金平糖の箱の中

由季

第1話

 町で大きな商いをしている喜八は、何年かぶりにこの街へと足を運んできた。その理由は喜八の隣にいる満面の笑みをした幼馴染、勘吉であった。大きな口の端は、常に上を向いていた。


「喜八は何年ぶりだ?やはり賑やかだなあこの街は!」

「いやぁ……俺の来ていた頃とはだいぶ違うよ」


 赤い提灯、建物から聞こえる宴会の賑やかな声を仰ぎ見て、困ったように白髪混じりの髪をかき、フウ、とため息を一つ吐いた。もう何年も来ていない遊郭の雰囲気に圧倒されながらも、勘吉の後ろを歩いてゆく。


 喜八は繁盛している店の旦那であった。当然着ている着物も派手ではないが質のいいものである。老けたと言うものの、もとから顔の整っている喜八には遊女の視線が集まる。なおさらいい着物を着ているので、繁盛している商人だということが分かったからであった。


「そういや、喜八はお気に入りがいたよな。朝霧だったか、その店行って見るか?」


 たしかこっちだったよな、と呟くと勘吉は歩き出した。おいおいと呼び止めると、不思議そうな顔をして勘吉が振り返る。


「なんだ?」

「もう何年前のこと。……もうここにはいないだろ」


 色々な病気が蔓延し命を落とすこの街で、再会は無理だと喜八は思った。勘吉は、そうか、とすこし気まずそうにくちをしめ2人の間にはすこしの沈黙が流れた。そんな2人に木の格子からするりと蔦のように白い腕が伸びて喜八の袖をつかんだ。

 ぐいと引っ張られると、格子に肩をつける形になる。随分と強引だと顔を見ると、勘吉は目を見開いた。


「旦那様たち、この街でしんみりなんて似合わないでしょう? ほら、お酒でも飲んで……」


 ね? としなやかに首かしげる。顔が小さく目が切れ長で、綺麗な女であった。2人の視線がその女に注がれると同時に、勘吉の目がギラリと光った。そう、勘吉の好みだったのである。


 喜八の袖をつかんでいた白く細い手を、岩のような男らしい手のひらで包んだ。


「是非! この店で遊んで行こうかな!」


 あまりにもギラギラした目に、あら嬉しい、と女はすこし苦笑いで答える。フンフンと鼻息の荒い勘吉を横目に喜八は、お前は楽しめ、とぼそりと呟き歩いていく。


 そもそも、勘吉に無理やり連れてこられた遊郭だ。女を買いたいと言う気持ちで来ておらず、この浮世離れした街を楽しもうと下駄を鳴らしながら徘徊していた。おしろいの匂いや花の匂いが立ち込める。その匂いにクラクラしながらも喜八は散策していた。


 きっと町の方は明かり一つなく静かだろうが、ここは眠らない街……いや、赤い提灯で寝ているのか起きているのかわからないような気分にさせる街である。


 喜八はこの感覚が懐かしく感じると共に、すこし切ない気分にもなった。昔は、よく来ていたものだったのにと腕を組んだ。

 そんな不思議な街を散策している途中、すこし高い声が喜八を呼び止めた。


「あれ、喜八の旦那様……喜八の旦那様じゃありませんか!」


 名を呼ばれ振り返った先には、まるで狐が化けたような風貌をした男がいた。喜八はその男の顔が見覚えがあった。


「ああ、朝霧の店の…」

「そう! そうです旦那様! よく覚えていて下さって……」


 懐かしいですね、旦那様の商売は良い噂しか聞きませんよ、だいぶこの街も変わったでしょう……、その尖った口からはペラペラと勘吉に負けず劣らずの言葉が溢れて来る。そんな中、喜八は苦笑いをしつつも話を聞いていた。


「元気で何よりそうだ……」


 狐男はハッとし、吊り上がった眉を気持ち下げた。


「すいません。朝霧はもういないんです。旦那様が来なくなったすぐ位に、もう……」


 喜八にとって覚悟していた、分かりきっていたことを言われたはずなのだが、少し胸が痛む。昔とはいえ、情を交わした仲である。昔の自分なら泣いていただろうが、時間がもたらす思い出の風化なのだろうか。身構えていたほど、心は傷つかなかった。


「そうか……いや、期待はしていなかったのだ。冥福を祈る」


 遅いだろうが、すまんと狐男に言った。


「いえ、そんな恐れ多い……それで旦那様、あって頂きたい子がいまして」


 この男も店の使いである。喜八のお気に入りを店に作れば、お金をたくさん落として行ってくれると思っているのは当たり前であった。


「いや、立ち話をしておいてすまんが、今日はそういうつもりで来たのではないのだ。」

「いや、旦那様。一目だけでいいです。」


 このやり取りが何回か続く。喜八の目が鋭くきつく見えるものの、本当は頼みごとを断れない性格なのを分かっている狐男はグイグイと押す。このやり取りが面倒になった喜八は、本当に一目だけだぞ、とため息をついた。狐男は、開いているのか開いていないのか分からないような目を見開いた。


「旦那様ならそう言ってくれると思いました!さあ、どうぞどうぞ!」


 狐男は、長い廊下をズンズンと歩いていく。その間にもなにかペラペラと喋っているがもう耳を傾けていない。華やかな着物、賑やかな笑い声、鳴り響く三味線の音。……からどんどん離れ、奥へ奥へ入って行く。


「おいおい、どこに連れていくつもりだ、こんな奥まで」

「さあさあ、はい! 着きました」


 では、ごゆっくり…と狐男は襖を開ける。


 その奥にいたのは、 顔が小さく、着物の袖から少し出ている指は細い。


 カラスのぬれ羽色といったような髪の毛と

 すこし童顔のような顔に、

 あかい紅が小さい唇に引いてある。


 見覚えのある、愛らしい顔



 朝霧だった

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