神父の見習い(4)
「あの少年、どうしたものかのう……」
昼下がりのサン・クストー教会学校の院長室で、院長と副院長が話し合っていた。
院長はいかにも人が良さそうな老人で、顎には長い白ヒゲを蓄えている。小柄だがちょっと太っているところに、何とも言えない愛嬌があった。副院長は院長とは逆に背が高く屈強そうな男で、実際の運営業務や体力仕事は、だいたい彼がこなしているという話であった。
「あの少年とは、ジャン・ムラコフのことですか?」
「ああ、そうじゃ。副院長、おぬしはあの少年のことをどう思う?」
「そうですね――」
少し間を置いた後、副院長はこのように答えた。
「彼で良いのではないですか? あの通り成績も優秀だし、振る舞いだって問題ない。無類の酒好きだという噂は聞きますが、まあ我々の教義ではアルコールの摂取を禁じてはいませんから、別にそれも構わないでしょう。わたくしは、あの少年が好きですよ。次回の神父の叙階の際には、やはり彼を推すべきだと思います」
「しかしのう……」
机の上で両手を組むと、院長は深いため息をこぼした。
「確かに、成績が優秀なのに越したことはない。じゃがのう、おぬしも十分にわかっていると思うが、神父は学者や研究者ではないのじゃ。おぬしは他人にまったく関心がない人間に、誰にも言えないような深刻な悩みを打ち明けようと思うか? 思わんじゃろう? 知識があるのは前提として、その上で人間的に慕われるような存在でなければ、神父になることはできんのじゃ……」
「それはまあ、その通りですね」
副院長が相槌を打つと、院長はさらにこう続けた。
「振る舞いについても、同様じゃ。あの少年は特に目立った問題こそ起こさんものの、しかし人付き合いをあまり大切にしているようには見えんじゃろう? 今はまあそれでもいいが、しかし上に立った時は違う。自分のことしか考えない人間に、人を導くことはできん。それでは人はついて来んのじゃよ。今神父の地位を与えたら、あの少年は現状に満足して、この先長い間そのことに気付かんじゃろう。うまく説明できんが、もっとこう、与えることのできる人間でなければ、立派な神父になることはできんのじゃ……」
「それでは、今回はあの少年の推薦を見送るのですか?」
「そこなんじゃが――」
その時ちょうど院長室の頑丈な扉をノックする音が聞こえたので、院長と副院長の会話はそこでいったん中断された。
「ジャン・ムラコフです。掲示板の呼び出しを見て参りました」
「うむ、入れ」
院長室の重たい扉を開くと、ムラコフは二人の老人の前へ進み出てひざまずいた。
院長や副院長の前に限ったことではなく、目上の人間の前ではそのようにするのが、この世界のしきたりである。
「ああ、楽に」
「はい」
院長の声を聞いたムラコフは、うやうやしく立ち上がった。
ひざまずいた体勢で話を聞くよりは、この方が膝にかかる負担が少ない。
「突然呼び出して済まんな。まずは、試験ご苦労じゃった。そなたくらい優秀であれば、我がサン・クストー教会学校から、史上最年少の神父を出せるかもしれんな」
「身に余るお言葉です」
史上最年少の神父――。
目下、ムラコフが目指しているものがそれである。
教会のヒエラルキーは厳格で、一般信徒、助祭、司祭(神父)、司教、そしてその頂点に教皇が君臨する。ただの見習いである教会学校の一生徒から助祭以上の聖職者になるためには、やはりそれなりの努力が必要である。そのために、こうして今頑張っているのだ。
院長の口から神父という言葉が出たので、ムラコフはいよいよ自分が目にとまったのかと心の中で期待したが、それは単に挨拶のようなものだったらしい。
院長は、突然このように話題を変えた。
「ときにそなた、体力には自信があるかな?」
「? はい、人並み程度には」
いきなりまったく関係のない話が飛び出したので、正直ムラコフは面食らったが、どうにか普通に返事をした。ここで「は?」などと聞き返しては、神父志望者失格である。
ムラコフの答えを聞くと、院長は満足そうに頷いた。
「よろしい。それでは、星には詳しいか?」
「名前と位置くらいなら――……」
ムラコフは答えようとしたが、院長の質問があまりにも突拍子のない内容だったので、途中で言葉に詰まってしまった。
体力について聞かれたことは、力仕事でも手伝わされるのだろうと推測ができる。しかし星に詳しいかどうかなんて、質問される理由がまったくもってわからない。
「方角がわかる程度でよいのじゃ。どうかな?」
「それは、問題ありませんが……」
ムラコフの狐につままれたような表情を見ると、院長は楽しそうに声を出して笑った。
「ほっほっほ。いや、なに。その辺はプロに任せるとはいえ、しかし自分でもわかった方が、やはり安心できるじゃろう?」
「横から申し訳ありません、院長。いったい、何のことをおっしゃっているのですか? わたくしには、話がまったく見えないのですが」
頭上にハテナマークを浮かべているムラコフに代わって、副院長が疑問を口にした。
「うむ。もったいぶるのは、そろそろやめにするかのう」
そう言いながらも院長は言葉をためて、二人の視線が否応なしに集まったところで、ようやく自分の考えを発表した。
「実はのう、近々我が国から新大陸へ派遣される宣教師の付き人に、そなたを任命しようと思うのじゃ。付き人というか、まあ要は雑用係じゃがな」
「?」
院長の話があまりにも唐突な内容だったので、言葉の意味を理解するまでに、しばらく時間を要してしまった。
「なっ、何をおっしゃっているのですか!?」
ムラコフよりも先にこう叫んだのは、副院長の声。
相当驚いているらしく、かなり声がうわずっている。
「わたくしは、そんなこと存じません! そのようなことは、たった今初めて聞きました!」
「当然じゃ。たった今、初めて口にしたんじゃからな」
「正気ですか、院長! いくら造船技術の発達で一昔前より航海が格段に安全になったとはいえ、新大陸へ赴くとなれば、当然命の保障などできません。見習いなどの出る幕では――」
「面と向かって院長相手に正気かどうか尋ねるとは、おぬしも相当勇気のある奴じゃのう」
「いえ、決してそのような意味では!」
慌てふためく副院長を無視して、院長はムラコフに笑顔を向けた。
「どうじゃ? またとない機会じゃろう? 堅苦しい教会学校からしばらくの間外に出て、よくよく学んでくるがよい。しかしまあ、副院長が言う通り、危険なことも事実じゃな。故に、強制はせぬ」
院長は人差し指を立てて、このように提案した。
「返事を聞くまでに少し時間を与えるから、その間にじっくり考えるがよい。答えは……そうじゃな、復活祭の時にでも聞こうかのう」
「いえ、時間なら必要ありません。この度の任命――」
ムラコフはその場にひざまずき、胸の前で十字を切った。
「ジャン・ムラコフ、謹んでお受け致します」
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