第182話
「いらっしゃいませー!」
「ここじゃない? みんなが言ってた、おしるこ屋って」
接客はブティックのバイトで慣れたものよ。
てきぱきと注文を受け、調理場の杉さんへトスする。
「二人前、お願いしまぁーす」
「おっけー!」
お昼時は過ぎてて、お客さんもそう多くないから、余裕あった。ペースを落としつつ、文化祭一日目の午後を乗りきっていく。
そろそろわたしの出番もおしまいね……。
そんな折、一年三組のおしるこ屋を見知った女の子が訪れた。わたしは目を点にして、彼女の名前を口走る。
「ゆ、結依ちゃん……?」
NOAHの御前結依ちゃんだったのよ。向こうもきょとんとしてる。
「え? どうして私の名前を知ってるの? あなた」
しまったわ。わたし、今は眼鏡で『渡辺』に徹してるのに。
クラスの仲間が珍しそうに集まってくる。
「なになに? 渡辺さんの友達?」
「ええと……」
返答に困ったものの、結依ちゃんが流してくれた。
「ごめん、私の勘違いだったかも。それより、おしるこが欲しいんだけど……」
結依ちゃんのお腹がぐうっと鳴る。
「さっきお昼食べ損ねちゃって……あはは」
「うふふっ、案内するわね。こっちよ」
わたしは結依ちゃんを連れ、空いた席へ。
まさか高校の文化祭で、VCプロの同僚に会うなんてね。結依ちゃんとは『九櫛咲哉』の顔でしか会ったことないから、気付かれてない様子だった。
でも名前を呼んじゃった手前、隠れるのも不自然でしょ。
「渡辺さんが持ってってあげて」
「う、うん」
それにクラスのみんなは多分、わたしと結依ちゃんは馴染みと思ってた。わたしは白い湯気を立てながら、おしるこを結依ちゃんのもとへ。
「お待ちどおさま」
「ありがと! うわ~、いい香り」
結依ちゃんは瞳をきらきらさせて、お餅の浮いたおしるこを覗き込む。
「ところで……あなた、私とどっかで会ったことあるの?」
「ど、どうかしら……ね?」
完全にこっちが嘘をついてる形になっちゃったわ。自分の迂闊さが恨めしい。
とはいえ結依ちゃんは気にするふうでもなく、おしるこに夢中。
「そぉだ、渡辺さん……だっけ? バスケ部の出し物がどこか、知らない? 射的かなんかやってるらしいの」
「確か体育会系はほとんど屋外だったはずよ」
「もぐもぐ……そっかあ。バスケ部の友達に会いに来たんだけどね」
後ろからクラスメートに肩を叩かれた。
「もう上がる時間だし、渡辺さんが案内してあげたら?」
「そう? じゃあ……」
「あっ、エプロンはそのままで! ついでに宣伝もよろしく~」
少し早いけど、店番のお仕事を上がらせてもらうことに。間もなく結依ちゃんはおしるこを平らげ、席を立った。
「ごめんね。わざわざ案内させちゃって」
「気にしないで。わたしも時間を持て余してたところなの」
わたしたちは一年三組のおしるこ屋をあとにする。
「うちの高校は一ヶ月も前に終わったんだよ、文化祭」
「早いのね。じゃあ、夏休みの間に準備を?」
「うん。まあ結局、九月になってから慌てる羽目になったんだけど……」
体育館のほうではオケ部や演劇部の出し物が終わったようね。そっちからお客さんが流れてきて、外はまた混雑してる。
校舎を出ると、喧騒はさらに大きくなった。
運動場の特設ステージでは、のど自慢大会が盛りあがってる。
「うちの学校でもやってたんだよ、あれ。私も友達……っと、お客さんと出場して」
NOAHのセンターに選ばれるくらいだから、歌も上手なんでしょうね。
同じ景色を、わたしは伊達眼鏡を通して眺める。
いつか見た、観音玲美子のオンステージ。彼女は陽子さんが仕立てた衣装を着て、アイドルの舞台を演じきった。
歌唱力が高いだけじゃない。ビジュアルが優れてるだけでもない。
すべてがアイドルの活力に満ち溢れてて――。
あの時のステージには遠く及ばないものの、のど自慢の出場者も溌溂としてる。
「どうして舞台に立つのかしら……」
無意識のうちにわたしはそう呟いてた。
隣の結依ちゃんが大きく瞬きする。
「わかんないよね」
