第9話 送り火
アリエスとヴィクトルが部屋を出て行ったあと伝えられた謎に思考を巡らせつつレンリの方へと意識を向ける。
「すまなかったな。いきなり話をさせてくれと言って」
「い、いえ。僕も<灰の勇者>様とお話してみたかったですから」
「俺に気を使う必要はない。今は誰の目もないからな。それに俺はお前に名を名乗ったはずだぞ」
こちらをちらちらと伺うように視線を送っていたレンリはその言葉に勇気づけられたのか先ほどより少しだけ顔を上げ俺を直視する。
「じゃ、じゃあユウさんと呼ばせて頂きます」
「ああ、そう呼んでくれる嬉しいよ」
俺は偽名を名乗ったことにかすかに罪悪感を抱きつつも自然な笑みを浮かべる。レンリもその笑みに呼応するように笑みを浮かべた。自然なものと言うには無理があるものだったが今はこれくらいの距離感があるのは仕方ないだろう。俺は軽く咳ばらいをしてレンリの注意を引く。
「それで俺が話したかったことだがレンリ、お前はあの会長に拾われるまでこの街のスラムで生活していたんじゃないか?」
レンリの体がびくりと跳ねる。どうやら俺の見立ては当たっていたようだ。目の前の少年の顔色が目に見えて悪くなる。何かやましいことがあるのかそれとも元は落伍者であったことがバレたことを恐怖しているのかはわからない。だが、今触れるべきではない過去について言及したのは理由がある。このまま黙りこくられては困るのだ。
「別にお前の過去がどうであろうと俺は気にしない。俺h一応救世機関に所属しているが正義やら法やらを信奉しているわけじゃないしな。寧ろ必要悪はあると思っているし日々の糧を得るために道理から外れようとも咎めようとは思わない。だからそんな肩ひじ張らないでくれ。頼む」
俺は何かに怯えるレンリに太ももに手を当て頭を下げる。恐る恐る顔を上げると俺の行動が予想外だったのかレンリは呆けたような表情で固まっている。俺たちの視線が交錯しお互いが何も言わない時間が流れる。そして、その沈黙を破ったのはレンリだった。
「ユ、ユウさんのお気持ちは分かりました。正直ありがたいです。僕はユウさんたちと違って人に誇れるような生き方はしてませんから」
レンリは悲し気な様子でぎこちなくはにかむ。俺はその言葉に鋭い痛みを感じつつも優し気な笑みを浮かべた。レンリは安心したのか椅子の背もたれに体を預けた。
「でも、何だか気が休まりました。ヴィクトルさんに拾ってもらってから僕なんかがここにいていいのかなってずっと悩んでましたから。これもユウさんのおかげです」
「それは何より」
先ほどよりも自然な様子で俺たちは笑い合う。先ほどまで緊張のためか一切手を付けていなかった飲み物や食べ物にもレンリの手が伸び始めた。今が頃合いだろう。
「それでレンリ。聞きたいことがあるんだが……」
「何ですか?」
若干口に詰め込んだ焼き菓子のせいか声が籠っている。
「昔スラムに住んでいたのなら<蠍>がいつからここに住み着いていたのか知ってるか?」
「……正確には分かりません。僕がこの街に来た三年前にはとっくの昔にスラムを制圧していましたから。ですがスラムの人間から聞いた話によれば三十年前からここに居ついてるそうです」
「なるほど。そんなに前からいるのか……」
俺は瞑目し、ふーっと息を吐く。それほど前からここにいるということはこの街は奴らにかなりマークされているようだ。今拠点にいるメンバー全員を始末しても確実に新しい人間が送られてくるだろう。これではいたちごっこになってしまう。そんな思考を巡らす俺の顔を不思議そうにレンリが眺めている。自分の殻に閉じこもりすぎてもだめだなと自嘲し次の質問をぶつける。
「レンリ、もう一つ質問だ。<蠍>の拠点の場所を知ってるか?」
「はい。知ってますよ」
レンリは当たり前のように答えた。
「……その場所を教えてくれるか?」
「いいですよ」
レンリはなんてことはないように言い放つ。俺はこんなにスムーズに了承を得られるとは思っていなかった。そのため疑問が湧き上がってくる。
「レンリ。そんな簡単に教えてもいいのか?下手に漏らせばお前の身も危ないかもしれないぞ」
