化け物バックパッカー、授業を体験する。

オロボ46

なつかしさで突入する光は、無関係なものを照らすことなど思わない。




 今はもう、使われなくなった校舎。




 広がる運動場は、暗闇でなにも見えない。




 その運動場を囲う塀から、何かの光が現れた。




 光の形は懐中電灯。




 それを持っていると思わしき人影が、




 暗闇に紛れて塀を乗りこえた。




 光は運動場の地面を照らし、




 暗闇の中から、「ああ……」と懐かしむ声が聞こえてきた。




 やがて、懐中電灯の光はあるものに引き寄せられるように移動した。






 その先にあったのは、ブランコ。




 地面との距離が近いものが2台、離れているものが4台。




 どれも座る部分をつなぐつり具の鎖は、




 重みを欠けるだけでちぎれそうなほどに、さびていた。




 懐中電灯の光はブランコの鎖から、いきなり振り返り真後ろを照らした。




「キャッ!?」




 震えているもののはっきりとした、奇妙な声が運動場に響いた。






「……なんだ、“タビアゲハ”か」


 懐中電灯を持った人影は、光に照らされた者を見てつぶやいた。


 光に照らされ、目を背けていた人物は、懐中電灯を持つ人影を見て安心したように息をはく。

「アア……ビックリシタ……」

 “タビアゲハ”と呼ばれた奇妙な声帯を持つその人物は、黒いローブを身にまとっていた。顔もローブのフードを被っていてよく見えないが、そのシルエットは女性の体に近い。背中には同じく黒いバックパックが背負われている。

