聖女の穢れ
第9話 雨音が運ぶ憂鬱
村人はすがった。傷を癒し、病を治すその存在に。
微笑みを絶え間なく湛え、その手は絶え間なく白く輝き続ける。切れ長の瞳は患者を真っ直ぐに見据え、取り留めのない話に耳を傾け続けた。
教会の片隅に作られた簡素な治療院に老若男女が、苦しみからの解放を望んだ。
白い壁に簡素なテーブルとベッド。過度な調度品は一切なく、必要最低限なシンプルな診察室。
「すいません! この子を! この子を!」
母親が力なくうな垂れる子供を抱え、治療院に飛び込んで来た。栗毛が印象的なかわいいらしい男の子が頭から血を垂らし、意識がない。頭をどこかに激しく打ち付けた事は、一目瞭然だった。
純白の法衣を纏う聖女マリアンヌ・バッランは、その親子に微笑みかけると、黙ってベッドを指差す。
「ユアン、手伝ってあげて」
「かしこまりました。さぁ、こちらへ」
ユアンと呼ばれた美しい顔立ちの
ユアンは母親から男の子を受け取り、優しくベッドに寝かしつけた。
「木の上から落ちて、危ないって言っていたのに⋯⋯」
マリアンヌは動揺する母親の肩にそっと手を置いた。母親はその手の温もりに落ち着きを見せる。
「大丈夫ですよ。この子の名前は?」
「ジョゼフです」
「そう。ジョゼフ、もう大丈夫よ」
マリアンヌはベッドに横たわるジョゼフを優しく愛でた。その切れ長の瞳が異様な輝きを見せ、高鳴る鼓動は抑え切れてない。周りの人間に悟られまいと冷静さを装いながらベッドの側に立っていた。その口元は醜く歪んでいたが、気が付く者はいまい。
「《キュアオーブ》」
詠唱と共に発する白光がジョゼフの傷を癒していく。見る見る癒えて行く傷に母親は安堵の涙を流した。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
「また、近いうちにいらして、この子ひとりでも構いませんから。もう少し様子を診させて頂ける」
「わかりました。ありがとうございます」
母親は何度となく頭を下げ、目の覚めたジョゼフと共に治療院をあとにした。微笑みを浮かべるマリアンヌはまた治療へと戻って行く。
一連の動きをつぶさに観察していたのは、患者として何食わぬ顔で潜り込んでいたカルガ。自分の耳にしていた情報と自分の目にした光景を擦り合わせて行く。
あの歪んだ口元⋯⋯。
胸くそ悪いぜ。
カルガは険しい表情で、静かに治療院から消えて行った。
◇◇◇◇
王都クランスは今日も変わらない。鬱陶しい雨が続いているくらいだ。
「アーウィン! おはよう! しかし、良く降るね。洗濯物が乾かなくてイヤになっちゃうよ」
「ニアンさん、おはよう。本当に良く降るね。外へ出る気にならないよ」
「そうなんだよ! 出歩く人が少ないから商売あがったりだよ」
「本当にね」
恰幅のいい体に元気な声を響かせる。僕も少しばかりその声に元気を貰った。あれからひと月以上経ったが、これと言って何も起こってはいない。カルガの動向が気にはなるが、知る術を持っていないのだから仕方がない。つつがない日常を謳歌する。変わった事といえば、何もない平穏な日常がこんなにも愛おしいという事だ。
アーウィンの鼻歌は雨音に混じる。憂鬱な天気も平穏な一日を送れるのなら、なんて事はない。ただ、今日は少し趣きが違った。僕の平穏はスルリと手の平から零れ落ちていく。
街で静かに噂になっている事がある、モンスターが絶滅したのではないかと。その話の元になっているのは、パレードが行われていない事だった。アサトがいなくなった事を隠したいのだろうが、頻繁に行われていたパレードがなくなった事で、まことしやかにこの噂が街を巡って行く。いつまでどうやって隠すのだろう? そんな疑問が頭をもたげたがすぐに頭から消し去った。関係ない、考えるのは止めよう。
「ミヒャ、この間鍵屋にはあっているんだよな? ごついヤツか?」
「⋯⋯いや。気の弱い優しそうな人間だ。だが、条件に一番近い」
「近しい
ジョンは顎に手を置き、ぶつぶつと独り言を呟く。気乗りのしない仕事に足取りは一向に軽くならなかった。
「⋯⋯ジョン、着いたぞ」
「小さな鍵屋⋯⋯か。邪魔するよ」
ジョンとミヒャは扉をくぐる。
「いらっしゃいませ⋯⋯あれ? この間勇者様と一緒だった⋯⋯」