その瞳は青空のさらに遠くを見詰めてた。まるで何かに憧れるように。
「みんなに認められて、あそこにいるのか……自分が立ちたくって、いるのか」
NOAHの御前結依はまだ一度もステージに立ってないはず。今は下積みがてら、色んなお仕事をしてるって聞いたわ。
「あ……もしかして、恥ずかしくて舞台に出られないとか、そんな話?」
「ううん。あなたが思ってる意味で多分、合ってるわよ」
そしてカリスマファッションモデルとして持てはやされた九櫛咲哉も、まだ『舞台』に立ったことはなかった。
あくまでカメラの前。お客さんがいない場所でのお仕事だったから。
そんなわたしが結依ちゃんに衣装を作り、結依ちゃんはステージに立とうとしてる。
ひとりひとりでは小さな力よ。プロには到底、敵わない。
それでも――わたしたちは運命か、もしくは単なる偶然に拾われて。VCプロの支援のもと、来年にはデビューを控えてた。
結依ちゃんはNOAHのセンターとして。わたしはデザイナーとして。
人込みの向こうにバスケ部の屋台が見えてくる。
「ここでいいよ。ありがと、渡辺さん」
「どういたしまして」
朗らかな笑みを残し、結依ちゃんは人込みの中に消えていった。
あの子の綺麗な瞳が見てたのは、きっとステージへの憧憬ね。建前でもなければ、面子のためでもない。原始的な欲求のために目指してる。
それに対し、わたしには少なからず嫉妬や憤りに駆られてる面があった。どうしてわたしじゃないの、あの事故さえなければ――その気持ちがまだ燻ぶってて、クレハ・コレクションで落選したのかもしれないのよ。
純粋な気持ちで、ひたむきに。
それがとても難しい。
「さあて、次なる挑戦者は? 景品はまだまだ残ってますよー!」
ふと威勢のいい声が耳に飛び込んできた。
のど自慢大会のほうね。司会者がお客さんの中から参加者を募ってる。飛び入りの参加者が途切れちゃったんだわ。
「自慢の歌声を披露したいというかたは、ぜひ――」
「はいっ!」
わたしは特設ステージに近づき、真正面で名乗りをあげた。
「一年三組、おしるこ屋の渡辺です。歌わせてください」
わたしの周りで拍手が起こる。
「どうぞ、どうぞ! 曲はこちらのものから好きに選んでくださいね」
「じゃあ……RED・EYEの『シンデレラと堕天使の靴』で」
さらに大きな歓声が巻き起こった。
「あの難曲に挑戦だって! かっこい~」
妹がCDを持ってたから、知ってるんだけど……歌にも簡単とか難しいってあるのね。
美男子揃いのユニットとしても名高いRED・EYE、その代表曲『シンデレラと堕天使の靴』のイントロが流れ出す。
ギャラリーはわたしの一挙手一投足に注目してた。
これが『ステージに立つ』感覚……。
怖いとか、恥ずかしいって気持ちは湧いてこない。ただ、不思議と高揚感はある。
わたしは大きく息を吸い込んで、最高の気分で歌ってやった。
結果は……予想の通りよ。
みんな、呆然自失としちゃって、司会者もあんぐりと口を開けてた。
「ど、どうも……。大変、素晴らしい歌いっぷりでした……」
ワタナベサウンドもこの大人数を相手に炸裂すると、気持ちいいわね。のど自慢大会の観客のみならず、グラウンドのお客さん全員が、放心。
「今のって、え? RED・EYEの?」
「音痴? 音痴で済む次元なの?」
どうかしら? これが九櫛咲哉の歌声よ。
……うん。アイドル歌手は無理ね。
でも、これを聴いてたらしいクラスメートからは『上達したね』と褒められた。
「だって、原曲が何なのかはわかったもん。RED・EYEでしょ」
「ひょっとして練習した? 聴けた、聴けた」
のど自慢大会では特別賞に輝き、RED・EYEのアルバムまでもらっちゃったわ。
練習の甲斐は一応、あったのかもしれないわね。
だけど、この時はまさかRED・EYEがわたしの復帰に関わるなんて、思いもしなかった。業界は広いようで狭い。
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