「寝床ニ帰ル途中ニ“坂春サカハル”サンヲ見カケテ、ナンカソワソワシナガラ歩イテイタカラ、気ニナッチャッテ……ドウシテココニ?」


 “坂春”と呼ばれた懐中電灯を持つ人影は、少しだけ恥ずかしそうに頭をかいた。

「まあ……その……ちょっと、気になったからな」

 服装は派手なサイケデリック柄のシャツに黄色のデニムジャケット、青色のデニムズボン、頭にはショッキングピンクのヘアバンドを巻いた老人だ。

 その背中にはタビアゲハと同じ黒いバックパックを背負っている。俗に言うバックパッカーである。


「気ニナッタ?」

 タビアゲハが首をかしげてたずねると、坂春は「ああ」と答え、首だけ校舎の方向を向く。


「ここは……俺が通っていた小学校だったんだ」


「コノ小学校ニ……?」

「ああ。この学校は廃校になってからも残されていたんだが……まもなくここが取り壊されるというウワサを聞いてな、今のうちに見ておこうと思ったんだ」

 懐かしそうでありながら、どこか切なく語る坂春に対して、タビアゲハは想像するように目線を上に上げた。


「ブッ!!! クククク……」


 そして、いきなり笑いをこらえ始めた。


「いきなりどうしたんだ?」

「ゴ……ゴメン……ククッ……坂春サンノ小学生ノコロノ顔……思イ浮カベタダケ……」

 腹を抱えて笑いをこらえるタビアゲハに坂春は眉をひそめるものの、不快な様子は見当たらず、むしろ納得したようにうなずいた。

「……人の顔を思い浮かべて勝手に笑い出すなんで失礼だな。まあ、俺のダンディーな顔をそのまま小学生の姿で思い浮かべたら、確かにおかしいものだが」

 自身満々な言葉に、タビアゲハの笑いをこらえる声が一瞬だけ大きくなった。


 それもそのはず、この坂春という老人、顔が怖い。

 真夜中の学校という場所に、別の意味で溶け込んでいる気がするほどだ。




「ソレニシテモ、ナンダカ公園ミタイダヨネ」


 タビアゲハは暗闇を見つめて、まるでそこに遊具があるかのようにつぶやいた。

 坂春がその方向に懐中電灯を向けると、確かにその場所に鉄棒が見えた。タビアゲハは暗闇でも問題無く見えるのだろうか。

「ああ、主に休み時間などで遊具で遊ぶんだ。俺はよくブランコの順番待ちをしていたもんだ」

「休ミ時間ッテ、ダイタイドノクライ?」

 体を坂春の方向に向けるタビアゲハ。

「そうだな……授業と授業の間に10分から20分ぐらい、昼食の後は30分の休みがあったな」

「授業ッテ、先生ニ勉強ヲ教エテモラウコトデショ? ダッタラ、次ノ授業ノ準備ヲシナイトイケナイダロウカラ……30分休ミニヨク遊ンデイタ?」

「まあ10分休みでもちょくちょく来ていたし、朝早く来た時も遊べたもんだが……」




 その時、坂春は明かりを見た。




 自分の持っている懐中電灯の光とは違う、遠く離れた場所にある小さな光。




「坂春サン、アレ……」

 タビアゲハもその光に気づき、指をさす。

「ああ、まさかまだ守衛がいるとは思えないが……」

「……幽霊……ダッタリシテ」

「だったら一度はトイレの花子さんに会ってみたいものだが、どうせ違うんだろうな」


 ふたりはその光が現れた場所へと歩き始めた。






「1ネン……1クミ……?」


 タビアゲハは、靴箱に貼られた札を読み上げた。

「ここはクラスのげた箱だからな。生徒はみな、げた箱で運動靴から上履きに履き替えて教室に向かったものだ」

「ソレジャア、先生トカ学校ニ来タオ客サントカハ?」

「教師は専用の上履きを履いている。来客が履くのは……」

 坂春は近くにあった木製の箱に懐中電灯を向けた。

 箱のフタは外されている。その中に懐中電灯を照らして見えたのは、箱の底だけ。

「ここに入っているスリッパなのだが、さすがに全部片付けられているな」

「……裸足デモ、ダイジョウブ?」

「……そうするしかないな」


 坂春はシューズ、タビアゲハはブーツを脱いでいる時だった。




 コツ……コツ……


 上履きを履いて歩く音が、暗闇に響く。


 坂春はげた箱にシューズを入れると、すぐに懐中電灯を手に廊下に向かった。


 曲がり角を曲がると、もうひとつの光が坂春を照らす。


 坂春は目を細めながら、もうひとつの光を持つ相手を懐中電灯で照らした。




 そこにいたのは、白い人影。


 肌は真っ白で、まるでチョークが固まったかのようにザラザラとした肌に見える。

 坂春と同じような懐中電灯を握る手は、震えていた。


「……おまえは、“変異体”か」

「……」

 坂春が声をかけると、チョークの男はその場で尻餅をついた。決して彼の凶悪な顔つきに震えているわけではなく、緊張の糸が切れたようだった。


「坂春サン……変異体ガイルノ?」


 その震えを止めたのは、タビアゲハの声だった。

「……」

 チョークの男が背を伸ばしながら、坂春の後ろからやって来たタビアゲハに目線を移すと、懐中電灯の光の中心を彼女に向けた。

「……も、もしかして、君も変異体なのですか?」

 緊張している男の声に、タビアゲハはうなずいた。

「それじゃあ、このおじいさんは君の……」

「一緒ニ旅ヲシテイル……ケド……」

 タビアゲハの言葉に、チョークの男はひとまず深呼吸をした。

「ドウシテ深呼吸シテイルノ?」

「い、いえ……あ、あの……僕を通報したりはしませんよね……」

「ま、まあ、変異体を連れ回しているこっちにも危険があるからな」

 チョークの男は立ち上がると、坂春に向かってお辞儀をした。

「先ほどは済みませんでした。私は、人間の時に教師をしていたものです」

 坂春がチョークの男の来ている服装をよく見ると、確かに、整えられたスーツが教師時代の名残を感じ、うなずいた。

「なるほど……それで、この学校を回っていたということはここの教員なのか?」


「いえ、私が勤めていた学校は別のところなのですが……まあ、立ち話では疲れるので、職員室でお話させてよろしいでしょうか?」

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