神様、テレワーク中!

御堂美咲

神の来訪

 どうしてこうなった。冬もいよいよ本番となる12月、雪の降る夜に、僕はジャージ姿の少女と一緒に炬燵でココアを飲んでいた。涙目で不機嫌そうにココアをすする彼女を見ながら、現状の把握に頭をフル回転させていた。時は20分ほど前に遡る。




僕は駆け出しの外科医である。医師になって3年目、研修医を終えたばかりの外科医1年生、26歳。女の子関係の話が芳しくないことを除けば悠々自適な生活を送っている。一人暮らしも3年目となれば板についてきて、特に不自由なく暮らしていた。




もっとも医療法面ではまだまだ経験の浅い外科医であるため右往左往しながら日々を送っていたが、そんな毎日も8ヶ月経てばさすがに慣れてきた。今日は冷え込むなあと思いながら、漫才コンビの日本一を決めるテレビ番組を見ていた時に、それはやってきた。




ドンドンドンドン!!!と玄関のドアが叩かれたのだ。僕はとても驚いて炬燵の中で飛び上がった。ここは18階建てマンションの5階、マンションのエントランスにはオートロックが施されており、そこで部屋番号を入力して部屋主に開錠してもらわないとマンションの中にすら入れない仕組みになっている。それなのに、何の前触れもなくいきなり部屋の入り口のドアがノックされたのだ。しかも、相当強く。




何事だろうか、びくびくしながら様子をうかがっていると、再度ドンドンドンドン!とドアが叩かれた。うちになにか用事があるのは明白であった、しかもかなり切羽詰まっている様子である。なんだろう、全く心当たりがない。




そもそもインターホンが鳴らない時点で異常事態である。僕は恐怖しながら重い腰を上げ、玄関のドアへ向かった。ドアの覗き穴から外を見ると、確かに誰か立っている。髪が膝くらいまであるだろうか、非常に長髪で、小柄だった。女性だろうか。時刻は夜8時を回ったところ。深夜だったら絶対に居留守を使うが、今は何かあってもぎりぎり何とかなりそうな時間なので、おそるおそるドアを開けることにした。




ドアを開けると、そこには長い髪をだらりとおろした少女が立っていた。一糸まとわぬ裸で。しかも泣きじゃくっていた。僕が度肝を抜かれ何も言えずにいると、少女が叫んだ。




「服を着せてください!!!!!!!!」




僕の人生はここで終わったか、と思った。幸いにも今まで大きな挫折をせずにここまで来た。高校受験、大学受験、医師国家試験とどれも1発でクリアし、世間では親孝行なよくできた息子で通ってきた。それがどうして、玄関先で裸の少女に衣服をせがまれているのか。




良く見積もっても警察沙汰だろう。なんて不幸な。明らかに事件性のある問題に巻き込まれてしまった。僕は今までの人生が走馬灯のように頭の中を駆け巡った後、結論として出た言葉が




「わかりました…」




であった。




このような状況で誰が僕を一切疑わず助けの手を差し伸べてくれるというのだろうか。僕はこの裸の少女にこれ以上騒がれるのを防ぐために、彼女の要求をひとまず飲むしかなかった。片付いてませんけど、とわけのわからない言葉を発しながら少女を家の中に招き入れ、大学時代に使っていたジャージを手渡し着させた。




いよいよ警察に連絡されてしまうのか。いよいよ牢獄での生活が始まってしまうのか。僕の運命は少女の手に握られていた。彼女の行動の如何によって、これからの人生が決まってしまう。そう考えパニックになった僕は、ひとまずべそをかいている彼女の機嫌をとるべく




「ココア、飲みますか」




ときいてみた。




少女はこくんと頷き炬燵に入った。僕はお湯を沸かし、インスタントのココアを作って彼女の前に置き、僕もその向かいに座ってココアを飲んだ。テレビではにぎやかに漫才が繰り広げられているが、僕の心は不安と恐怖でいっぱいであった。




