頑張ってください」
マネージャーの聡子さんは、とっくに覚悟を決めた顔つきだった。
私と咲哉ちゃんも後ろ髪を引かれつつ、控え室を出ようとする。
「ま、待って! もう少しだけ」
不意に声を震わせたのは、杏さん。
「あと十分……いいえ、五分だけでも! こっちに向かってるんでしょう?」
「杏さん……」
本当は私だって同じ気持ちだよ。
メンバーが欠けてたら、コンサートが盛りあがらないから、じゃない。ずっと一緒に頑張ってきたリカちゃんがいてこそ、私たちは全力を引き出せるの。
……ううん。120パーセントの力が出せるから。
でも私たちの我侭を、聡子さんは認めるわけにいかなかった。
「あなたたちがリカさんを待つように、ファンのみなさんも今、NOAHを待ってるんですよ。杏さん、お気持ちはわかりますが」
「……はい。ごめんなさい、取り乱したりして……」
リカちゃんを欠いたまま、私たちはホールのステージへ。
九州で最大級のコンサートホールは、満員ならではの熱気に包まれてた。緞帳を降ろしてないから、期待のほどがありありと伝わってくる。
すでに照明は落ち、観覧席は真っ暗だった。
ちかちか光ってるのは、気の早いペンライトか、サイリウムかな?
大音量のブザーが響くと、ホールは水を打ったように静まり返る。そして緊張感がピークに達したところで、幾筋ものスポットライトが駆け抜けた。
ステージが眩しいくらいにライトアップされる。
「みんなー! お待たせっ!」
センターの私、御前結依はめいっぱい声を張りあげた。
杏さんや奏ちゃんも出てきて、ファンの声援に笑顔で応える。話題の新メンバー、咲哉ちゃんが少し遅れて登場するのは、演出だね。
「みんなもご存知の九櫛咲哉ちゃん! 今日が初のライブだよー!」
甲高い歓声が巻き起こった。
「こんな舞台は初めてだから、どきどきしちゃうわ」
「超一流のモデルが何言ってんのよ」
咲哉ちゃんはファンの数に気圧されたりせず、余裕さえ浮かべてる。奏ちゃんのフォローもスムーズで、間が持たないなんてことはなかった。
芸歴の長い玄武リカに、私たちがどれだけ依存してたのか――この三週間余りで、それを痛感しちゃってね? 杏さんもカメラワークの勉強に余念がなかったほど。
「それじゃあ、いっくよー! 一曲目は定番の『Rising・Dance』!」
MCで勢いをつけ、ミュージックスタート。
私を軸にして、奏ちゃん、杏さん、咲哉ちゃんがステップを踏む。
刹那さんのアドバイスを思い出して……そうだよ、センターは円の中心。ステージの上では私の位置が、メンバーにとって唯一の起点になるんだから。
右手のほうには奏ちゃんと、咲哉ちゃん。
左手のほうには杏さん。
だけど――やっぱりメンバーが足りなかった。レッスンの間は夏樹ちゃんで埋まってたポジションに、ぽっかりと大きな穴が空いてるの。
杏さんの横から無邪気に飛び出すはずのアイドルが、今日はいない。
リカちゃん……リカちゃんはもうすぐ帰ってくるのに。
「いよいよ始まっちゃったね。全国ツアー」
「ええ……」
虚無感に囚われてるのは、私だけじゃなかった。杏さんのMCは振るわず、奏ちゃんと咲哉ちゃんもどことなく表情が硬いの。
「暑い夏になりそうね。夏祭りとか、イベントも目白押しなんでしょ?」
「みんなに浴衣を着せるの、楽しみだわ。うふふっ」
ファンのみんなも多分、それを感じ取ってた。
不自然な流れのMCに、空白を残したフォーメーション。奏ちゃんと咲哉ちゃんはハイタッチできても、杏さんには相方がいなくて、空振りに終わる。
ファンも応援に力を込めてくれるものの、ボルテージは上がりきらなかった。
玄武リカがいないから。
コンサートは不完全燃焼に陥りながらも、プログラムは時間通りに進む。この状況を打破できる力なんて、私にはないんだ。
「そろそろ次の曲に行こっか。杏さんの……」
ところがインカムを通し、聡子さんから信じられない指示が入ったの。
「……え?」
杏さんも咲哉ちゃんも驚いてる。
同時にイントロが爆音で流れ出し、マネージャーの声はもう聞こえなかった。
奏ちゃんがはっとして、愉快そうに毒を吐く。
「この曲って……あっ、あんのバカ!」
明松屋杏の持ち歌じゃない。これは玄武リカの――。
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