第61話
<Io・Misono>
いよいよ劇団のクリスマス公演となった。
年末までの一週間、大劇場で催されるの。十二月になってからじゃ、人数分を予約できるか心配だったけど、三日目の公演で席が取れた。
この日はバレエ教室繋がりの田辺さんや、響子ちゃんも役付きで出演する。
「工藤先生は井上さんと明日に見るんだって」
「ゆっくりしてるわね。先生にとっちゃ、娘の晴れ舞台なのに」
「うん。響子ちゃん、三日目と四日目に踊るから……って。今日でもよかったよね」
ただしNOAHの三人とは席が離れちゃった。チケットの座席番号は、わたしと奏ちゃんは隣同士なんだけど、結依ちゃんたちは別のところ。
開演までまだあるから、劇場の傍の喫茶店で時間を潰すことに。
わたしはまず玄武リカちゃんと向かいあった。
「あの、初めまして……奏ちゃんとデュオやってる、美園伊緒っていいます」
「知ってる、知ってる。結依と同いってことは、あたしとも同いじゃん。フツーに話してくれていいからさあ」
奏ちゃんから聞いてた通り、愛想がよくて、ひと懐っこい女の子みたい。でも天才子役の玄武リカと話せるなんて、やっぱり緊張しちゃうよ。
奏ちゃんのほうも、杏さん相手には少しギクシャクしてた。
「こうやって話すのは初めてよね? あたしは朱鷺宮奏」
「わたしは明松屋杏。あなたのことは美園さんから聞いてるわ」
奏ちゃんとして、杏さんには思うところがあるんだろーなあ。以前は同じ5オクターブの音域で張りあってる感じ、あったもん。
そうとは知らない杏さんが穏やかに微笑む。
「わたしがびっくりするような歌声の持ち主、なんですってね。ふふっ」
挑発されたわけじゃないのに、奏ちゃんは真っ赤になった。
「ちょっ! 伊緒、へんなこと吹き込んだでしょ!」
「え? わ、わたしなの?」
四人でテーブルを囲んでいるところへ、五人目が遅れてやってくる。結依ちゃんはお家に電話するとかで、しばらく別行動だった。
「ごめん、ごめん。バレエを観に行くって、お母さんに話すの、忘れちゃってて」
リカちゃんがにやにやと含みを込める。
「へえー? いつぞやのカノジョ、じゃなくってえ?」
「ち、ちが! やめてよ、リカちゃん? 伊緒ちゃんに誤解されるから!」
……どういう意味だったのかな。
「今賑やかなのはいいけど、公演の最中は騒いじゃだめよ」
聞こえなかったかのように、杏さんはしれっと紅茶に口をつける。
するとリカちゃん、きらっと瞳を光らせた。どういうわけか結依ちゃんの腕にしがみつき、舌足らずな甘い声で頬を染める。
「『白鳥の湖』ってロマンチックなやつなんでしょ? 手を繋いでてねえ、結依っ」
「え? そーいうものなの?」
「ちょっと、リカ!」
途端に杏さんはテーブルに両手をつき、前のめりになった。
「結依が迷惑してるじゃないのっ。くっつくの、やめなさいったら」
「こんなの、ただのスキンシップなのにぃ?」
わたしと奏ちゃんはついていけず、目配せとともに口元を引き攣らせる。
(女同士の三角関係ってわけね。伊緒もあんまり刺激しないで)
(話題、変えよっか……)
結依ちゃんのコーヒーが来たタイミングで、わたしはバレエの話を提供してみた。これから公演を観るんだし、ちょうどいいよね。
「わたしね、今度、劇団のオーディションで『ジゼル』を踊るんだよ」
杏さんは落ち着き払って、普段の優等生然とした物腰に戻った。
「それならDVDで、結依もリカも一緒に観たわ。後半は意外に怖かったわね」
「あたし、あらすじとか全然読んでなくてさあ。びっくり」
やっぱり『ジゼル』には驚いちゃったみたい。
奏ちゃんは手慰みにコーヒーカップを指でなぞる。
「そのオーディションってやつで、一幕のジゼルと二幕のジゼルを、両方やらなくっちゃいけないのよ。それで、ちょっと行き詰まってる部分があって……」
「どういうことかしら?」
オーディションの準備のほうは順調に仕上がりつつあった。ただし、第二幕のジゼルに関しては、まだヒロインの感情を表現しきれていないの。
今のダンスでも候補生にはなれるって、工藤先生は太鼓判を押してくれてるよ?
けど、理解できてないものを踊るなんて、それこそ不可能だもん。心情の宿ってないダンスは、たとえ技術面が優れていても、無味乾燥としたものになるから。
リカちゃんは頬杖ついてぼやいた。
「あれ、なんでお墓から出てきたんだろ、ってさぁー」
「あんたはもっと集中して見なさいよ。集中」
「すぐ気付いたってば。ヒロイン、死んじゃってたのかーって」
急に結依ちゃんが押し黙って、険しい顔になる。それを杏さんが覗き込んだ。
「……結依?」
「あ、ううん。ちょっと思ったんです。あのヒロインのジゼルって、自分が死んでるってこと、わかってたのかなあって……」
わたしと奏ちゃん、はっとして顔を見合わせた。
「それだわ、伊緒!」
「うんっ!」
ジグソーパズルの最後のピースが、やっと見つかった気がする。
わたしたちは『ジゼル』の第二幕を、死後の世界との境界線として、ずっと考えてた。けど、それは第三者の視点に立ってのもの。
恋人のアルブレヒトにしたって、精霊となったジゼルを、死者とはみなしていないのかもしれない。だから諦めきれず、焦がれ、殺されそうになりながらも追い求める。
「自分が死んだことに気付いてない、ジゼル……」
それは唯一の正解ではないだろうけど、わたしの解釈には成り得た。
奏ちゃんも腑に落ちたようで、肩を楽にする。
「あんまり日もないし、その方向で固めていけば、いいんじゃない? 自分の墓があるのを見て驚くシーンとか、ダンスのイメージに盛り込んでさ」
「いいかも! それで進めてみるね」
わたしたちだけで盛りあがってると、結依ちゃんが首を傾げた。
「ええと……?」
「っと、ごめんね。光明が見えたっていうのかな」
杏さんは踏み込もうとせず、労いの言葉だけ掛けてくれる。
「気掛かりがなくなって、よかったじゃない。あとは『白鳥の湖』を楽しむだけね」
「はいっ! 響子ちゃん、どんなダンスするんだろ」
わくわくしてきちゃった。
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