 そして現在、2人は無言でココアを飲んでいた。無情にもテレビからは笑い声が漏れている。非常に気まずい状態であった。この少女はいったい何者なのか、どのような事情があって裸でうちの前に立っていたのか。誘拐犯から逃げてきたのかとか、何か犯罪にかかわっているに違いないと僕は思っていた。いつまでもぐすんぐすんと泣いている少女であったが、事情をきかないわけにもいくまい。僕はおずおずと語りかけた。




「あの…、どうされたんですか」




少女は涙目で僕をじっと見ているだけである。僕はもう1度問いかけた。




「ご家族に、連絡とか、したほうがいいんじゃ…」




少女はそれを聞くと、はぁぁと大きくため息をついて涙をぬぐい、そして言った。




「人間よ、わしは神じゃ。名をヴァルキュリアという。」




恐怖でいっぱいだった僕の心はいきなりイラつきに変わった。こちらが心配して聞いてやっているのになんだその冗談は。時と場合を考えて物を言ってほしいものである。




「いや、今そういうのは…」


「あっおまえ、信じておらぬな?」


「えっ、あ、はい」




少女はため息をつく。




「はぁ。人間よ、おまえの名は何という」


「名前ですか、中野です。中野秀明」


「ヒデアキか。よいかヒデアキ、常識で考えてみよ。冬の夜に裸で外に突っ立っとる少女が居ると思うか?」




いや、非常識に決まっているが現実として起こっているのだから僕は困惑しているのだ。




「いえ…」


「じゃろう?だからわしは、神なのじゃ。わかったか?」


「わかりません…」




さっきまでべそをかいていた少女とは思えぬ尊大な態度で、彼女は自分が神だと言う。その話も非常識だが、冬の夜に少女が裸で突っ立っているのと比べるとどっちもどっちな非常識度合いであった。




「なにがわからぬのじゃ、このわからずやめ!もしやおまえ、冬の夜に一般少女が裸で突っ立っとるほうが説得力あると、そう思うておるのか?」


「いや、まぁ、はい…」


「かー!近頃の人間は昔と違って本当に神を信じないのじゃな!わかった!よいかそこでアホ面さらして見ておれ!」




そういうと少女は立ち上がった。そして、フワッと浮き上がって見せたのだ。




「え、どうなってるの」




僕が驚いてみせると、少女は得意げに言った。




「どうじゃ、これでわかったか。わしは神じゃ、空中に舞うくらい造作もないわ」




フヨフヨと部屋の中を漂いながら少女は言った。どうやら手品の類ではなく、本当に宙に浮いているようだ。




「本当に神様なのか…?」


「ようやくわかったか、たわけめ。」


「でも神様なら、服くらい自分で何とかできたんじゃ?」




少女は、いや神ヴァルキュリアは、一瞬痛いところを突かれたという顔して、すぐにまた尊大な態度を取り戻して言った。




「おまえ、常識で考えてみよ。神はなにも全知全能ではないのじゃ。少し考えればわかることじゃろ」




余裕ぶった態度でそう答える神に、僕はだんだんイラついてきた。




「じゃあ、宙に浮く以外になにができるんだ?」




ヴァルキュリアは押し黙った。額には汗がにじんでいる。




「他には何もできないのか…」




僕は呆れて言った。汗をかきながらヴァルキュリアが答える。




「そ、そんなことはないぞ!!じゃが、わしにもいろいろ事情があるのじゃ!」


「ふーん、どんな事情だ」


「それはじゃな…」




ヴァルキュリアは、すっと炬燵に戻ってココアをすすってから、話し始めた。




 要約するとこういうことらしい。神にはいろいろな世界で研修する期間というものがあり、今回ヴァルキュリアは人間界での研修に当たっていた。意気揚々と準備をしたヴァルキュリアだったが、人間界に転


