遺書 六

 妻がスマホを触る頻度が多くなってきた。

 もちろん、家事などのやることはきちんとやった上でのことであり、料金なども気にはならないのだが、彼女がスマホで何をしているかは気になった。

 私がじっと見ていると、それとなくスマホを隠すものだから。

 大学を卒業して以来友人とは疎遠になり、働き始めてからは人と深い仲になることもなかった彼女。私と結婚して専業主婦になってくれた彼女が外に出る機会と言えば、買い物か、私と出掛けるか、近所の図書館に行くくらい。

 その図書館で、あるいは買い物に行った時に、連絡を取り合うほどに親しくなった人間でもいたのか。

 ……恥ずかしながら、私は妻の浮気を疑っていた。

 ちょうど結婚生活も三年目を迎えた上に、彼女は私自身を好きになって結婚したわけではないから。

 そんなことを考えてしまうと、例の話はもちろん、仕事の方にも徐々に支障が出てしまう。

 たとえ、彼女が笑みを私に向けなくなったとしても、私の妻への愛は変わらない。死ぬまで傍にいてほしいと思っているし、叶うなら、素敵な笑みをまた私に向けてほしいとも思っている。

 このままではいけない。……そんなことを考えていた、とある夜。

 妻が風呂に入っている間、彼女の部屋の傍を通ったら、ドアが少しだけ開いていた。

「……」

 ほとんど無意識にその隙間に手を掛け──ベッドの上にスマホが投げ出されていたのが目に入った。

「……っ」

 いけないことだ。

 いけないことだと、分かっているが、

 ──気付いた時には、彼女のスマホを手にして、電源を入れていた。

 ロックは特に掛かっていなかった。

「……?」

 画面にびっしりと、文字が表示されていた。

 一瞬メールかと思ったが、「 」や──がいくつも使われており、何々が何とかと言った、なんて文章も書かれている。

 それは小説だった。

 スマホで小説を読めるのは知っていたし、本好きな彼女のこと、ネット小説を読んだりもするだろう。

 ただ、その小説は、

「……なんで」

 ただの小説ではなく、


「あら、見ちゃったの?」


 彼女が風呂から戻ってきた。

 柔らかなタオルで長い髪をくしゃくしゃに拭きながら来ると、そのままベッドに腰掛ける。

「……雪夜」

「暇さえあればスマホ、だものね。夫としては、妻の浮気を疑うものなのかしら?」

 私がスマホを勝手に覗いたことを、彼女は怒らない。

 いつも通りの、私に無関心な彼女。

「雪夜」

「そのままメールとかSNSとか、着信履歴を見てもいいわ。私、浮気なんてしてないもの」

「雪夜っ!」

 初めて、彼女に対して声を荒げてしまった。

「なあに?」

「……どういうことだ、これ」

 彼女に詰め寄って、スマホの画面を見せながら、言った。

「見ての通り、小説よ?」

 あなたの。

 あっけらかんと彼女は言う。

 画面の文章、地の文にある、何々が何とかと言った、の何々の部分には、自作の登場人物の名前がある。ただ名前が同じだけなら被っただけと思えるが、ざっと見た限り、話し方や見た目の特徴までも一緒なようだった。

「私はこんな物書いていない!」

「そうね、あなたが書いたやつじゃない。でも、あなたの小説を元にしてるわけだし、あなたのって言っても語弊はないんじゃない?」

「なっ……」

「二次創作って知ってる? 既存の作品に出てくるキャラを使って、自分の好きに話を作るやつ。そういうサイトがたくさんあるんだけど……のも、あるのよ」

 そして彼女は、私の前で久し振りに笑みを浮かべた。

 色気すら帯びた、恍惚の笑み。


「それね、あの人が生きてる設定で書かれているのよ?」


「……」

「その人だけじゃない。色んな人が、あの人が出てくる話を書いてるの。ねぇ、投稿頻度を見て。その人は三日に一度。他には四日や五日、一週間に一度って人もいれば、毎日投稿している人もいる。どれもこれもとっても面白いの」

「……」

「……ねぇ、旦那様」

 気付けば、持っていたスマホを床に落としていた。

 上目遣いに私を見てくる妻の顔が、ぼやけていく。

「私、三年も待ってるんだけど、いつになったら書いてくれるの?」

 来年には三十歳だわ、と彼女は溜め息を零す。

「……そう、だな」


 結婚三年目、


「そろそろ……書かないと……だな……」


 妻が浮気をした。


「ほんとっ? 嘘じゃないっ?」


 私が予想してたような、男女のそれではないけれど、


「……君の誕生日までには、間に合わせるよ」

「やった!」


 それは私にとって、立派な、


「絶対よ? 絶対、書いてちょうだいねっ!」

「……分かってるさ」


 浮気だった。

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