第5話

 

 足の裏に花弁の露がついたまま、歩みを進めた。目的地だった部屋の襖を開けると、少し疲れた様子の女郎が煙管を吸っている。襖を開けた夕霧を横目でみやるとフウと煙を吐き出した。白く透明な煙は天井に登っていく。赤い口に寄せられる金属が眩しかった。


「夕霧、もう今夜は終わり?」

「……終わり。たぶん。東雲は?」

「終わり終わり!」


 3人も相手したんだ、やってられるか。とうなじをぼりぼりとかいた。すこし出ている窓に腰掛け、片足をあぐらのようにかいていた。端整な顔立ちからは想像もできないような男勝りな性格な東雲は、苛立っているのかすこし大きな音を立てて煙管の灰を捨てる。


 話し方や行動は少々乱暴だが、れっきとした女であり、楼の中で夕霧が唯一心を許している女郎であった。夕霧は、襖を閉め東雲のいる窓際に近づくと、畳に座り出窓に肘をつき頬杖をついた。


「せっかく綺麗な顔と声なんだから……」

「なぁに?もっと綺麗でいろって?」


 そうすれば、3人なんか相手にしない売れっ妓になれるのに、と聞こえるか聞こえないかな声で夕霧はつぶやく。東雲は、顔も良いが聴き惚れるほどの綺麗な声であった。その声で男を転がそうものなら、すぐ上に駆けあがれる可能性は大である。その瞬間、夕霧のおでこに軽い痛みが走り、パチンと小気味のいい音がした。


 右手で煙管を吸いながら、左の指で夕霧のおでこを弾いた。


「何すんだ」


 男とは思えぬ細い指を揃えて夕霧はおでこを抑える。東雲は、大きな口の端を釣り上げ、いたずらそうな目で夕霧を見下ろしていた。


「いーんだよ、そんな欲張らなくたって。」


 そういうと外を向きながら、ひとくち煙管を吸った。怒ってしまったのではないかという夕霧の一抹の不安は杞憂になり、すこし肩をなでおろした。


「でも……」

「でももへちまもねえよ。なんだ?そんな来た時から暗くなって……」


 そう言われると夕霧が、図星をつかれたと口をすこしとんがらせる。なにかを気付くと、東雲は怪しげに笑った。


「おまえ、またタヌキにやなこと言われたか」


 それか、あの姉貴たちか?とニンマリした顔のまま覗き込んでくる。とんがらせた口が、さらにムッと強くなる。


「分かりやすいな、夕霧は!」


 にんまりと笑った薄い唇を大きく開けて、豪快に笑った。それを横目で睨みみている夕霧は、まだ頬を膨らませいじけている。


「だって…」

「受け流せばいいんだよ。でも、おまえ頑固だからな」


 完全にブスっと拗ねてしまった夕霧の頬をつまむ。


「そうしてると、おまえの綺麗な顔も台無しだぞ」


 依然拗ねた顔のまま東雲を見上げる。東雲は窓から差し込む月光に照らされていた。微笑んだ顔のまま、顔のまま、ん?と顔を傾げる。


 きれいな唇から吐き出す煙も、月光によって照らされさらに登って行った。その煙は、赤い提灯に照らされている町から深い青色に優しい黄色が混ざった、なんとも言えぬほど綺麗な空にじんわりと溶けて行く。


 煙管の吸い口がキラリと光り、まるで空に輝いている星を借りてきたようだった。


 意味のわからない金持ちの商人も、


 それに踊らされるタヌキもキツネも


 嫉妬と嫌味に溺れてる姉貴分も


 あれだけ気に病んでいたのに


 夕霧はどうでもいいとさえ思った。





 ーーーこの人さえ、


 わかってくれたら


 ーーいてくれたら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る