第33話 エスケープ

 重い戦斧をナイフのように軽く振り抜いた。カタは咄嗟に後ろへと転がり、トルマジの戦斧は地面を抉る。


「チッ!」

「てめえ! 何しやがる!」


 トルマジが舌打ちと共に、戦斧を構え直した。戦斧の衝撃で地面が大きく抉れている。その抉れた地面が、トルマジが本気であった証となった。


「うーん、殺すのはまずいのかなぁ。生け捕りは難しいんだよなぁ」

「何、寝ぼけた事言ってやがる」


 トルマジの耳にカタの言葉は届いてはいない。再び、戦斧を振り下ろした。風切り音と共に眼前に戦斧が迫る。通り過ぎて行く鈍く光る刃先に冷や汗を掻きながら、また後ろへと跳ねて難を逃れた。

 ちくしょう。

 カタは心の中で悪態をつき、腰の剣を抜いた。部が悪い闘いを強いられる。パーティー随一の攻撃力を誇る戦士との対戦。願わくは避けたい所だが、こうなってしまえば、もはや無理か。

 剣を構え、おさげのドワーフと対峙する。いつもの眠たげな瞼の奥にある瞳が殺気を放つ。剣に握る手に力を込め、最後の説得を試みた。


「おい! お前何か勘違いしているんじゃねえのか? 攻撃される言われはねえぞ」

「うーん。そうか? お前が鍵屋の仲間ならスッキリするんだぁ」


 派手な風切り音を鳴らし、巨大な刃先を三度振り下ろす。

 こんなもん、まともに受け切れねえ。

 剣の刃先で、戦斧の刃先を滑らしていく。金属の擦れる音が森に響いた。 

 淡々と余裕の表情を見せるトルマジにカタの心臓は早鐘のように警告を打ち鳴らす。

 説得出来なかった。

 頭を切り替えトルマジへ刃先を向ける。その瞬間、戦斧の重い連撃が襲う。縦に横に瞬速の刃が鈍く光る残像だけを残す。受ける事も出来ず、後ろへと下がる事しか出来ない。

 

 しまった。

 

 踵が地面から突き出た小さな岩に引っ掛かった。些細な障害が明暗を分けるのは常。膝から崩れた所へ、頭上から戦斧が襲う。

 ガツッ!

 鈍い金属音と共に重い一撃が襲った。両手で剣を支え、振り下ろされた斧を食い止める。

 ギリっと上からゆっくり圧が掛かり、頭上に戦斧がゆっくりと迫った。じわじわと迫る刃先を渾身の力を込めて弾き返し、後ろへと転がる。迫るトルマジに向けて、左手に備わるハンドボウを射出した。

 トルマジは迫る矢に目を剥き、驚異的な反射で体を捻る。小さな矢は、急所を外し左の肩へと突き刺さった。

 クソ、外した。

 千載一遇のチャンスを逃した。

 トルマジは怒りの形相で、カタへと迫る。左肩に突き刺さった矢など気にする素振りも見せず、戦斧を力の限り振り抜いた。

 クソ!

 一瞬の硬直。決まったと思った。

 ⋯⋯最大の好機チャンスを逃した。

 カタの腹を戦斧が襲う。パックリと開いた腹から臓物が零れそうになるのを反射的に押さえる。口からは血が垂れ、トルマジに目を剥いた。剣呑な目つきのトルマジがゆっくりと近づく。カタは膝から崩れ落ち、トルマジのゆっくりとした足音を聞いた。意識に薄い膜が張り出し、視界のピントはぼやけていく。

 終わりか。

 諦めが全身の力を緩める。カタはゆっくりと目を閉じると、意識が少しずつ剥がれていった。

 

 その瞬間、火炎の音と頭上に熱を感じる。


「ぎゃぁあああああああ! あちぃーー」


 火だるまで転がるトルマジが目の前にいた。カタは最後の力を振り絞り後ずさる。

 何が起こった?

 キリエが心配を隠さず、カタへと駆け寄る。腹部に出来た血塗れの穴、その傷に盛大に顔をしかめた。


「我慢してね。《イグニスファイア》」

「ぐはっ!]


 キリエは小さな炎でカタの腹部を焼き、急いで傷を塞いだ。

 キリエの小さな体が、大柄なカタを抱える。引きずるように足を動かすカタをキリエは必死に鼓舞していった。


「キツイけど、頑張って」

「⋯⋯なんで、逃げなかった⋯⋯」

「合流した時、あなたがいなかったらアーウィンに怒られるからよ」

「⋯⋯そんな⋯⋯」

「急ぎましょう。このまま、集落を目指すわよ」


 キリエは、なんとかカタを馬に乗せ、走り出した。カタは揺れる度に傷を襲う衝撃に顔をしかめながらも必死に手綱を握る。悲鳴を上げているトルマジを背に、集落を目指した。


◇◇


 遠くで鳴った大きな爆発音。それと小さく叫び声も聞こえた気がした。猫人キャットピープルの耳がピクリと動き、音の方へと目を剥いた。その姿にリアーナが険しい表情を見せる。

 僕はぼんやりとした思考の中、雰囲気の変化を感じた。ふたりが纏う空気に緊張感が走っている。


「トルマジ!」

「ユラン? あの声、そうなの?」


 猫人キャットピープルが、大きな体躯を素早く起こし、音の鳴った方へと駆け出して行く。


「待て! ユラン!」


 猫人キャットピープルを止めるべくリアーナがユランに向けて手を差し出すと、拘束が緩んだ。

 今だ。

 僕はすかさず体をひねり、拘束から抜け出す。


「鍵屋!」


 リアーナは、ユランを追うべきか、アーウィンを追うべきか一瞬の迷いが生じた。

 僕は迷わず、断崖に向けて走る。背中からリアーナの足音が迫るが、心は落ち着いていた。もうこれしか道はないと決心すると、頭の中もクリアーになる。

 断崖が迫る。僕はさらに速度を上げて行く。そのまま断崖を駆け抜けると、地面はなくなり、僕の体は落下し始めた。ふわりと一瞬重力が無くなるのを感じ、そのまま一気に下へと向かう。浅瀬なら終わり、激流に飲まれても終わり。賭けの倍率はかなり低い勝負に出た。勝てる確率が低くとも、今はそこに賭けるしかない。

 大きな水飛沫を上げ、水面を叩く。

 

 断崖を覗き込むリアーナが水面を睨む。

 この高さで生きているもの? 

