第77話 真の愛に覚醒せし聖女


 大昔、この国はとても貧しかった。

 否が応にも魔物との生存戦争をしなければならず、安定した食料の大量生産など夢のまた夢で……故に国は国民全ての飢えを満たすことが出来ずに、いつしか奴隷という差別制度を欲するようになった。


 奴隷であれば飢えさせても良い、奴隷であればどんなにきつく汚く危険な仕事をさせても良い。


 それは国民の一部をそう扱うことで国全体を……人という種全体を守ろうという苦渋の決断であったのだ。


 そして国は宗教に、奴隷制を作って良いとの、その人々を奴隷として扱って良いとの宗教的な認可と後押しを求めた。


 宗教が許すからそうするのだ、教義でそうせよと教えられたからそうするのだ。

 ……我らが信奉する神がそうお望みになられたからそうしたのだと、そんな言い訳をするために。


 それを受けて宗教は、獣に近く神から遠い姿をした獣人は劣等種であると、奴隷になるために生まれた種であるとの教義を定めて……そうして人々は獣人を奴隷として扱い、差別するようになっていった。


 ……だがそれはあくまでも貧しさが理由であり、国民全ての腹を満たせる食料が無いからこそしたことであり……銃が登場し、生存競争に一段落が付き、科学が発展して食料の安定供給がなされるようになると、そうする必要性は無くなっていった。


 十分に食料があり、奴隷達にも十分な食料と衣服が行き渡り、獣人が人らしく……人間らしく生きるようになると、人々は獣人に対する差別行為を嫌悪するようになった。


 奴隷解放運動が始まり、法改正が始まって……人々は奴隷制を捨て去り、差別は良くないことなのだと、そういう教育を子供達に施すようになっていった。


 それから二世代、三世代を時が進み……人々が奴隷制を過去のものとして捉えるようになっても、それでも宗教だけは、神殿の神官達は考えを改めることなく、獣人を差別し続けた。


 獣人は神が奴隷にするために生み出した種である。

 ゆえに獣人を奴隷にすることは当たり前のことで、差別もまた神が望まれたことである。


 それを間違いとして認めることは彼らにとっては神の存在否定に近い行為であり……彼らはどうしてもその道を選ぶことが出来なかったのだ。


 ただでさえ科学が発展し、人々の心が歯車と機関と銃を頼りにしてしまっているというのに、そんなことをしてしまっては信仰が一気に失われてしまう、自分達の居場所が無くなってしまう、自分達の食い扶持が無くなってしまう。


 そんなこと出来ようはずがない、しかしそうしなければ宗教に未来は無い。


 一種の自縄自縛に陥っていると、そう理解しながらも……それでも神官達は獣人差別を捨てることが出来ずに、今に至る。


 


 そんな神官達の一人であるその少女は、常々そのことに思い悩み、神殿内での問答を飽くこと無く繰り返していた。


 どうしたら宗教が置かれた状況が改善するのか、今の時代に馴染めるのか、前に進めるのか。


 その答えは宗教にこそあるはずだと、他の神官達と言葉を交わし、議論を交わし……そうしていれば神が新たな道を、自分達を導く言葉を授けてくれるはずだと、そう信じて。


 見目麗しく、声も美しく、頭も良く所作も洗練されている少女の言葉と信仰心には特別な力があり……神殿内の人々はいつしか彼女を聖女と呼ぶようになっていた。


 鬱屈とした、未来の見えない神殿の中にあって、新鮮な視点、言葉でもって、未来への道を切り拓いてくれるだろう神に愛された聖女だ……と。


 そんな聖女はあの時あのデッキでラゴス達にフレアガンを向けた、信心深いと言えば聞こえの良い……古臭い考えに固執する男達を糾弾していた。


 そんなことを神が望まれるはずがない、この船に居る人々全てを犠牲にする気か、神が差し伸べてくれた救いの手を振り払い魔物の餌になる気なのかと。


 厳しい言葉で、凛とした態度で、真っ直ぐな正論でそうする聖女に、男達は歯噛みし、地団駄を踏み……そうしてついに男達はフレアガンのトリガーを引き、彼女を神に愛された聖女を、宗教の定める最も重い罰、火刑に処してしまう。


 聖女はまさかの事態に混乱し、恐怖し……その果てに火刑で死ぬのだけは嫌だと海に飛び込んでしまう。


 火から逃れようとしたのではない、死後に神の元に行けないのは嫌だと、その信仰心による行為だった。


 そして……深く重く冷たい海に沈みつつある彼女を救ってくれたのは……誰あろう神の御使いだったのだ。


 その全身はまるで獣のような姿で、獣人とすらいえない姿でこの世に生まれ落ち、苦境の中を生き抜いて、翼を手に入れるなり人々を救い導き、人々に愛を教える救世主。

 あっという間に勲章を手に入れ国に認められて、それでも慢心すること無く怠けることなく人々を救済し続ける彼こそが、神が遣わしてくれた『答え』そのものだった。


 獣人は奴隷という苦境を経て新たなる存在へと昇華しつつある。

 獣に近しい、神の御使いに相応しい、あの姿になるために神が与えた試練、それこそが奴隷制度だったのだ。


 全ては人類全てを救済する為の、平和な世を作り出す為の、神の深き愛あればこそ。


 そんな神からの言葉を受信してしまった聖女は、一皮むけたと言うべきか、汚泥の中から脱したと言うべきか、覚醒してしまったと言うべきか……今までのそれとは全く違う新た道を進むことを決意する。


 全てはあの人の為、神よりも愛おしいあの人の為に生きるのだ……と。


 そうして聖女は病院のベッドの上にて、その教えを……斬新過ぎる程に全く新しい教えを医者に対してこんこんと説くのだが、医者はただただ呆れ顔でため息を吐くことしか出来ないのだった。

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