送される際に、転送装置が「神のみぞモード」になっていたので、神以外、すなわち荷物や衣服は天界に置き去りになり、体のみで人間界に来てしまった、ということであった。




「じゃあなんで僕の家の前に居たんだ」


「それはわしにもわからん。本当は関所で戸籍や素性を作成する予定じゃったんじゃが、なんでかいきなり住宅街に放り出されてしもうた」


「なんで日本語が喋れるんだ」


「わしは神じゃぞ、研修先の言語の習得など造作もないわ」


「なんで人間の姿なんだ」


「たわけが。人間界で研修するのに人間の姿でなくてどうするのじゃ」


「じゃあ天界ではどんな姿なの」


「決まった姿などないわい」




なんとも、信じろというのが難しいことだが、目の前で浮遊された以上、信じるほかなさそうである。とりあえず厄介な犯罪に巻き込まれたわけではなかったことに安堵した。




「それで、ヴァルキュリアはこれからどうするの」


「無礼者、ヴァルキュリア様、じゃ。それは研修手帳に書いてあることに沿ってじゃな」


「その手帳はどこにあるんだ?」




ヴァルキュリアはまた汗をかきはじめた。




「だぁー!そうじゃった!!手帳も天界に置きっぱなしじゃ!!」




頭を掻きむしり喚いている。いったんはあわや警察沙汰の窮地に追い込まれたのだ、僕は追い打ちをかけることにした。




「お金は?」


「無論、もっておらん!!」


「人間の姿ってことは、食事や睡眠は…」


「人間と同じく必要じゃな。人間界におる間は、人間として生活する故…」




ここまで言って初めて、ヴァルキュリアは自分の置かれている状況を把握したようであった。みぐるみ剥がれた状態で人間界に放り出された惨状を。青ざめた顔でヴァルキュリアは言う。




「あの、ヒデアキ…」


「なんでしょうか、ヴァルキュリア様」


「ヴァルキュリアでよい…ので、しばらくこの家においてもらえんじゃろうか」


「…いやだと言ったら?」


「だってぇー!!!天界とも連絡取れないし!!どうしようもないんじゃ!!他に誰に助けを求めろと言うんじゃあ~!!まさに神がかりのピンチなんじゃぞ!!!」




ぎゃあぎゃあと泣き喚く神を、呆れた目で見つめる。窮地に追いやられたのは僕ではなく、この神であった。しかしこのまま泣き続けられても困るし、住所も名前も割れてしまっているので、このまま放りだしたらそれこそ警察沙汰になりかねない。




「わかった、わかったよ。しばらく置いてやる」


「本当か!おまえいい奴じゃな!!」




ヴァルキュリアはケロッと泣き止んだ。




「いつまでだ」


「それは…天界でもわしが丸裸で転送されたことは把握されておるじゃろうから、捜索は間もなく始まるじゃろう。しかし、今はほとんどただの人間になっておる故、見つけてもらうのがいつになるかは…」


「つまり、相当時間がかかるんだな」




ヴァルキュリアはまた泣きそうな顔で頷いた。やれやれ、捨てる神あれば拾う神ありとは言うが、まさか神を拾うことになるとは。




「わかった。天界と連絡が取れるまで置いてやる。その代わり、家事とか手伝えよ」


「ぬ、おまえ神を顎で使う気か」


「いやなら出ていけ」


「くそ、足元を見おって…!仕方ない、その条件でよかろう」


「あとさ、その髪なんとかならないの?」


「それもそうじゃな。シュシュとかないのか?」


「独身男性の家にあるわけないだろ、これで我慢しとけ」




僕は台所から輪ゴムを持ってきて手渡した。




「ぬ、仕方ないのう、これで我慢するか」




ヴァルキュリアは輪ゴムで髪を2つに縛り、ツインテールを作りあげた。




「どうじゃ?」


「さっきよりはましだな」


「じゃろ?こんな美少女と同棲できてヒデアキは幸せ者じゃなあ!」


「調子に乗るな、出て行ってもらっても構わないんだぞ」


「わかった、わかったから、そうカッカするでない」




2LDKを持て余していたので、一部屋ヴァルキュリアにくれてやることにした。幸いお客用の布団があったのでそれで寝てもらうことにしよう。こうして僕と神との同居が始まった。

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