第20話 雨の音

 少年は怒りを露わにする。邪魔をした鍵師にその鉾先を変えた。ぴくりとも動かないアーウィンにその黒い腕を再び振り下ろす。ミヒャは痛みを押し、ナイフを握り飛び込んで行く。金属同士が激しくぶつかる高い金属音が、ミヒャのナイフと少年の黒い腕から鳴った。


「邪魔くせえヤツだ」


 ミヒャを睨み、態勢を整える。アーウィンを襲う少年の姿を茫然と眺めているカルガにミヒャが吠えた。


「何をしている! 構えろ!」


 ミヒャの声は届いていない。カルガの心と体は完全に停止している。剣を握る手はだらりと下がり、その剣先は地面に向いたままだった。

 アサトは、倒れて動かないアーウィンとフリーズ状態のカルガを舐めるように見つめている。

 手負いのミヒャがふたりを背負い、アサトと対峙する。再びじりじりと互いの間合いを詰めて行った。圧倒的に不利な状態に逆転の手札を模索する。ミヒャのルビー色の瞳が、焦りの色を濃くしていくと少年の表情は不敵な笑みを見せていった。


「まずは、お前だ」


 その黒い腕を振り下ろすのは、手負いの勇者。ミヒャは目を剥き、その腕を弾き飛ばす。少年は笑顔を深め、上へと跳ねた。


「ハッハァー! 【硬化フェルムフォルマ】」


 腕から黒が消える、ミヒャの顔に向けて放つ右脚。ミヒャは咄嗟に左の肩口でその蹴りを受ける。バギッと骨の砕ける音が体の中を巡った。眉間に皺を寄せ苦しい表情を見せる。

 ただの蹴りじゃない。

 ミヒャは闇雲にナイフを振り上げるが、その軌道は嘲笑うかのように空を切って行く。


「甘いなぁ。弱えヤツらは切り捨てればいいんだ。そんなんだから、そんなにボロボロになるんだぜ」


 ぼんやりと浮かぶミヒャの背中。僕の視界はゆっくりとピントがあっていく。左腕をだらりと下げ、脇腹を血で染める姿に僕は意識を叩き起こす。弱い自分がこんなに悔しいとは。誰も守れず、いつも守って貰ってばかり。背中越しでもミヒャが苦しんでいるのが分かる。肩で息をしているその姿。何か出来ないのか。視界の片隅に映るカルガは、心も体も固まっていた。何が彼をそうさせる? 今はそれどころじゃない、アサトを止めないと。僕は倒れた体をゆっくりと起こして行く。ギシギシと体中から痛みが走る。大丈夫、彼女の方が辛い。おとりくらいにはなれるはず、今だけでもいい、勇気を絞り出せ。

 じりじりとタイミングを計り合うふたり。僕は意を決した。


「アサトー!」


 足元に向かって、飛び込んで行く。面倒くさそうに右脚を出した。まるでまとわりつく虫でも払うかのように右脚でアーウィンを払う。

 思っている以上に僕は冷静だった、その右足は分かっていた。一瞬立ち止まり、右脚が空を切った瞬間、左足へ飛び込む。ただ、分からなかったのはカルガの動きだった。少年の細い左足へと飛び込む僕を足蹴にした。床を無様に転がる。見上げた少年の口元は、醜く歪んでいた。

 空を切った右脚が、今度はカルガを襲う。振り上げたその踵をカルガに振り下ろす。

 カルガは微動だにせず、その右脚を待ち構えた。ミヒャが体ごと飛び込み、右脚の軌道を変える。その足先が、カルガの無気力な瞳の前を横切って行った。


「てめえ!」


 アサトはミヒャに怒りを向ける。ズルズルと緩慢な動きを見せるミヒャに再び飛び込もうとした。僕は無我夢中で、少年の足を掴みに行く。かっこいい姿とはほど遠い、間抜けな姿を晒しているに違いない。僕は必死に右の足首を掴みに飛び込んだ。

 蹴りの動きが鈍った。ミヒャはその瞬間、少年にナイフを向ける。

 キンと甲高い音。

 カルガの剣先が、ミヒャの刃を弾く。


「カルガ!」


 僕は余りにももどかしくて、その名を叫ばずにはいられなかった。

 その瞬間、子供の力とは思えぬ力で振り払われ、また棚に体を投げ打った。


「いつっ!」


 背中にまた激しい痛みが走る。


「終わりだ」


 淡々と語る少年の声と共に、ミヒャに向けられる右脚の軌道。傷だらけのミヒャは反応がひとつ遅れる。反応の遅れたミヒャの顔面を、アサトの右脚が捉える。


 ガラン!

