第66話 詠唱
目前に迫る鈍い銀色は、僕の脳天を目掛け見事なまでに鋭い弧を描いていた。
「避けろー!」
ユランの叫びに、咄嗟に後ろへと転がる。目の前で激しい破砕音が鳴り、また床が大きく抉れた。
女は再び構え直し、険しい表情でこちらを睨みつける。
「ちょこまかとこざかしいわね」
僕は痛む左の脇腹を押さえる事も出来ず、左腕はダラリと伸びているだけ。右手で構える剣は小刻みに震える。目の前の床を抉る威力に再び恐怖が襲いかかり、無力感が背後からじわりと迫る。
ユランの方に視線を移しても、荒い吐息を見せ、ユランの立ち姿に力はない。
ユランはまた、ゆっくりとアーウィンの側へと回り込み、ふたりは女と対峙していった。
戦鎚を握る立ち姿に余分な力は入っておらず、隙は見当たらない。呼吸をするたびに脇腹から鋭い痛みが体中を巡る。
アーウィンとユランを見つめる女の瞳は、震え上がる程に冷たい。
怯むな。行け!
自身を鼓舞する
「こんのぉおおおおおお!!」
怒りをぶつけろ。アーウィンは剣を振り下ろす。ユランもアーウィンの後を追う。
暗闇に火花が走り、力の無いアーウィンの刃は体ごと簡単に弾かれ、壁へとまた激しく体を打ち付けた。
振り切った戦鎚を握る腕、ユランのナイフは最後の一滴を絞り出す。下へと伸びきった女の右腕にユランのナイフが届く。振り切ったユランのナイフには血糊がべったりとつき、ユランは勢いのまま床へと転がって行った。
ドンと床からは、重い音が鳴る。
「ぎゃああああああああ」
女が悲鳴を上げ、戦鎚は地面に転がる。
辛うじて繋がっている右腕は女の叫びに合わせてブラブラと揺れ、今にも千切れそうだった。
「殺す! 殺す! 殺す! 殺す!!」
女はすぐにヒールを詠おうと、左手を所在無い右腕に当てた。
させない。
アーウィンとユランは勝負所と、痛む体に鞭を打つ。
「下がれ! 《ヴェントファング》」
聞き覚えのある女性の詠声。僕はユランの体を引き、後ろへと跳ねた。
僕達の横を緑光の風がすり抜けて行く。
女へ向かうと思った緑光は、予想を裏切り天井目掛け光の線を描いて行った。
僕はその様に眉をしかめる。
外した!?
「《キュアオ⋯⋯》」
女がヒールを詠おうとした瞬間。
ドォォォォオオ!
大きな爆発音と共に、天井から床に向けて極大の炎が放たれる。熱はアーウィンとユランの所まで届き、その熱に思わず顔を背けてしまう。顔を前に戻すと消し炭となった女が床へと転がっていた。
僕の手からスルリと剣が落ち、床からカランと高い金属音が鳴る。肩で息をしながら振り返るとボロボロのユランと、大きな魔女帽子を被る見知った女性の姿があった。
助けて貰ったという感謝の気持ちと、助かったという安堵。そしてこの状況を作ってしまったという罪悪感に自然と涙は溢れ、上手い言葉が見つからなかった。
「アベール⋯⋯ごめん。⋯⋯ありがとう」
アベールはボロボロと涙を零すアーウィンの姿に嘆息すると、小さく微笑んで見せた。
「何だい、辛気臭い。あんたが謝る必要なんて無いさ。全く。そっちの猫も怪我酷いね。動けるかい? すぐに人が集まるかも知れない、ひとまずここを離れるよ。痛えとは思うけど、もうひと踏ん張りだ」
僕達は痛む体に鞭を打ち、アベールの後を追う。体を引き摺りながら、また闇へと姿を隠して行った。
恐怖に震える少年を黙って舐るように見つめ、無言の圧を掛けて行く。俯こうとする少年の顎を優しく掴むと少年の顔を自分の方へと向けた。
気持ちの悪い笑顔を向けられ、少年はさらに震える。その姿にミンはさらに笑顔を深めていった。
「良く見ると綺麗な顔しているじゃない。大人になったらいい男になりそうね。まぁ、大人になれたらの話だけどね。それもこれも、この後のあなた次第。お互いに残念な結果にならないといいわね」
穏やかな口調で、グサグサと少年の心を抉っていく。少年の呼吸は浅くなり、苦しそうに肺を上下させた。
その姿に笑みを見せていた瞳が一気に冷える。
「さぁ、住人はどこ? どこかに逃げたのよね? どこに消えたの?」
少年は震えながらも、首を横に何度も振った。ミンは眉間に皺を寄せ、険しい顔を作る。首を何度も横に振り、盛大に溜め息をついた。
「はぁ~。強情なガキね。んじゃ、まずは指から行こうか。手を出してごらんよ。ほら、早く。嫌がってないで、出せ。いい加減にしろよ。テーブルの上にサッサと出しやがれ!」
嫌がる少年の腕を掴み、無理矢理テーブルの上に手を置いた。テーブルの上に広がる自身の手を見つめ、少年は無言のまま涙を流し、首を横に振る。
「手間とらせるなよ。ったく。さぁ。住人はどこだ。言え。言わないなら⋯⋯まずは⋯⋯どうしようかねぇ、定石通り小指からいくか。どう? 言う気になった? ⋯⋯あ、そう言わない。じゃ、いくか」
「ギャアアア」
「男が喚くな!」
ミンは、何のためらいもなく少年の左手の小指にナイフを突き立てた。小指から噴き出た血飛沫がミンの頬へと跳ねたが、気にする素振りすらしない。
