第264話

 今日も今日とてレッスンのあと、アタシたちはVCプロの事務所へ。全国ツアーに向けて、作曲担当の奏と衣装担当の咲哉には、色々と用事があるワケ。

「わたしは社長と話があるから。結依、リカ、あなたたちは待っててちょうだい」

「あ、はい」

 杏も社長に呼ばれたらしくって、行っちゃったわ。

 アタシは結依と一緒にロビーの椅子に腰掛け、ぼんやりと時計を見上げる。

「何のお話だろうね、杏さん」

「歌のことじゃない? ツアーで発表するとか、ちらっと聞いたし」

 ちょっと悔しかった。奏は作曲、咲哉は衣装、でもって杏は歌唱力でしょ? 杏たちは確かな形でコンサートに貢献できるのに。

 アタシは咲哉の手掛けたステージ衣装を着て、奏の作った楽曲に乗って、杏の声に引っ張ってもらうだけ。こんな調子でNOAHの一員だなんて、言えんのかしら……。

 結依はケータイで夏のスケジュールを詰めてる。

「パティシェルも海で合流、確定だって。でも綾乃さんが……」

「彼氏呼びたいってんでしょ? 却下よ、却下」

「そこんとこは聡子さんにお願いしよっか」

 一言で全国ツアーといっても、色んな企画が混ざってた。

 夏祭りに参加したり、ダイビングを体験したり……なんてのを一ヶ月掛けて、ね。夏にしかできないことを、片っ端から全~部、やってやるつもりなの。

 どれも立派なアイドル活動だしぃ?

「そーだ、結依っ! 早く水着買いに行かなくっちゃ」

「うん! 次のお休みにみんなで――」

 なんてふうに結依と盛りあがってると、意外な人物がVCプロへやってきた。

「あれ……蓮華さん?」

「あらあら。元気そうね、結依ちゃん」

 鳳蓮華さんよ。結依は焼き肉大会以来だろーけど、アタシはお仕事で一緒だったから、そんなに久しぶりでもない。

「リカちゃんも。この間は撮影、お疲れ様」

「ううん、蓮華さんこそ」

 見たところ蓮華さんひとりだけだった。ここまで歩いてってことはないだろうし、車を外で待たせてるのかもね(蓮華さんは運転が大の苦手なんだって)。

 遠慮がちに結依が尋ねる。

「どうしてVCプロへ? あっ、聞いちゃだめなことですか?」

「少し井上さんとお話したいことがあって……」

「社長なら今、杏の相手してるわよ」

 そこまで言ってから、アタシは姿勢を正した。

「……じゃなくて。杏とお話してまーす」

 蓮華さんとは親しい間柄なもんで、つい敬語を忘れちゃうのよ。

 蓮華さんは柔和な笑みを浮かべた。

「気にしなくていいわよ。でも……なんだか雰囲気がよくなったわね、リカちゃん」

「へ?」

 思いもよらない感想を受け、アタシは目を点にする。

「NOAHで活動してるせいかしら? 昔より馴染みやすい気がするもの」

 横から結依も口を挟んだ。

「なんとなくわかります、それ。学校でも大人気なんですよ」

「あぁ、同じ高校なのね」

 蓮華さんの優しい瞳がアタシたちを映し込む。

「ずっと一緒だなんて、なかなかできることじゃないわ。ふたりとも、今の関係は大事にしてね。人生の先輩からのアドバイスよ」

「はぁーい!」

 アタシと結依の返事は綺麗に重なった。

 ここで会ったのもついでとばかりに、蓮華さんがアタシに声を掛けなおす。

「……そうだわ。リカちゃん、ちょっといいかしら?」

「うん。なあに?」

「ふたりだけでね。ごめんなさい、結依ちゃん。少しリカちゃんをお借りするわよ」

「どうぞー」

 ロビーに結依を残しつつ、アタシは蓮華さんと階段のほうへ。

 VCプロのみんなも上下の移動にはエレベーターを使うから、階段に人気はなかった。梅雨のせいか、空気がジメってる感じする。

「リカちゃんのところにお話が行ってるでしょう? 大野監督の新作」

 この件だってことは勘付いてた。

 玄武リカに白羽の矢が立ったのも、蓮華さんが口添えしてくれたおかげだもん。当然、蓮華さんはアタシが出演するものと見越して、発破を掛けてくる。

「リカちゃん、海外のロケは初めてでしょう? わたしも出演するから、向こうで一緒に……と思ってるんだけど。お返事はまだ?」

 このひとはアタシの実力を認めたうえで、チャンスを与えてくれたのよね。

 だからこそ、蓮華さんには嘘をつきたくなかった。

「うん。その……実は」

 アタシは声を落としながらも、正直に胸の内を明かす。

 大野画将の映画には出演したいの。でも、NOAHの全国ツアーに支障をきたす真似はしたくなかった。結依も、杏も、奏も、咲哉も、ツアーに本気で懸けてるんだもん。

 蓮華さんの表情も曇る。

「難しいわね。映画か、NOAHか……」

 映画の撮影は海外で、七月の第三週まで。ところがNOAHの全国ツアーも、同じ七月の第三週から始まる予定だった。

 撮影は天候にも左右されるわ。長引けば、全国ツアーへの合流は八月に食い込む恐れもあった。しかも、ファンはまだこの話を知らないの。

「アタシが映画を我慢すれば、夏のツアーは最初から最後まで……」

 そこまで言いかけ、アタシは唇を噛む。 

 寮生活が始まった頃、聡子さんが言ってたっけ。NOAHをゴールにするな、NOAHの向こうを目指せって。

 だけどアタシにとって、NOAHは何より大事なものになりつつあった。それを諦めるなんてこと、絶対にしたくないし、できない。

 黙りこくるアタシに、蓮華さんは穏やかに言って聞かせた。

「わたしはNOAHのメンバーじゃないから、無責任かもしれないけれど……わたしはリカちゃん、あなたには映画に出演して欲しいわ。ひとりの女優として」

 女優として――チャンスの大きさを実感し、アタシは息を飲む。

 子役は大成しない、なんてジンクスを跳ね返せるところまで来たのよ。あの大野監督が玄武リカを起用したがってる、おまけに鳳蓮華のお墨付き。

 アタシの目の前には今、映画女優への道が拓けてる。

「わたしも胸を張りたいのよ。あの玄武リカと一緒に演れるってことを」

 あとは蓮華さんの手を掴むだけ。

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