 

 三度みたび鳴る、激しい鐘の音と共に乱暴に開いた扉から、少年に飛び込む影。その速さは目で追えるものではなかった。


「チッ!」


 舌打ちと共にアサトは床へうつ伏せた。コウタは少年に覆いかぶさる。カルガは目を剥き、剣先をコウタに向けた。

 ガツっと金属の擦れる音。ジョンの盾がカルガの剣を弾く。


「状況は?」

「子供がアサト。男は鍵師の仲間」


 ミヒャの言葉にジョンはすぐに反応を見せる。我を失っているようにしか見えないカルガに眉をひそめる。


「この男、本当に鍵師の仲間なのか? 様子がおかしくないか?」

「その人は恩人です。殺さないで下さい!」


 アーウィンの叫びに、ジョンはひとつ頷く。


「こっちは、やっちゃっていいの?」


 コウタは馬乗りになりながら、アサトを睨みつける。


「コウタ、ダメだ。今はラムザの勇者だ。殺すとこじれてしまう」

「ええ?! どういう事?」


 困惑した瞬間に出来た一瞬の緩みを見逃さない。アサトは体を半身にすると出来た隙間から体を抜いて行く。コウタの足元からスルリと抜け出すと店の外へと飛び出して行った。


「追うよ!」

「いい。深追いしなくていい。【生命感知ヴィーテセンソ】でヤツの居場所は追える。ヤツの対処は一回ちゃんと考えなくてはならない。隣国の勇者だ、どう対処するか考えよう」


 ミヒャは肩で息をしながら、コウタを制した。今まで以上に厄介な存在として戻ってきたアサトに頭を悩める。


「こっちはどうする?」


 カルガと睨み合うジョンが視線を逸らさず問いかけた。


「カルガ。さっきの少年はアサトなんだよ」

「うるせえ⋯⋯、勇者なんざぁ、消えればいい」

「どうして⋯⋯カルガ、もうやめよう。無意味だ」

「ああ? 無意味だ? ふざけるな、無意味じゃねえ。意味はあるんだよ」


 カルガもジョンから視線を逸らさず言い放つ。誰彼構わず襲う人間とは思えない、僕は困惑しかなかった。勇者達は僕達ふたりのやりとりを黙って見つめる。

 コウタがジョンに目配せすると、僕の視界からコウタが消える。気が付くとコウタは、カルガの後ろに立っていた。


「ちょっと、ごめん」


 そう言って、延髄へ軽く手刀を当てるとカルガは膝から崩れ落ちる。

 少しホッとした。もっと乱暴に扱われると正直思っていた。しかし、なぜ勇者が⋯⋯?


「あ! 居場所が分かるってやつか」

「ん? どうした? 何が?」


 思わず口から零れた言葉に、ジョンが顔を向けた。


「あ⋯⋯、いや、その、ありがとうございました。助けて頂き、ありがとうございます」


 僕は頭を下げた。彼らが来てくれなければ、僕は死んでいた。それだけは間違いない。


「礼は、ミヒャに言いな。アサトの気配に気が付いて、いち早くここに向かったんだ。迷っていたら間に合わなかったかもな」


 ジョンの言葉に僕は改めて、ミヒャに向き直した。ルビー色の瞳を見つめ、深々と頭を下げる。


「ミヒャさん。本当にありがとうございます。怪我までさせてしまって、申し訳ありませんでした。僕が弱いばかりに⋯⋯ご迷惑を⋯⋯くっ」


 ボロボロのミヒャの姿に、涙が自然と零れてしまう。自分のせいで大きな傷を負わせてしまった。申し訳ない気持ちと、安堵と悔しさと、困惑が入り交じり感情がぐちゃぐちゃに撹拌されていく。カルガもなぜあんな行動を繰り返すのか。俯く僕の肩に軽く手が置かれた。


「⋯⋯あなたが無事で良かった。私は大丈夫。それにあなたは弱くない」


 慰められて惨めになるかと思ったが、顔を上げると真っ直ぐ見つめる赤い瞳。その瞳は嘘を言っているように感じなかった。素直にその言葉を受け取り、僕は大きく頷いて見せた。


「それじゃあ、鍵師。ちょっと付き合って貰うぞ」


 やはり、重要参考人として連行か。助けて貰ったし、仕方ないか。


「分かりました」


 僕はそう言って両腕を差し出した。その姿にジョンは噴き出す。


「ハハハ、そう構えるなって。別にお前さん達を捕まえに来た訳じゃないさ」

「そうなのですか⋯⋯?」

「そう。ただ、話を聞かせて欲しい。ふたりのね。ただ、こちらさんは、話してくれるかね」


 苦笑いしながら、カルガを覗き見た。


「僕達は捕まらない? のですか?」

「それは、分からない。他の勇者は躍起になって、襲撃者を追っている。ここに辿り着くのは時間の問題だ」

「同じ立場でいらっしゃるのに、いいのですか捕まえなくて?」

「そんなに捕まりたいのか?」

「いえ、そんな事はないですが⋯⋯」


 僕は慌てて、首を横に振った。勇者の中で意見が割れている? って事。僕達の処遇はどうなるんだ?


「まぁ、ここにいるのは芳しくない。オレ達のアジトに行こう。そこなら安全だ」


 僕は黙って頷き、扉の掛札をクローズへと引っ繰り返す。派手な立ち回りを見せたが、雨の音にだいぶ吸い込まれたようだった。鍵屋を覗く者はいない、ひっそりと佇む街路を覗いて僕達は店をあとにした。

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