心の壁
第79話 追憶、強襲
質素な部屋にアーウィンとユランはいた。ユランは少しばかり珍しそうに部屋を見回し、アーウィンはさして何も無い部屋の一つ一つを慈しむかのように手に取っていた。
最低限の家具と食器。相変わらず何も無い。主を失った部屋をふたりは片付けていく。
「私の部屋より、何も無いぞ」
「それが良かったみたい。余計な物も無く、余計な事も考えない。この世界で唯一、自分が自分らしくいれた場所。そう言っていた」
食器をバッグに詰め込みながら、アーウィンは無表情で答える。
ジョン達を中心に知った顔だけでミヒャを送り出したが、そこにアーウィンの姿はなかった。クランスブルグでジョン達に合流すると、エルフのリックルに何か頼み事をして、すぐにここに向かう。
「ユラン、アーウィンを頼みます」
やはりアーウィンに違和感を覚えるキリエの言葉に頷き、ユランはアーウィンのあとについて行った。
辿り着いたのはミヒャが隠し部屋として使っていた狭い集合住宅。勇者達も知らないその部屋に足を踏み入れた。
窓を開け放つと、閉め切っていた部屋の少し停滞していた空気が撹拌される。陽光が射し込むと、主のいない部屋を明るく照らした。
「何となくだけど、ミヒャは勇者なんてやりたくはなかったんじゃないかな。ここにいた時のミヒャはとても穏やかで、柔らかな顔を見せていたんだ⋯⋯」
独り言のようなアーウィンの言葉が、寂しさを余計に募らせた。
何気ないアーウィンの言葉にユランも頷く。
「そうなのかも知れない。でも、自ら選んだ道。あれだけの力があったんだ、辞めようと思えばいつでも辞められたはず。それでも辞めなかったのはミヒャ自身だ」
「⋯⋯うーん⋯⋯自身で辞めなかったのでは無くて、誰かの為に辞めなかったんじゃないかな。自身の気持ちを犠牲にしても、誰かの為になるのであれば⋯⋯そこに力を持つ者の存在意義があるのならば⋯⋯。まぁ、もう聞く事も出来ないけどね」
ユランは黙ってアーウィンの言葉を聞いた。淡々と零れる言葉は、とても寂しく、それでいてどこか冷えている。もっと感傷的になると思っていたユランには、どこか冷めているアーウィンの口調が意外に映った。
「人の為にか⋯⋯。そうかも知れないな。そっちの方がミヒャらしい」
「うん。らしいよね⋯⋯」
まるで、自分に言い聞かせるかのようにアーウィンは答えた。
ミヒャが使っていたカップを、アーウィンは優しく包み込む。黒く塗り潰していた心に柔らかなミヒャの笑顔が浮び上がる。
ダメだ。
僕はカップを即座にカバンへ詰め込み、心を黒く塗り潰す。
僕を今、前に進める原動力は黒く塗り潰した心しかなかった。
僕は憂鬱すら黒く塗り潰し、顔を上げて行く。
『『『ドドドドドドドドドォォォォオオ』』』
大きな迷彩の壁に向かい、いくつもの火柱が向かって行く。
「こいつは派手だな」
ダルが愉快そうにその様子を眺めている。敵襲に慌てた兵士が燻る煙の奥、壁の上で慌てる姿がカルガの単眼鏡から覗けた。
「どんだけ貼ってんだよ⋯⋯。アスクタ! 残りは何だ?!」
「残りは風だけだ!」
「モモ! 風だ!」
「全くもうー、人使いが荒いんだから。お帰り! 《レディーレステラ》」
5Mはある大きな蠍が、割れた空間の中へと消えて行った。モモの瞳が真剣さを見せると詠唱が始まった。
「地と空を交えよ。煌々たる星の命運を我に従属されたし、彼の地、我の血、交わりたまえ命運を。降り注ぐ光輪の従属者。我が盾、我が鉾となる理に従え。開け彼の地への桟道、我は正を司る者。付き従い非を破れ。今、壮麗なる門を開く。《オフィウクス》」
ズズ⋯⋯。空間が大きく縦に裂けていく。巨大な裂け目から石造りの腕が出現すると、空間をこじ開けながら淡く光る石造の巨人が姿を見せた。石造に彫られた顔は精悍な顔つきを見せ、上半身に蛇を巻きつけている。
見た事の無い異形の物にカルガは呆れて見せた。千の軍隊に匹敵すると言われているモモの召喚魔法を初めて目の前にすると、その圧倒的な威力に呆れる事しか出来ない。
光る石造がゆっくりとした動きで、胸に手を当てるとそのまま前へと振る。極大の風の刃が壁へと目掛け飛んで行くと、地面に貼っていた【魔法陣】が反応し、次々に爆発していった。
「アスクタはここに残れ。リーファ、モモとアスクタを守れよ。ダル、行くぞ」
「あたしも行きたいよ」