 激しく舞い上がった水飛沫と、水流を見つめ逡巡する。こんな無茶苦茶な事をするやつとは思わなかったわ。水面をひとつ睨み、ユランの後を追うべく駆け出した。


「トルマジ!!!」


 リアーナは悔しさを噛み締めながら、森を疾走して行く。


「リアーナ! 水!!」


 緊迫するユランの声に馬に括りつけた水筒を乱暴にひったくった。ユランに抱きかかえられた半身を焼かれたトルマジの姿に顔を歪め、水をかけて冷やす。取り出した回復薬を口に突っ込み応急処置を施していく。怒りと悔しさでリアーナの顔は歪む、今まで見せなかったほどの怒りの表情に、ユランも同調した。


「ぅ⋯⋯」


 トルマジの呻きが小さくなると、リアーナはトルマジを抱き締めた。


「すぐに楽にしてやるから、心配いらないよ。誰にやられたの?!」

「⋯⋯カタ⋯⋯」


 リアーナとユランが驚愕の表情で顔を見合わせた。パーティー所属の人間が関わっていたという驚きと、裏切ったという怒り。


「すぐに戻るよ。向こうのやつらに聞きたい事が出来た」


 リアーナが鋭い眼光で言い放つと、トルマジの胸にナイフを突き立てた。あまりの驚きにユランは言葉を失う。目を剥いたまま固まるトルマジの瞼をリアーナはゆっくりと閉じて行く。


「リアーナ⋯⋯あんた何て事を⋯⋯」

「どの道苦しむだけでしょう。だから楽にしてあげたのよ。カタって衛兵上がりだったっけ? 辻褄がいろいろあってきたわ。トルマジのおかげね」

「おかげねって、あんた⋯⋯何て事を⋯⋯トルマジ⋯⋯」


 ユランは、胸から血を滲ませるトルマジをきつく抱き大粒の涙を零す。


「ほら、ユラン行くわよ。ジョン達に聞かないとならないんだから。折角のトルマジの情報が無駄になるわよ」

「あんた! 人としての情がないの! トルマジが⋯⋯トルマジを⋯⋯」

「ないよ。だって、人じゃなくて勇者だもの」


 その毅然と言い放つ姿にユランは何も言えず、うなだれる事しか出来なかった。


◇◇◇◇


 小さな家がいくつも点在していた。牧歌的な空気が、よりのんびりとした空気感を後押しする。小ぶりな家だが、どれも綺麗に装飾が施されていた。派手さはないが、彩り豊かな装飾は見ているだけで心が躍る。

 街を歩く人々は誰も笑顔で、紫掛かった顔色を覗けば男性は端正な顔立ち、女性は美しい顔立ちの人ばかりだった。コウタもマインも初めての光景に珍しそうに街並みを眺めている。


「綺麗な人とか、かっこいい人ばかりだね」

「表情も皆、柔らかいな」


 コウタとマイン、ふたりとも【魔族】という言葉の響きとは正反対の雰囲気に新鮮な驚きを感じていた。マインは、建物や服装などをつぶさに見つめる。


「我々より、文化レベルが高くないか? 技術レベルが我々の上を行っているように感じるぞ」

「言われてみると、マインの言う通りかも。でも、実際そうなんじゃない? ねえ、カルガ、どうなの?」

「んなもん、見りゃぁ分かんだろ」

「だってさ。マイン」

「なるほど。興味深いな」


 足早に進むカルガの後ろを、ゆっくりと見て回るふたりが小走りでついて行く。もうひとつ気になったのが、見かけない他人種が歩いているのを全く気にしていない事だった。何だったら小さな子供達は、にこやかに挨拶をしてくるくらいだ。全てにおいておおらかな人達。ほっと心を洗われる。


「いい所だね」


 コウタが心の底から感想を漏らした。


「着いたぞ。じいさん!」


 薄いブルーの壁が美しい小さな家の扉を叩く。綺麗な小さな石が埋め込まれた扉が、陽光を浴びてキラキラと光っていた。小窓から緑色の瞳が覗くと、すぐに扉が開き破顔する老人が現れた。老人とはいえ、シュっとした佇まい。じいさんと呼ばれるには似つかわしくない、彫りの深い端正な顔立ちを見せた。皺の多さが年相応を現しているが、カルガの粗雑に扱う感じとは遠い雰囲気を感じる。


「お前さん、久しぶりじゃないか!? 元気になったのなら、さっさと顔を見せに来なさい」

「いろいろ、忙しくてな。今日も余計な物がついて来ている」

「こんにちは。余計な物のコウタです」

「お初にお目にかかります。マイン・リカラーズと申します」


 ふたりが笑顔で挨拶すると、老人も笑顔を返す。


「こいつはご丁寧に。ワシはユクス・ストーラグルと申します。初めまして、何もない所ですが、ゆっくりしていって下さいな」


 そう言って、軽く頭を下げてみせた。

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