第2話 にの島へ

「ニャオ! 無事で良かったよもぉ――っ!」


 海賊服のコートにスカート、頭には海賊帽子。ニャオとそう変わらない年の少女の登場に海賊たちは唖然としていた。自分の船長が海に突き落とされた事も、現実として把握できていないような表情だった。

 その隙に、結花千の船が傍に停船する。飛び降りて来た仲間たちによって、残った相手の海賊たちを制圧した。捕らわれていたニャオの仲間の縄も解かれている。ニャオの縄も結花千が彼女を抱きしめながら解いていた。


「ありがとうございます、神様……!」

「ごめんね、この辺りの海賊はみんな傘下に入れたはずなんだけど、残ってたみたいで。これはあたしのミス。……恐かったよね?」

「恐かったです、けど。――きっと神様が、助けてくれるかなって、信じていました」


 にーっ、と満面の笑みを作るニャオをもう一度抱きしめる。

 すると、海から船の甲板へ這い上がって来る男がいた。彼は船から垂らされていたロープを乱暴に海へ投げ捨て、こめかみを手で押さえながら、剣を結花千に向けていた。


「こんな子供に負けるのは……海賊としてではなく、男のプライドにかかわるねえッ」

「女の子に手を出す時点で、男がどうとか言えないと思うけど」


 結花千は周囲を見渡す。多分、男は気づいていないのだろう。冷静にも思える口調だが、不意打ちで海に突き落とされて頭に血が上ったのだ。

 どうやら、海の水では頭の熱を冷ましてはくれなかった。


「決闘してもいいけど、状況分かってる? あと、あの旗も」

「――あん?」


 彼女が槍の先で自分たちの船を差す。男が見た旗のマークは、有名な大海賊のものだ。


「ふ、二つの眼帯……!? なんでお前みたいな小娘があの海賊の船員を動かせる!?」

「あたしは代理の船長。本業は海賊たちを一つにまとめた、島を警護する組織の総督。それで、実はこの世界の神様だったりするんだよね」


 ぽかんとした顔の男は、一瞬の間を開けて、次に大きな声で笑い出した。


「小娘が、神だって!? くくくッ、子供のお遊戯会に付き合っている大海賊というのは滑稽だねえ。我々が憧れた大海賊は、女子供に気を遣う生ぬるいチームになっちまっていたのかい。こりゃあ、ガッカリだあね」

「信じてないの? 神様だって」


「…………」

「一応、証拠ならあるよ?」


 三又の槍が消え、代わりに握られたのは、銀色に似た、老木から切り出されたような細い杖だった。神と名乗った彼女が、杖を海賊船に向けて、


「あんたの海賊船、中にまだ誰かいたりする?」

「いないな。全員出て、そして制圧されているように見える」

「じゃあ安心ね。――神なら、創造も破壊も自由にできる。たとえばこんな風に」


 潰れろ、と結花千が呟いた時だ。杖が差した男の海賊船が、原稿用紙を丸めるようにぐしゃぐしゃになっていく。元の形を失った海賊船の資材たちが集まった丸い塊は、神の命令によって跡形もなく消えた。自然の中、元の場所へと戻っていったのだ。


「やっぱり、破壊のコストは高いなー。っと、こんなものかな。どう? あたしが神様だって信じてもらえた? 一応、世界には伝えているんだけどね。知らない人がいるならまだまだかあ……。要望があればなんなりと。あたしにできる事なら助けてあげられるよ」


「神様……ね。そんな強大な力を持って君は本当に正しく扱えると思っているのかね?」


 結花千はむっとした。結花千が作り出した生命体にそう言われるのは心外だった。


「神様は正しいよ」


 ニャオが言い返す。

 向き合う二人は決して、互いの目を逸らさなかった。


「人を傷つけ、自分の得しか考えていない海賊なんかに、分かるわけがない」

「ふむ。どうやら分が悪い。……引き下がろう。それで、我々をどうするつもりだい?」


 結花千は言葉を挟むタイミングを失ったので、さっきの質問には答えない。

 海賊を制圧した後は、いつも通りにこの話を持ちかけている。


「今の海賊のイメージって、盗賊よりもそれを取り締まる方のイメージが強いのよ。商船を襲って物を奪うよりも、ちゃんと仕事をした方が真っ当な生き方になるでしょ? あたしは海賊の総督だから、あなたにも仕事をあげられる。どうする? 無理に誘う気はないけど、海賊を続けるなら徹底的に潰して監獄送りにしなくちゃいけないけど……」