アンのパーティーに所属する女が大きな目をくりくりさせながらふてくされて見せた。赤毛のショートカットが快活さを後押ししている。モモとの連絡役という重要な役割をしっかりとこなし、モモと共にカルガ達と合流していた。
「お前はここに残れ。アスクタとモモは、あのクソな壁をぶっ壊す為の切り札だ。ここがコケたら全部パーになる。子供達を救う絶好のチャンス、こいつを逃す訳にはいかねえんだ」
「⋯⋯何だかややこしい話ね。分かったわよ、このふたりを守ればいいのね」
「難しい話は何ひとつしてねえんだが⋯⋯。お前の言った通り、ふたりを守れ」
「カルガ、心配するな、腕は確かだ。頭がちょっと弱いだけだから、さっさと行こうぜ」
カルガは少しの心配という心残りを置いて走り始めた。川と繋がる舟の出入口から潜入を図るべく、川へと静かに迂回して行く。
「⋯⋯壮麗なる門よ開け。《タウロス》、《サジタリウス》」
モモの詠唱。空間の裂け目から、3Mはあるミノタウロスかと見紛う巨大な斧を抱える牛人と、白光を帯びる半裸の男が現れた。柔和な顔を見せる半裸の男が弓を引く、神速の矢は放物線の頂点で光り輝くと金色のシャワーを壁に降らす。爆音を鳴らす壁、頭を抱え右往左往する壁上の兵士達。降り注ぐ金色の矢が、壁を爆砕していく。
「はぁ~。あなた本当に凄いわね。ここ離れてもあれって消えないの?」
「なぁに、褒めてくれるの? いい娘じゃない、見どころあるわね。200Mくらいは離れても大丈夫よ」
「じゃあさ、その辺に隠れていようよ。ほら、そこの兄ちゃんもこっち、こっち」
「ちょっと待て。念の為【魔法陣】貼っておく」
「止めときな。カルガ達アホだから踏んじゃうよ。牛と弓師に任せておけばいいよ」
アスクタは少し顔をしかめたが、渋々とリーファに従った。三人は大きな岩の影に身を潜めて行く。カルガの置いて行った単眼鏡でリーファは前方を覗いた。
「出て来た、出て来た。ねぇねぇ、牛だけで大丈夫? 結構な人数出て来ちゃったよ」
「あら。ホント? んまぁ、勇者とか手練れの類がいなかったら大丈夫じゃない」
「牛とかやられちゃったらどうなるの? 死んじゃう?」
「死なないわよ。ただ、力の源となる⋯⋯そうね⋯⋯魔力みたい物がゼロのなるとこの世界から強制的に帰還しちゃうのよ。その魔力がまた溜まるまでしばらく召喚出来ないから、やられる前に帰してあげないとね。分かった?」
「うん? ああ、死にはしないのね」
「あら、やだ。ホントに残念な娘ね。でも、いい娘だからいいわ」
『ブモォオオオオオオオオオオオオ』
召喚獣タウロスの咆哮が森に響いた。30人程の兵士が輪を描き取り囲んで行く。
「怯むな!!」
『おおおおおおおお!!』
隊長らしき兵士の掛け声に、タウロスを囲む輪が一気に小さくなっていった。兵士達の携える剣が一斉にタウロスへ向けられる。
「あちゃあ、大丈夫かな?」
「あらやだ、あなた私の言葉信用出来ないの? 大丈夫よ30人くらい、なんて事ないわよ」
単眼鏡を覗くリーファに、モモはすまし顔で答えた。
『『ブォモオオオオ』』
タウロスの巨大な斧が神速の振りを見せる。唸りを上げ、空気を斬り裂く。何人もの首が一斉に跳ね上がると囲む兵士に恐怖が襲いかかった。ボタボタと地面に落ちて行く首に腰を抜かす者も少なくない。兵士達は勢いを一気に失い、タウロスの包囲網は綻びを見せ始める。
「なぁーにをしとるんじゃ、全く。そんなもんはシカトせえ。本体を探せ! 召喚士がこの辺りをうろついているはずじゃ! 散って探せ!」
リーファは単眼鏡を覗きながら、叫んでいるドワーフに顔をしかめた。
「ヤバそうなヤツが出てきちゃったよ。アスクタ、【魔法陣】貼って。貼れたら移動しよう」
「なぁにちょっと、うちのタウロスちゃんより強いなんて早々ないわよ」
「いや。モモ、あなたを探し回っている。アスクタまだ?」
「急かすな。今終わる⋯⋯よし、貼ったぞ」
リーファはアスクタの言葉に頷くと、すぐに移動を始めた。追跡者に見つからないよう、細心の注意を払う。リーファの頭の中で、激しい警鐘が鳴り止まずにいた。
「頃合いだな」
草葉の影に身を潜めていたカルガとダルは、派手な爆砕音が鳴り響くと静かに入口へと潜り込む。人気の無い石が剝き出しの廊下。その天井は高く、中から見ても分厚い石の壁が堅牢を誇っているのが分かった。くぐもった爆砕音を耳にしながら、長い廊下を慎重に歩を進めて行った。
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