第179話
見学までさせてもらったけど、手芸部にはやっぱり入部しなかった。
文化祭の直前で忙しい時に、新入りが紛れ込んでも迷惑でしょ?
だけど、それは表向きの言い訳に過ぎなかったわ。本当に入部したいなら、文化祭が終わったあとで手芸部の門を叩けばいいだけ。
武田さんは言った。
「プロ志望の渡辺さんには、ちょっと物足りないかもね」
そうじゃないのよ、武田さん。
手芸部のレベルが低いだなんて考えもしなかった。洋裁が専門のわたしとはジャンルが若干異なるだけで、高校生の水準は超えてるって感じたもの。
デザインばかり先行してるわたしよりも上手なくらいよ。芸能学校のデザイン仲間が野村先輩の手作りブランケットを見ても、同じことを思うんじゃないかしら。
だからこそ、わたしは入部できなかった。
二次選考に落ち、デザイナーのプロになれないまま?
そのくせ『趣味』として割り切ることもできず――。あわよくば洋裁の方面への転身を見据えつつ、選考落ちの喪失感を誤魔化そうとする。
たとえそれが本心でなくても、わたしの心にはどうしても卑屈な部分があって。こんな気持ちでクラブ活動に加わるなんて、野村先輩たちに失礼な気がしたの。
「文化祭は手芸部の展示、見に来てね」
野村先輩には期待だけさせて、悪いことしちゃったわ。
一方で、歌の練習は思いのほか順調だったりする。
「きーらぁーきーらー、ひぃーかー、るー」
レッスン場にて、奏ちゃんと伊緒ちゃんはわたしの危なっかしい歌いぶりに感心した。
「ちゃんと曲らしく聴こえるようには、なってきたわね……まだまだアレだけど」
「ほら、あれだよ。スキップできないひとでも、練習ですぐに……みたいな」
自分の歌が『アレ』とか『あれ』に該当するのは、自覚してるわよ。
「観音玲美子の『コードネームはアイツ』とか歌えるようになりそう?」
「う、う~ん……もうちょっと無難なラインを目標にしましょ」
早くも敗戦色が濃厚な奏ちゃんとは逆に、伊緒ちゃんは笑顔で応援してくれる。
「目標は高いほうがいいよ? 咲哉ちゃんがどこまで伸びるか、楽しみになってきちゃったもん。エヘヘ」
「その言葉、自分に向けて言ってみなさいよ。はあ……」
VCプロの事務所に寄ったついでに、杏ちゃんに聴かせる機会もあった。
「よぉーぞーらあの、ほーしぃよお~」
杏ちゃんは眩暈でもしたかのように額を押さえる。
「い、以前のアレよりは上達してると思うわ……うん。アレよりは」
また『アレ』呼ばわりされちゃったか。
「でも一ヶ月もしないうちに、ここまで矯正できるなんて、すごいんじゃないかしら。成長のスピードには目を見張るものがあるわね」
「褒めすぎよ、杏ちゃん。まだ童謡が歌える程度なのに」
「え? 歌えては……」
要するに『下手なひとほど上達が早い』ってやつね。初歩的な基礎を固めるだけで、傍目には劇的にレベルアップしてるふうに見えるのよ。
それにわたし、音痴の件は深刻に考えてなかった。井上さんがわたし、九櫛咲哉をアイドルとして起用できるか否か、その判断材料ってだけだもの。
むしろ音痴のままでいるほうが、アイドル活動を押しつけられずに済む。
九櫛咲哉にもうそんな需要があるとも思えないし、ね。
杏さんは重々しい溜息を漏らした。
「もしかして……咲哉、あなたもアイドルに?」
「まだ具体的なことは何も決まってないのよ。可能性の話で」
「そう……。こっちは来週から撮影でね」
NOAHは近々、ドラマの撮影で二泊三日の旅なんですって。
綺麗な湖の畔にあるバンガローに泊まって、夜は満天の星を眺めて……お仕事さえ乗りきっちゃえば、ちょっとした旅行に思えるんだけど。
「気が重いわ。リカとはすぐ喧嘩になるし、結依にはハラハラさせるし……」
玄武リカに御前結依。わたしにとっても馴染みのある名前が出てくる。
「NOAHのメンバーって仲良くできてないの?」
「原因はわたしにもあるのよ? でも、やっぱり相性が悪いみたい」
なんだか『九櫛咲哉と歌』のように聞こえて面白かった。
わたしは歌うのって嫌いじゃない。むしろ好きよ? けど、楽譜の上で踊ってるオタマジャクシの群れは、わたしを受け入れようとしないの。
それでも、わたしがドレミファソラシドを習得したことで、オタマジャクシはこちらへ歩み寄る気配を見せ始めた。『きらきらぼし』は初めての同意ね。
「自分に悪いところがある分、相手にはいいところがあるものよ。きっと」
自然とそんな言葉が口をついて出た。
杏ちゃんは感心気味に頷く。
「もっと相手のいいところを見て、か……。あなたの経験談?」
「うふふ。内緒」
「でも確かに、ずっと避けててもいられないものね。ありがとう、頑張ってみるわ」
こんなわたしでも、少しはNOAHの役に立ったかしら。
NOAHは井上社長がじきじきに指揮を執ってる、VCプロとっておきの企画だった。メンバーに明松屋杏、玄武リカを迎え、今は水面下で話題作りの布石を打ってる。
まだメンバーにも秘密だけど、センターに立つのは御前結依。
そしてわたし、九櫛咲哉は彼女たちのため、ステージ衣装を手掛けていた。これもメンバーには内緒でね、わたしはあくまで『同じ事務所のモデル』なの。
「咲哉はお仕事のほう、どう?」
「それが……クレハ・コレクションには落ちちゃって」
杏ちゃんくらい距離があれば、高校の友達や家族に言えないことも白状できた。
「残念だったわね……。ママが昔出場した時、わたしも見に行ったことがあるのよ。でもまさか、九櫛咲哉でさえ落選だなんて……あら?」
ところが杏ちゃんは不思議そうに首を傾げる。
「あれって、モデルに審査なんてあったかしら? 呉羽陽子の指名だった気がするけど」
危ない、危ない。うっかりボロを出しちゃってた。
行き当たりばったりの言い訳は当然、苦しい。
「え、えぇと……応募から選考する枠もあるのよ。わたしはブランクが長いから、そっちから挑戦するしかなくって」
「そうだったのね」
杏ちゃんは疑いもせず納得してくれた。
「でも真正面から選考を突破するほうが、実力の証明にはなるでしょうね。……あっ、別にあなたに実力がないって言いたいんじゃないのよ? ごめんなさい」
「前にも聞いたような台詞ね。大丈夫よ、怒ったりしないから」
彼女のおたおたするさまが可愛くて、頬が緩む。
「それじゃあ、わたしは行くわね。撮影頑張って、杏ちゃん」
「ええ。あなたのことも応援してるわ」
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