テーブルの上では押さえられている少年の小指の根元からは、血は止めどなく流れ、切断された小指は無造作に転がっていた。
少年は目を剥いたまま荒い呼吸を繰り返し、ジンジンと激しい熱を帯びている自身の手を凝視している。
「言う気になった? とりあえず、あと9本あるから頑張ってみる? 無駄な頑張りだけどね。どう? 言う気になった?」
少年は涙目のまま、ミンを睨む。その姿を見たミンは盛大にイヤな顔をして見せた。
「強情なガキね。だから、ガキは嫌いなのよ。サクッと次いくか⋯⋯どの指にするかな⋯⋯」
((ドォォォォォォ))
ミンが迷う素振りを見せた瞬間、奥から爆発音が響く。すぐに怪訝な表情で音の方を睨み、警戒を上げた。
「ちょっと何の音? あんた達見て来なさいよ」
側に立っていた兵達に声を掛ける。その刹那、ひとつの影が死角から飛び込んだ。その切っ先はミンの喉笛目掛けて真っ直ぐに振り抜く、ミンは椅子ごと後ろへと倒れ、転がって行った。
「チッ!」
顔に火傷の痕を残す男は、舌打ちをしながらも少年の腕を取り立たせる。混乱を見せる少年を一瞥し、ミンへと視線を移した。
「カルガ・ティフォージ? 何でアンタがいるのよ」
「坊主、逃げられるか? 足は大丈夫だな。良し、根性見せろ。西に敵はいない、走れ」
ミンを睨みながら、少年の耳元で囁いた。少年は言われた通り、すぐに西へと駆け出す。気が付けばカルガの前には20人程の兵士が睨みを利かせていた。カルガはゆっくりと視線を動かし、戦力を図る。
「チッ!」
ミンが舌打ちをする。カルガの隣に飛び込む、見知った
ダルは顔をしかめるミンに軽く手を振り、さわやかな笑顔を見せた。
「やぁ、ミン。これで止めるつもり? 何人いても烏合の衆じゃあねぇ~」
ダルは口端をさらに上げ、不敵な笑みで剣を構えた。
「ほら、あんた達、相手はふたりじゃない! サクッとやっちゃいなさいよ!」
勇者直属の人間がふたり、しかもパーティーの中心人物が勇者に相対している構図。兵士達が混乱するには充分な図が広場に広がっている。兵士は互いに顔を見合わせ、周りの出方を互いに様子見をし、硬直していた。
「かかってくるなら、容赦ないぞ。それだけだ」
カルガは兵士達に睨みを利かし、ミンに視線を戻すと一気に距離を詰めた。
固まる兵士に脇目も振らず、ミンへと駆け出す。
目を剥くミンはすぐに詠唱を開始する。
カルガは詠唱に怯む事なく飛び込んだ。
詠唱とカルガのスピード勝負。
「《イグニスファイ⋯⋯》!」
カルガの切っ先が、ミンの口を塞ぐ。
口に深々と突き刺さる刃。ミンは目を剥き震える。カルガは冷ややかな視線を向け、剣を握る手に力を入れた。
「サッサと帰れ。このクソ勇者」
カルガが剣を押し込んだ。ミンは根元までカルガの刃を飲み込む。見開いた目は白目を剥き、急激に生気を失っていった。
ミンの腕はダラリと下がり、切っ先に重みが掛かると、カルガはミンを蹴り飛ばす。
口元からズルっと剣は抜け、糸が切れた人形のようにミンは地面へと崩れ落ちた。下げた剣からは地面へと血は滴り落ち、ミンの体は自身の血溜まりに沈んで行く。
「引け! 刃を向けるなら容赦しない!」
混乱する兵士達の前にマインが後ろから現れると、カルガとダルは盛大に顔をしかめた。
「何で、出てくんだよ。バカなのか!? オレとダルで片づけた意味がねえ!」
「そうだよ、マイン。ここは出て来ちゃダメだよね」
「もう、勘弁ならぬ。この所業に黙っていられるものか!」
「だいたい、出て来るなら、もっと早く出て来て、サッサと片付けろって話だ」
「そうそう」
「そう言うな。私が出たら即詠唱で、街がまた壊されてしまう。考えなしみたいに言うな」
「なるほど、一里ある」
ダルはポンと手を打った。
勇者の登場という現実は、兵士達の戦意を削ぐには充分だった。ひとり剣を収めると兵士達は次々に剣を下ろし、帰還の準備を始める。
「おい! そこの若いの! そう、お前だ。ちょっと来い⋯⋯大丈夫だ、何もしねえよ。ほら、早く来い」
帰りかけていた若い兵士にカルガは声を掛け、肩にがっしりと手を回した。
「な、なんですか?」
「そうビビるな。ちょっと教えてくれ。今回の頭はミンで、軍勢はここにいるヤツらだけか?」
「多分⋯⋯全員ではありませんが、ほとんどいると思います。ただ、率いていたのはミンさんとユリカさんです。奥で爆発があったのでユリカさんの所で何かあったのかも知れません」
「そういう事は、早く言え! ここはまかすぞ!」
カルガは若い兵士を小突くと、アーウィンの元へと駆け出す。
ユリカか⋯⋯、厄介だな。もうひとり勇者がいるとは考えていなかった。あの爆発は勇者が絡んでいたのか、ユランでも相当にキツイな。
頼む、無事でいろよ。
それだけを願い、疾走した。
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