「心配はいりません。スラムに住んだことがある人間ならだれでも知っていることですから。それに<蠍>の人たちは拠点がバレることなんて恐れてないと思いますよ」
「ほう?それはどうしてだ?」
「知っていても見つけられないからです。実際スラムにいた頃<蠍>の拠点探しをしていた人がいたんですけど拠点を見つけたって思った次の瞬間には目にした建物がどこにもなかったそうですから。多分ですけど聖者の力で何かしてるんだと思います。それでもよければ教えますよ」
「ああ、頼む」
レンリはその言葉を聞き椅子から降りると部屋の隅にある箱の中からこの街の地図を引っ張り出してきた。レンリはその地図をテーブルいっぱいに広げる。その地図は中々精巧に作られており通りや建物の名前だけでなくどこからがスラムであるかというのまで描かれていた。所々に赤い点が記されているがひどく滲んでいるためインクを溢したとかそういうのだろう。
「ここです。<蠍>の拠点があると言われている場所は」
レンリはスラムの一点を指さした。そこはスラムのちょうど中央辺りに位置する地図でさえわかるほど大きな建物であった。その周囲には比肩する建物は見当たらず裏の人間が使うには目立ちすぎている。だが、レンリが話してくれた内容を加味するとこの選択も意図したものだろう。だが、ここまでわかればやりようはいくらでもある。
「レンリ、ありがとう。とても参考になった」
レンリは恥ずかしそうに微笑む。この様子から察するにそれなりには仲良くなれたようだ。その事実を噛み締めると自然と俺の頬も緩んだ。そして、俺は地図に再び目を向け困った顔を浮かべる。
「どうしたんですか?」
「今気づいたんだがこの街は複雑な道が多いな。とてもじゃないが覚えられそうにないと思ってな」
俺がおどけたようにそう言うとレンリは思わずといった様子で無邪気に笑い始める。目の端に浮かんだかすかな涙を指でふき取り今まで見たことない快活な笑顔を浮かべている。
「ご、ごめんなさい。でも、なんだか可愛くって」
「それはどういうことだ?」
俺は優し気な口調で問い詰める。
「だって僕の中のユウさんのイメージに合わなくって。強くて、勇者で、それでいて僕みたいな人にも優しくしてくれて……。だから何でもできる凄い人だと思ってたのにそんな間の抜けたこと言うなんて……」
「幻滅したか?」
「いいえ、親近感が湧きました」
「それは何よりだ」
そして、俺たちは笑い合う。
「そうだ。ユウさん。この地図持って行ってください」
「いいのか?」
「はい。これは僕の私物でしたから」
「それじゃあその好意に甘えさせてもらう」
俺は広げられた地図をくるくると丸めると腰の四角いポーチに押し込んでいく。どう考えても入る大きさではないがその地図は箱の中に吸い込まれていった。その様子を見てレンリは目を見開く。
「ユウさん。もしかしてその腰の道具は<神箱>ですか?」
「そうだが知ってるのか?」
「当たり前ですよ。古代文明によって作られた神具の中でも一二を争うほど有名なものですから。無限に物が入る箱なんて恐ろしいほど便利ですし」
「無限と言うのは誇張が入っているがな。最大でもそうだな、この部屋が満帆になるくらいまでだな」
「それでも十分ですよ」
レンリは物欲しそうな瞳を俺の腰に向けている。その子供らしい姿に俺は安堵し箱の中から一つの指輪を取り出した。
「この箱はやれないがこれならやれるぞ」
俺は手のひらに乗せた指輪をレンリの前に差し出す。その指輪には球形のガラスがついており、その中には黄色の炎が煌めいていた。レンリは興味津々といった様子で食い入るように見ている。
「これも遺跡から出てきた神具だ。特別な力はないが装飾品としては一級品だろう。身に着けるもよし、売るもよしの一品だ」
俺は商人のような様子で指輪の良さを伝える。レンリはその指輪を受け取るとぎゅっと手の中に握った。
「ありがとうございます。大切にします」
俺はレンリのその姿を優し気に見つめる。心地よいシン沈黙がしばらく場を支配した。だが、その静寂を破るように扉がガチャリと音を立てゆっくりと開いた。
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