「それは脅しかな?」

「そう? 悪い事をすれば裁くと言っているだけだよ」


 赤服の男は力なく笑い、結花千の誘いを断った。ただし、海賊を続ける事はない。


「部下については一人ずつ、聞いてみればいい。私は普通に仕事でも探すさ」

「うん。それがいいよ。……ただ、ニャオにはこれ以上近づくなよ」


 結花千が譲った小船に乗って去って行く男を、じっと見つめるニャオ。彼の背中が段々と小さくなっていく。そんな彼女の様子に気づいた結花千が心配して声をかけると、


「あの人の心は、まだ折れていなかった、ように見えたけど……」


 多分、彼の道は海賊一つではなかったのだろう、と結花千は考えた。



 積み荷を乗せた船がまた襲われないように、結花千が乗る海賊船はニャオたちの後ろをついて行く事にした。

 向かった先は『にの島』だ。

 名づけたのは神である結花千である。由来は単純に、二つ目に見つけた島だったからだ。


「みんなー、ちょっと手伝ってくれるー?」


 積み荷は重い。いくら台車があるとは言っても時間がかかる。なので暇そうにしている海賊たちに仕事を与えようと結花千が動いた。遠慮するニャオの知り合いには、


「みんな苦にしてないから大丈夫だよ」


 と言っていると、作業はあっという間に終わった。

 すると一人の船員が結花千の元に。


「船長、俺たちはそろそろ出発しますよ」

「え、なんでよ。ゆっくりして行けばいいのに」


 引き止めたが、さんの島で人手が欲しいと言われたらしく、彼らには仕事がまだ残っている。

 結花千も行くべきだと思ったが、彼がニャオを想って、残った方がいいと勧めた。


「そうだね……うん、そうする。みんなにも、ありがとうって伝えておいて」


 若い船員にそう伝えて、海賊船を見送った結花千は村へ向かう。


 海岸から坂を上がる。重い木箱を持ってここを上がったのか、と彼らに驚いた。

 村の入口にある柵には、ニャオが腰かけて待ってくれていた。


 青みがかった黒髪。ウェーブした毛先を指先で遊んでいると、結花千に気づいて顔を上げる。

 ぱぁっ、と太陽のように明るい笑みを見せて、ニャオが駆け寄って来る。

 健康的な褐色の肌がよく見える。半袖に短パンで、見た目から元気少女だと分かる。


「神様神様っ、これから昼食なので、食べて行ってください!」

「うん、そのつもりだったよ。ニャオとも一緒にいたかったし。あ、それとね――」


 早く村に入れたいのか、片手をぐいぐい引っ張るニャオの頭を優しく小突く。

 ニャオはきょとんと結花千を見つめ、首を傾げていた。


「可愛いけど、そうじゃなくて。説教だよ。ニャオらしいけどさ、なんで捕らわれているのに相手を煽ったりするのかな。さっきの一幕、あたしが助けなかったらどうするつもりだったの? あたしは神様だけど、万能じゃないんだよ?」


 さっきはまさに事の渦中だったので注意できなかったが、このまま言わずにいていい話題ではない。ニャオはごめんなさい……、と素直に謝った。

 だが、


「つい、我慢できなかったんです。みんなが長い期間、苦労してやっと作る事ができた果実を、奪われたくなかったんです。あんな奴らには……絶対に!」


「そっか。ニャオはいつもそうだもんね。みんなのためにいつだって動けるのは自信を持っていいけど、もっと自分の事も考えて。ニャオがいなくなったら、あたしは悲しいよ」


「いえ、そんな……私なんて、いくらでも代わりがいますから」


 表情は笑みだったが、寂しそうな、力のない笑みだった。すぐにそんなことないと否定しようとしたが、ニャオの服を引っ張る子供が後ろに四人もいた。


「みんな、どうしたの?」


 四人の子供は五歳くらいだったはず、と結花千は思い出す。ニャオが振り向き、子供たちと目線を合わせて話を聞いてあげていた。うんうん、と頷く声が聞こえ、


「神様、またみんなと、遊んでくれますか?」


 ニャオの後ろから顔を覗かせる子供たちは、結花千の海賊帽子を見ていた。海賊は恐いけれど、興味はあるらしい。結花千は被っていた海賊帽子を一人の女の子に被せて、


「もちろん、いいよ」


 ――断る理由など、何一つなかったのだから。

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