赤い鎧を身に纏う細身の男性と先日ユウと一緒に訪れた顔を隠す⋯⋯女性? あれ? 結局どっちだったっけ? 男だったっけ? 一瞬、困惑をしていると細身の男が片手を軽く上げて挨拶をして来た。
「オレはジョン、こっちはミヒャ。巷で勇者って言われている。どうでもいいがね。単刀直入に聞くよ。ある晩、あなたが馬車で外に出て行くのを目撃した者がいる。それについて少し話を聞きたいんだ、いいか?」
「はぁ⋯⋯、構いませんが、いつの話ですか?」
やはり来た。
ドクンとひとつ心臓がイヤな高鳴りを見せた。悟られぬよう顔は平然を装う。ミヒャの視線が一瞬、射抜いたように感じる。鋭い眼差しがこちらに向いた気がした。
思ったより遅かった。以前来た時に聞かれるものだとばかり思っていたのだが、前回はまだ、ここまでたどり着いていなかっただけなのか。
「ひと月くらい前の話だ。冒険者風の男と樽を運んでいた、樽の中身は何だ?」
僕はこめかみを指でトントンと叩き、いかにも思い出し中のポーズを取った。もちろん、カルガとは口裏を合わす手はずは取っている。この時の為に何度頭でシミュレーションをした事か。
「ああ! 運びましたよ。カルガと二人で。仔山羊を眠らせて東の村まで運びに行くのに付き合いました」
「東の村とは?」
「アルイ村だと言っていました。正直、後ろで寝ていただけなので、あまり覚えていないのですけど」
「覚えていない? 村に行ったかどうかは、覚えているんじゃないのか?」
ジョンがピクリと眉をひとつ動かす。その姿を見てマズイ事言ったかなと、一瞬頭を過ったが、嘘言うよりはいいはずだ。中途半端な嘘はバレる。僕は薄く笑みを湛えたまま、ふたりを見つめ続けた。
「仕事上がりでクタクタだったもので、付き合いたくなかったのですが、仕方なく。暗い道をずっと走っていた記憶が断片的にあるだけで⋯⋯すいません」
「謝る必要はないよ」
ジョンはアーウィンに苦笑いを返した。勇者達は少し逡巡する素振りを見せる。僕は黙ってその姿を見つめていた。追い返すわけでもなく淡々と見つめる。我ながらこんなに落ち着いて話せると思わなかった。
何かがあの日から変わったとでもいうのか。
「⋯⋯カルガとは何者だ」
初めてミヒャが直接問いかけてきた。
友人?
いや違うな。
自然と笑みが零れた。僕は吸い込まれそうな赤い瞳を見つめ答えを言う。
「恩人です。僕を救ってくれた恩人です」
「⋯⋯どこにいる?」
「知りません。根無し草なので、今日もどこかをフラフラしているはずです」
「それじゃあ、アーウィン。あんたはカルガの居所を知らないのか? 仕事上がりに手伝うくらいなのに?」
「はい。恩人であって友人ではありませんから。⋯⋯それで、これが何か?」
僕は小首を傾げて見せる。アサトの死は公言出来ない、怪しいと強く感じるならば捕まえるはずだ。このふたりにそこまでの確証はないと見ていい。
「あ、いや。帰ってきたのはいつ?」
「その日の夜遅くですね。鐘の音を聞いていないので詳しい時間はわかりませんが」
「時計は見なかったのか?」
「その日は街の入口辺りで別れて、真っ直ぐ帰って、直ぐに寝床へ潜りました」
ジョンとミヒャはアーウィンの言葉に黙り込む。怪しまれているのには間違いない。どこまで勇者達は掴んでいるのだろう。僕は黙り込むふたりを見つめながら、頭をフル回転させて行く。前回は足取りを追っていた、今回は荷運びが怪しいと訪れた。つまり、アサトが自発的にあそこに行ったわけではなく、第三者が運んだと考えている。
そう考えると一番怪しいのは僕達かも知れない。昼間アサトが訪れて、夜に街の外へと出ている。
心臓がイヤな高鳴りをまた見せる。僕は出来るだけ表情を変えずふたりの出方を待った。
僕達は殺してはいない。ここに嘘はない。
そう考えると、自然と落ち着きが生まれた。
ジョンは、ニコリと笑みを浮かべ手を軽く上げた。
「すまんね。邪魔した、ミヒャ行こう」
「いえいえ。御覧の通り今日はヒマですから」
ふたりは雨の街へと消えて行く。僕は大きく息を吐きだし、先を
「さて、仕事、仕事」
誰に言うでもなく言葉を零し、僕は仕事へと戻った。
雨音が僕の憂鬱を後押しして行く。
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